逢瀬
勇者オーディションが終わってから早くも二週間が経過した。
結果発表の日、ヒースの長話に付き合っていたせいでリリィには十分な時間があったらしい。今後の説明を聞き宿舎に戻ると、リリィの部屋には私の荷物だけが残っていた。
ヒースの謎かけの意味も分からず、リリィとは音信不通。おそらく屋敷に軟禁されているのだろうとは思ったが、勇者になった私にルフナ家の屋敷を訪ねる時間は無かった。
勇者の研修のために私も王城で軟禁されていたからだ。
国の歴史、礼儀作法やら行く先々の地理的な情報やらと、学校のようにピオニー、ラン、レンと机を並べて詰め込み教育を受けている。
その合間にも初代勇者、二代目勇者や王族、来賓との面会、貴族の催す宴会に招待されたりと、リリィが貴族社会にうんざりしていた気持ちが理解できた。体もそうだが気疲れが酷い。
今日も詰め込み教育からの宴会を乗りこなした。へとへとになって部屋に戻ると、一目散にドレスを脱ぎ捨て、椅子にドスンと座り窓から外を見る。
二週間も経つと窓から外を眺める余裕が出てきた。これまでは部屋に戻るなり即座にベッドインだったのでかなり進歩した方だと思う。
王城は二十四時間体制で警備が組まれているためかなり明るい。窓から見える星はかなり間引かれてしまっている。
視界の端に一際良く光る星が見えた。だが空というにはいささか低い場所にあるし、不定期に点滅している。
その星の下には周囲の建物より一際大きな屋敷があった。目を凝らすと、星は屋敷から生えている塔の先端部分で輝いている事が分かる。
それがルフナ家の屋敷だと気づくのに時間はかからなかった。そして、星、もとい火を点滅させているのがリリィの手によるものだという事もすぐに分かった。
「リリィさん! リリィさん!」
何度か窓から身を乗り出して叫んでみたが、遠く離れた屋敷まで私の声が届くはずがない。
どうにかしてリリィとコミュニケーションを取りたい。その一心で部屋をぐるぐる歩き回りながら考える。
このシチュエーションには聞き覚えがあった。リリィが塔の上で話してくれた昔話。ルフナ家の当主と王女が恋に落ち、夜な夜な光を使って会話していたという逸話。
多分、あの光の点滅には何かしらのルールがあるはずだ。
王城の中にある図書室へ走る。
図書室の中では司書が何か残業をしていたようで、ちょうど片づけをしている所だった。
「あ……あの! ひ、光を……光を使って話したいんです! ルールが書かれた本、ありませんか?」
走ってきたので息も絶え絶えに司書の肩に掴みかかる。
「え、えぇ。ありますよ。少々お待ちください」
司書は帰りたさをグッと押し殺して本を探しに行ってくれた。
図書室で好きなだけ勉強をしろと言われたが、この二週間でここに来たのは初めてだ。最上段の棚は背が届かないので足場を使わないといけない程、びっしりと壁が本で埋め尽くされている。
その一角に司書が歩いていき、足場を使って何冊か本を持って来てくれた。
「統一されているルールとしてはこの辺りですね」
「すごく昔の人が使っていたのってどれですか? 王女と貴族の人が夜な夜な光で会話していた話を聞いて興味が湧いたんです」
「それでしたら……少しお待ちください」
心当たりがあるようで、司書は別の部屋に入って行った。
少しすると埃を被った一冊の本を持って来てくれた。
「実際に当時の王女が使われていたと言われています。貴重ではあるのですが、興味があるのであればどうぞ。リフィさんがここに興味を持ってくれて嬉しいです」
司書はニッコリと笑って本を渡してくれる。純粋な知識欲という訳ではないので少し心は痛むが、本を受け取るとまた走って部屋に戻った。
リリィはまだ光を点滅させている。この二週間、全く気が付かなかった。いつからやっていたのか、毎日何時まで続けていたのか。そんな事を考えると申し訳なさでいっぱいだ。
急いで本を開く。前書きや説明を飛ばして一気に読み進めると、文字と点滅のパターンが対応しているページがあった。
リリィが何を伝えようとしているのかは後で解読する事にした。一先ず私が見ている事を彼女に伝えなければ。
部屋の明かりを消して、ランプを布で覆う。布を付け外しすれば点滅を再現できるだろう。『リ、リィ、リ、リィ』と送ってみた。
塔を見ると点滅が止まる。さっきまで点滅していたのでリリィはこちらを見ていたはずだ。祈る気持ちでリリィの返事を待つ。
少しして、塔の方でも点滅が始まった。紙に点滅のパターンを書き取る。
「だ、れ。誰……」
ルールの書かれた本があるくらいなのでその気になれば誰でも返事は出来る。本当に私なのか疑うのも無理はない。
「あ、し、ふぇ、ち」
二人しか知らない事を送ってみた。すぐに返事が来る。
「へ、ん、た、い」
リリィに私だと通じたようだ。またリリィが何かを伝達してくる。
「ち、か、の、そ、う、こ、ご、ご」
地下の倉庫、午後。どこに行けば良いのかすぐに分かった。
王城地下の宝物庫に午後。明日もスケジュールは詰め詰めだが抜け出せば良いだろう。どうせ私は一番不真面目だと思われているので、少々怒られたくらいではめげない。
「りょ、う、か、い」
私の返事を見たのか、塔からの交信は無くなった。明日、リリィに会える。その喜びでベッドで横になっても中々寝付けなかった。
次の日、昼食を取ってすぐに私は王城の地下にある宝物庫へ向かった。リリィと指輪を隠すために来て以来だが、1742番の部屋まで迷わずに行くことが出来た。寝られなかった私はリリィとの思い出を最初からずっと思い返していたからだ。
部屋に入ると、誰かが後ろ向きで立っていた。ドアの開く音で振り返ってくる。
「リフィ! 会いたかったわ!」
扉を締め切るのと同時にリリィが私に抱き着いてくる。
一瞬だけ見えたリリィの全身像は前とはまるで違っていた。細身ながらも戦士として剣を振るうためにしなやかに筋肉がついていたのだが、見る影もないくらいにげっそりとしていた。
私を抱きしめる腕もか細く、つやつやだった髪も傷んでいる。ご飯をあまり食べていないのだろう。
「リリィさん。ずっと気づかなくてごめんなさ――」
私の謝罪はリリィの口づけで塞がれ、これまでで一番激しく壁に押し付けられる。私も抵抗する気はない。リリィのしたいようにさせる。
私の舌もリリィの舌もずっとこの時を待ちわびていた。互いの口内を行き来しながら躍動している。
壁を背する側を何度か入れ替えながら、部屋の端まで移動した。壁際でも攻守の攻は一貫してリリィ。まだリリィは死んでいない。そう思った。
だが、口を離したリリィから出た言葉はあまりにも後ろ向きだった。
「リフィ、週に一度。いや、月に一度で良いからここで会いましょう。私はそれだけで良い」
「そんなの……リリィさんらしくないです」
「もういいの。二週間、光に気付かないのが全てなのよ。勇者は忙しいものね。かといって身を引く勇気も出ない。これしかないの」
「そっ、それは……すみませんでした。でも、これからは毎晩お話が出来ますよ」
「そんなので満足なの? 私は無理よ。ねぇ、早くあの踊りをもう一度見せて。脳の深部まで揺さぶられるあの感覚がずっと忘れられないの。早くしましょ? ね?」
思わず目を逸らしてしまう。リリィの縋るような顔は見ていられない。圧倒的な強者、支配者、ご主人様。それが私にとってのリリィだった。こんな野良犬のように必死に求めている姿は見ていて辛いものがある。
「リリィさん、一緒に戦いましょうよ。こんなかび臭いところでしていて満足なんですか? シルクのシーツに柔らかいベッド。そういうところで二人で抱き合う方が絶対に楽しいです」
「ならここにベッドを運びましょう? それで良いじゃない。これ以上辛い思いをすることは無いわ」
「リリィさん……どうしちゃったんですか……」
リリィの火はまだ消えていないと思っていた。確かに消えてはいなかったが、それは私達にとって間違った方向で燻っていたらしい。
今の彼女は全てを諦め、妥協して最低限の蜜だけをすすろうとしている。そんな生き方をしたくないから勇者になると言っていたリリィは居なくなってしまった。
「リフィ、早くしましょうよ。もう……我慢できないから……っ……」
リリィは私の目の前で下腹部に手を伸ばし自分を慰め始めた。
「止めてください!」
私が尻を叩かれた時のようにパシンと乾いた音が部屋に響く。だが今日は叩いたのは私だ。リリィの頬をひっぱたいた。
リリィは頬を抑えうずくまり、泣いている。
「私は……もうすぐ結婚させられる。もう終わりなの。逃げられないのよ。駆け落ちしてコソコソと生きていくなんて嫌。貴女といるには、こうやって生きていくしかないの」
リリィがここまで小さく見えたことは無かった。細い身体も見た目以上に細く、頼りなく見えてしまう。
「リリィさん、一緒に踊りましょう。踊ったら嫌な事は忘れられます。それに、楽しくなります」
リリィの両手を掴み無理矢理立たせる。
これ以上弱ったリリィを見ていられなかった。踊れば気分でも晴れるかと思い、適当な貴族舞踊を二人で踊る。
リリィは弱弱しい声で鼻歌を歌い始めた。なんだか懐かしい思い出だ。
オーディションが始まった時のお披露目会後のパーティ。私はリリィと踊った。
今思えば、あれが全ての始まりだったのだろう。私がリリィと踊らなければ、私はリリィの匂いに病みつきにならず、二人で倒錯した世界にのめり込む事もなかった。
確か、その前はオリーブと踊ったのだった。意地悪な人だった。足を引っ掛けられてこかされたのを覚えている。
その時、私の中で点と点がバッチリと線で繋がった。ヒースの助言、貴族の慣習。それらを使ってリリィを地獄から引っ張り出す方法を思いついたのだ。
踊りをやめ、リリィの肩を掴み、しっかりと顔を見据える。
「リリィさん、婚約破棄しちゃいましょうよ」
「だからもう無理なの。今回の結婚を逃げたところで父は次々と話を持ってくる」
「もう二度とそうさせない方法があるんです。絶対にリリィさんを助けます。具体的には――」
怪訝そうな顔をしていたリリィも、私の話を聞くうちに以前の輝きを取り戻していったのだった。




