21.爆弾じゃなくて花火です
夜空に花が瞬き始めた。
爆ぜる音と歓声。会場アナウンスが割れるほどに盛り上がっている。
円香は昇の腕を掴んだまま、ひた走る。
打ち上げ地点で準備を進める仲間たちが見えてきた。
向こうもこちらに気づいたらしく、わらわらと手が上がる。
――早く来い!
遠くから呼んでいる。
もう時間はない。
「ひー、ひー、間に、合いました、か……」
到着した時には、肺は悲鳴を上げ、わき腹も痛くなっていた。膝に手をついて酸素を求めるが、矢継ぎ早に急き立てられて、ろくに呼吸が整わない。
「間に合ってるけど間に合ってない」「あと三分」「操作できるのは円香ちゃんだけなんだから」「時間巻いてないか?」
巻くことなんてあるのか……点火装置への配線は大丈夫だろうか。
円香は回らない頭で、インカムを受け取るとパソコンの前にスタンバイする。
ふらつく円香の肩に、ポンと手が置かれた。
「配線も、点火装置の準備も全部やってある。あとは打ち上げるだけだ」
「里中先輩……」
「山岸さんの花火、盛大に打ち上げてこい」
親指を立てる奏多の肩越しに、小さくなっている昇の姿が見えた。俯き、所在なさげに立ちつくしている。
「……はい!」
顔を上げさせてみせる。その目に焼き付けさせてやる。どんな困難にも負けない佐伯煙火店の花火を、〝昇くん〟に。
円香は作務衣の袖を捲ってキーボードを叩き始めた。
プログラムの順番が迫ってくる。
対岸の観客とは裏腹、打ち上げ側のボルテージと緊張感に肌が泡立つ。
インカムでの指示や叫び声が飛び交う中、ふーっと細く息を吐く。「佐伯煙火店さん、出番です」という進行係の声だけが、円香の世界に入り込んできた。
打ち上げ担当の職人と目顔で頷き合う。
イヤホンを一瞬指で押さえ、すぐにパソコンに向き合う。
「いきます。五、四、三、二――」
炎の帯が上り龍のように、強く、高く、天に昇っていく。
まずは赤い花から、緑、青へと変わる多層構造の変色花火。そのタイミングでBGMが流れ始める。
本来なら小玉の五発同時発射だったイントロ。
だけど、それだと尺が足りなくなった。
だから曲からしてBPMの低いものに変更した。パーカッションに合わせ、四連でタイミングを重ねていく。
うまくハマった。
川を挟んだ向こうが一斉に盛り上がる。
体が重力を忘れるほど高揚する。こんなに喜んでもらえるものなのか。
続くメロや転調も、玉の大きさと色や形、開き方で魅せていく。
ラストの大サビでは、乾燥室の災難の中、一発だけ残った大玉。
「……上がれ」
小さな呟きは、円香の胸元にだけ落ちる。
虹色の全円から、四回の変色に合わせて、しだれのように広がる大仕掛け。職人たちが丹精込めて設計し、仕上げた作品だ。
パラパラ――と音を立てて散っていく。
しばらく薄い雲のような硝煙を眺めていた円香の耳に、対岸からの拍手が届き始める。
――終わった。
気付くと、足がまた震え出していた。筋肉ではなく、血が湧き上がっている。思わず職人たちに振り返った。
どちらともなく、グッと親指が立つ。
円香はダンッと駆け出し、仲間たちの輪へ飛び込んだ。
誰ともなく抱き合い、揉みくちゃにされる。
「うぅ、ベタベタする。汗くさいぃ」
「お互い様だ」
どっと笑いが起こる。
振り返ると、輪の外で、昇が亡霊のようにこちらを眺めていた。
「親方!」
円香が呼ぶと、叱られた子どものように昇の肩がビクンと跳ねた。
職人の輪の中に、一瞬、なんとも言えない空気が漂う。
それに当てられたのか、昇はさらに後ずさるが、今度は「やれやれ」といった態度に変わっていった。
「昇くん」
やっさんのしわがれた声が飛ぶ。
「お前さんのやったことは許されない。あぁ、許せねえよ。
だけどな、あんたがいなきゃ、俺たちもここまで来れなかったわけだしな」
やっさんが代表するように半歩歩み出る。
それでも煮え切らない昇に、一同は顔を見合わせると、示し合わせたかのようにわっと昇に駆け寄った。
蛇に睨まれた蛙のように怯える昇だが、背中や肩を叩かれ、髪をぐしゃぐしゃにされ、されるがままになる。
その様子を、円香は愛おしそうに見守った。
「ベテランに頼っちゃえばいいんですよ、若手なんて」
「それ、俺の受け売りか?」
「里中先輩!」
奏多はキンキンに冷えたラムネを円香の頬に押し当てる。
「冷たっ」
でも気持ちいい。
「お疲れ様。よくやったね」
「里中先輩のおかげです。いろいろとお世話になりました」
「いいんだよ。俺も面白いものが見られて楽しかった」
面白いとは? 首をかしげる円香に、
「佐伯煙火店への出向は、報告書を書いたら終わり。
さすがにもう、これ以上の支援はできないからな」
告げられた終わり。切なさや名残惜しさが胸の奥から広がってくる。
それでも円香は、夜空を見上げた。やり切ったと胸を張れる。
「そうですね。あー終わったぁ!」
ラムネを一気に呷ると、ビー玉がカランと小気味いい音を立てた。
「そんなわけで、次に出社した時に辞令が渡されるけど、先に伝えておくね」
聞かされた内容に、円香の夢見心地な気分は一瞬にして現実に引き戻された。
「え、技術営業!? 普通は三年出向なんじゃ……」
「ははは、頑張れ。大丈夫、俺とペアだからミッチリ指導してやるよ。
本当に面白くなってきたじゃないか」
「そんなぁ……」
恨めしげな視線で反抗していると、ふと視線を感じた。
円香は駆け寄っていく。
「もう、親方。そんな迷子の子犬みたいな顔しないでください」
「あ、そ、そんな顔は……」
しどろもどろになる昇に、円香はにぱっと笑顔を見せた。
「咲きました。盛大な花火。見てください、お客さんも楽しんでいます」
昇は黙って対岸を見つめた。その横顔に語り掛ける。
「私たちが作っていたのは、使い方を誤ればすべてを壊してしまいます。
でも、爆弾じゃなくて花火です」
「…………」
「一瞬で散っていく、たったひと時のために、皆でがんばってきたんです。
親方は、自分じゃなくていいって言ってましたけど、私は親方がいなければ踏ん張れませんでした」
「円香さん……」
「親方が、居場所を作ってくれたんですよ!」
言葉を失った昇の横で、円香はほかの煙火店が上げる花火を見て、「うわーすごい」「た~まや~」「こんな演出があったのか」なんて、思ったことを次々に口にする。
弾ける花火に合わせて、円香の顔が次々に異なる色に染まる。
そんな円香に、昇はそっと向き直った。
「ありがとう。俺、刑事さんのところに行ってくるよ」
昇の瞳はわずかに生気を取り戻していた。
「はい。行ってらっしゃい」
昇は職人たちに深々と頭を下げると、そのまま八重樫刑事たちと会場を後にした。
もう佐伯煙火店が復興することはない。
皆、バラバラになってしまう。
昇が帰る場所もないのだ。
真相を突き止めて明るみにしたことが、よかったのかどうかは、円香にはわからない。
でも、知ることができた。
花火の向こう側の世界を。
大勢の観客に紛れる一人ではなく、その一人を楽しませる一員として。
この一か月は特に怒涛だった。
こんな経験は二度とないかもしれない。
「花火は一粒ひとつぶの集合体。たくさんの想いを抱えて、一瞬の輝きを魅せるんだ……」
――親方、花火じゃなくていい。いつか、あなたの輝きを咲かせてくださいね。
了




