無能なクズ男
「ぐはっ!」
「キース様!」
僕はおじさんに殴りかかろうとした矢先、熱い拳に頬を殴られ、服を持って投げ飛ばされた。
あまりの熱さと威力に失神しそうになるが、気力だけで意識を保つ。
飛ばされた先に木箱が積まれており、頭から勢いよく衝突した。全身に激しい痛みが走る。
一部の木箱が破損し、中身が飛び出した。入っていたのは腐ったトマトだった。
トマトが威力を吸収してくれたのはいいものの、僕の白い髪まで赤色に染まっているのではないかと思うほど、全身が腐ったトマト塗れになってしまった。
そのにおいは腐った卵に負けず劣らず、臭くて仕方がない。
「人に殴りかかろうとするとは、無能の現れだな。物事をもっと考えて行動しろ」
「あ、あなたはさっきの……」
僕の視界の先にいたのは、先ほど僕を助けてくれた赤髪の男性だった。
立ち姿を見るのは初めてだが、座っていた時よりも明らかに見栄えが良い。ただ、表情に覇気は無く、疲れているように見えた。
僕より後に来たということは、別のお店か場所に寄ったのか。
「店主。獣を受け取りに来た」
「ああ、ここにいる。こいつがそうだ」
「銀髪の狼族か……。なるほど、何かありそうだな。金額は、金貨三〇枚だったな」
「そうだ」
「この中に金貨六〇枚入っている。受け取っておけ。身を守るのに必要だろう」
「かたじけない。大切に使わせてもらう」
「奴隷の鉄首輪がまだ着けられていないが、なぜだ。首に鉄首輪の跡があるのを見ると、もとから奴隷なのだろ?」
「ああ、一度外した。銀髪で三原色の魔力を持っていないからな。鉄首輪で魔力を縛る必要がなかったんだ」
「そうか……。だが、着けさせろ。奴隷という、証拠がいる」
「わかった。そう言うことなら、すぐ着けさせよう」
強面のおじさんは、店から奴隷の象徴である鉄首輪を持ってきた。
「止めろ……。シトラは奴隷じゃない……」
「あんたが自分で着けるか。今、シトラ……、いや、もうこの名前も必要無いか。この獣族はあんたの奴隷だ」
「そうだな……。おい、雌犬。これの着け方はわかるか?」
この場にいるのが場違いなほど、服装が整っている赤髪の男性がおじさんから鉄首輪を受け取り、シトラが入っている檻に近づく。
「はい……。わかります」
よく見たら、シトラの首に付いていた鉄首輪は無くなっていた。せっかく、外してもらえたのにまた着けないといけないなんて。三原色の魔力を縛る必要がないなら、着けなくてもいいじゃないか。
「なら自分で着けろ。あの男に自分は、他の者の奴隷だと教えてやれ」
「シトラ……。止めろ……。シトラは奴隷なんかじゃない……」
「あの現実が見えていない、男の目を覚ましてやれ。それくらい出来るだろ。ドロウ公爵家で性奴隷だったお前でもな……」
赤髪の男性は目を細め、僕の実家だった家名を呟いた。その瞬間、表情が曇る。口にするのも忌々しいと思っているのだろうか。
「はい。わかりました……」
――あの男の人……シトラが元性奴隷だって知っているんだ。ドロウ公爵の家で働いていたことまで知っている。あの男、いったい何者なんだ。
僕が男の発言に困惑している最中、シトラは檻の隙間から手を伸ばし、男性から鉄首輪を受け取った。
「シトラ……、ダメだ……。何で……どうして歯向かわないんだよ!」
「私はもう……。キース様の家族じゃありません。今日から……この方のもとでお世話になります……」
「ふざけるな……。そんなの、僕が許すとでも思っているのか。シトラは僕の家族だ。その男の物じゃない」
「さっさと付けろ。私は忙しい身なんだ。こんな場所で時間を使うほど愚かじゃない」
「はい。すみません、今すぐに……着けます」
シトラは鉄首輪を開けて、首元に持っていく。
ただ……その手は震えており、鉄首輪を拒絶していると、一二年間一緒に生活していた僕はすぐにわかった。
尻尾は鉄製の床にくっ付いており、全く動いていない。
耳だって、へたり込んでいる。表情は一切変えないのに……体はずっと拒否しているんだ。
「どうした、早く着けろ。昔の主に未練でもあるのか?」
「いえ……。以前の主である、グース・ドロウ様には全くと言っていいほど、未練などございません。ただ……、お仕えしていたお方には……大変よくしていただいたので」
赤髪の男性は僕の方をじっと見てくる。見定められている気分だった。
「なるほど、白髪の男はドロウ公爵家、三男のキース・ドロウだな。まさか公爵家の息子が一人でこんな所にやって来るとは。相当慕われてたんだな、雌犬」
「なんで……僕を知っているんだ。さっき初めて会ったばかりじゃないか。それと、シトラを雌犬なんて下劣な呼び方をするな……」
「やはりそうか」
「おいおい、こいつドロウ家の三男なのか! 嘘だろ!」
強面のおじさんは赤髪の男に近づいていく。
「白髪の男が言うんだ。きっと間違いないだろう。それで、なぜこんな所にいる。ドロウ家の三男が、こんな所にいることじたいあり得ないと思うんだが……」
赤髪の男性は蛇のような鋭い目で僕を睨んできた。
「ぼ……僕はもう。ドロウ家の人間じゃない。だからここにいる。それで、シトラを取り返しに来たんだ!」
「ドロウ家の人間じゃない……。なるほど、勘当されたのか。まぁ、貴族の世界じゃよくある話だな」
僕は周りの木箱をかき分け、藻掻くようにして地面に降りた。
「はぁはぁはぁ……。僕のたった一人の家族なんです……。だから、返してください。お願いします」
僕はその場で土下座して頼む。
今の僕にはこれくらいしかできない。
黒卵さんが眠っている今、どう頑張って戦っても到底勝てる相手ではないと、肌で感じる。髪の色や立ち姿、雰囲気からして、赤髪の男性は明らかに強者だった。
「情けない姿だな。腐ったトマト塗れで、叫んだと思ったら最後は土下座か。腑抜けめ。この私に殴りかかろうともしないか。その程度の気持ちでこんな所まで追っかけてくる精神が私にはわらない。お前はただこの雌犬とやりたかっただけのクズ男か?」
「…………」
「なぜ言い返さない。私の発言がすべて真実だからか?」
「違います……。何も言い返せないからです。僕があなたに殴り掛かっても……勝てる気がしません。ですから、今の僕にできるのは土下座しかないんです」
「…………そうか、ならその場で死ぬまで土下座していろ。お前のような奴に割いてやる時間は無い」
「く……」
僕は土下座しながら地面の土を強く握り占める。
「雌犬……、まだ、着けていなかったのか」
「す、すみません。すぐ着けますから」
「もういい。私は時間が惜しいんだ。その鉄首輪を持って私にさっさとついて来い」
「はい……」
シトラが返事すると、鉄製の扉が開いた音がする。そのまま、赤髪の男性とシトラが歩いていく足音が地面から遠ざかっていた。
どうやら、赤髪の男は僕に背を向けたみたいだ。
「僕がシトラとやりたいだけのクズ男。そんな訳、ないだろ……」
僕は奥歯が割れそうなくらい歯を噛み締め、超低姿勢で走り出した。僕と赤髪の男の間に落ちていた黒卵さんをすぐさま拾上げる。
赤髪の男はシトラの前に立ち、悠然と歩いていた。
「主様。来ています」
「それくらいわかっている。私を舐めるな」




