第20話 遠くて近い距離
俺は今、猛烈に悩んでいる。
スマホと向き合うこと、かれこれ一時間。
そのスマホには、まだメッセージの記録がない氷川とのトーク画面が表示されていた。
「ん~、これは送るべきなのか……?」
氷川と連絡先を交換したのはいいものの、挨拶くらい送るべきなのか、昨日からずっと悩んでいたのだ。
「お兄、ニヤニヤしてキモい」
人が真面目に考えているっていうのに、この妹はまた茶々を入れてきやがって……。
槍のように鋭い一言を放つあかねに、俺は思わずため息が漏れる。
「してねぇだろ。どんな目してんだ」
「はっ? してたし。イヤらしいこと考えてるときの気持ち悪いやつ」
「あのなぁ、反抗期だからって何でもかんでも聞き流すと思ったら大間違いだぞ」
「あっ、藍さんとのメッセじゃん」
「おい、人の話を聞け。ってか勝手に見るな」
「へぇ~まだ何も送ってないんだ。相変わらずのヘタレお兄だね」
つい、数年前の妹はあんなに可愛かったのに……。反抗期とはここまで人を変えてしまうものなのか。
一度、ガツンと本気で言わないと、ずっと舐められっぱなしのままになりそうだ。
「お前には関係ないだろ。だいたい、兄に対しての態度を────」
「はいはい、ちょっと借りるよ~」
しかし、その気になった俺を嘲笑うかのように、あかねは俺が手に持っていたスマホを抜き取っていった。
このイタズラばかり考えている愚妹ときたら……。
「あかね! 返せって!」
「えっとぉ~。ほほいっと……」
「ぐっ、しぶといやつだな……」
逃げ回るあかねを本気になって追い回すけど、なかなかに逃げ足が早い。
普段、引きこもっている弊害がこんなところにまで及ぶとは……。
辛抱強く追い回していると、ようやく観念したのか、あかねが止まったところでスマホを取り返す。
急いでスマホに目を向けて変なことをされてないか確認すると、そこには短く一文。
『(前田) 明日、デートしない?』
俺の人生で過去一度も口にしたことのない言葉が、氷川に対して送信されていた。
「お前、なんてもの送ってくれてんだ!!」
「そんなにキレることないじゃん」
「キレるだろ! 俺たちはそういう関係じゃねぇし、これで関係が変わったら────」
そんな言葉の途中で、俺のスマホからメッセージがきたことを告げる通知音が鳴った。
『(藍) あかねちゃんでしょ?』
その一文を見て、自然と安堵の息が漏れる。さすがは氷川だ。
「おい、あかね。何か言うことはあるか?」
「…………」
俺のその問い掛けにあかねから返答はなく。代わりに、またメッセージの通知音が鳴った。
『(あかね) てへっ』
「てへっ、じゃねぇよ! っていうか、なに勝手にグループまで作ってんだ」
「もう細かいなぁ。このグループが役立つときがくるかもでしょ」
「困ってもお前には頼らねぇよ」
「なら、泣きついてきても助けてあげな~い」
こいつは、どういう状況で俺が泣きつくのと思ってんだよ……。
言い返したいところではあるけれど、今は氷川に返信しなければ。
まさか、こんな形で初メッセージを送ることになるとはな。
『(前田) 悪い、あかねのイタズラで迷惑かけた』
『(藍) 全然大丈夫だよ』
『(あかね) お兄、ずっとメッセ送ろうか悩んでたんですよ~?』
『(藍) えっ、そうなの?』
『(前田) あかねの嘘だ』
『(あかね) ホントだからっ!』
妹よ、足を蹴るな。確かに俺が嘘をついてるけど、これは仕方ないことだと思ってもらいたい。
『(藍) 仲良いねぇ』
『(前田) マジで言ってるか?』
『(あかね) お兄となんてごめんです』
『(あかね) それより……』
『(あかね) お兄とじゃなくて、あたしとデートしましょうね!』
『(前田) どさくさに紛れて約束をとりつけようとするな』
『(藍) 前田くんは誘ってくれないみたいだし、あかねちゃんと行こうかな』
『(あかね) やった!』
『(あかね) お兄ごめんね~』
なんだ、その猫が企んだ笑い方をしてるスタンプは。妙に腹がたつな……。
隣で楽しそうにしている妹を見ながら、俺は深いため息をつく。
氷川への申し訳なさが心の中で渦巻いているけれど、なんだかんだ、こうしてやり取りが出来るようになった点は妹にも感謝するべきか。
そんなことを考えていると再び通知音が鳴り響く。
しかし、先程までのグループには新着メッセージはなかった。
その代わりに通知マークがついていたのは、氷川との個人メッセージ。
わざわざ送るほうを変えてきたことへの理解が追い付かないまま、俺はとりあえずメッセージを開く。
『(藍) デートのお誘いなら、いつでも歓迎だから』
「ぶっ、げほっげほっ!」
「どしたの、お兄。汚いんだけど」
「な、なんでもない……」
やり取りの記録が全くなかったはずのページに、爆弾のような一文。
思わず咳き込んでしまうほどの驚きで、一気に心臓の鼓動が早くなったのを感じる。
冷静さを取り戻すために、ひとまず自分の部屋へ戻ることに。
『(前田) 勘弁してくれ』
『(藍) 前田くんもあれくらいグイグイきてくれないと』
『(藍) あかねちゃんのものになっちゃうよ?』
『(前田) あいつでいいなら、世話してやってくれ』
『(藍) ちょっと、そこは止めるとこでしょ』
実際に話してるわけじゃないのに、思わずクスッと笑ってしまう。
まるで親しい友人のようなやり取りも、今ではできるようになった。出会ったときを考えれば、大きすぎるくらいの変化だ。
『(藍) 今はあかねちゃんと一緒?』
『(前田) いや、うるさいから部屋に戻った』
『(前田) あかねがどうかしたか?』
いまいち質問の意図が理解できないでいると、そこで氷川の返信が止まる。
待つこと数十秒、スマホが告げたのはメッセージの通知ではなく電話の着信。かけてきた主は、もちろん氷川だった。
これ、出ろってことだよな……。
電話はなかなか使わないもんだから、変な緊張をしながらゆっくり画面をタップする。
「も、もしもし?」
『ふふっ、なんか不思議だね』
「第一声がそれかよ」
『だって、離れてるのに前田くんの声が聞こえるから』
「それが電話だからな」
でも、スマホを通して氷川の楽しそうな声が聞こえてくるのは、確かにちょっと不思議な感覚だった。
「それで? 一体なんの用で、わざわざ電話なんて……」
『もちろん、前田くんのためを思ってだよ』
「いまいちピンとこないんだが」
『メッセージを送るのに悩んでたって聞いたからさ。きっと初めての電話も悩むだろうなと思って、私からかけておいた』
「それは……どうも?」
『もっと感謝してほしいね。どれだけ私が緊張したか』
「なんかごめん」
氷川の素の性格を思えば、あまり電話慣れしてそうにないもんな。
かと言って、俺から電話なんてもちろんそんな勇気はなかったので、ここは素直に感謝しなければならない。
『これで学校でも連絡が取りやすくなったでしょ。水曜日以外でも一緒に帰りたくなったら、メッセージを送ればいいし』
「確かに便利にはなるか。緊急事態が起こったら、無理に話しかけずにメッセージで済むもんな」
『なんか、前田くんのはマイナスじゃない?』
「氷川なら分かってくれると思ったんだがな。教室であの輪に割り込んで話しかけるのに、どれだけ緊張するか」
『うぐっ。まあ、お互い人付き合いをしてこなかった弊害だね……』
「だな……」
また少し、氷川との距離が近くなった気がする。
これからも、こんなくだらない会話で笑い合うのだろうか。
電話はあまり好きじゃなかったけど、この時間がもう少し続いてもいいなと思った。




