番外3 未来人の話
「吉良さんに詩織ちゃん、それじゃあねえ」
「はい、またお待ちしております」
常連である梅子さんが店から出て行くのを見送ると、先ほどまで賑やかだった店内はすっかり静かになっていた。
常連客のおじいちゃんおばあちゃんが帰り、そして仕事帰りのサラリーマンが夕飯がてら来るまでの間のこの時間は暇だ。テーブルも片付け終わりやることが無くなった私は店の奥で明日の仕込みを始めたマスターさん……吉良さんに声を掛けた。
「吉良さん、何か手伝いましょうか?」
「じゃあクッキーの生地を作ってもらえますか? 抹茶を多めにお願いします」
「今日はいっぱい売れましたもんね。分かりました」
先ほど常連のお爺さんが「明日孫達が来るんだ」と嬉しそうにテイクアウトの焼き菓子を大量に買っていった為、今日は多めに仕込む必要がある。
マフィンの生地を作っている吉良さんの隣でボウルに材料を入れて混ぜ始めると、それを見ていた吉良さんが「随分慣れましたね」と嬉しそうに微笑んだ。
この喫茶店でバイトを始めてから少し時間が経ったが、仕事をするのはかなり慣れて来たと思う。分からないと戸惑うことも随分と減ったし、こうして何も見ずに作れるメニューも増えてきた。
「……」
そしてもう一つバイトし始めた頃とは変わったことがある。私は隣でマフィンの生地を型に流し込んでいる吉良さんの横顔をちらりと見て、少しだけ照れてすぐに視線を戻した。
数日前から……私と吉良さんは付き合い始めた。私を好きだと言ってくれた吉良さんをずっと待たせてしまっていたのだけど、やっと自分の気持ちに整理が着いたのだ。
きっかけは何てことの無い、いつものバイト終わりのコーヒータイムのことだった。本当に何事もない、いつもと同じ吉良さんのほっとするコーヒーを飲みながら、いつもと同じように話をしていただけだった。
客だった頃の定位置であるカウンター席に座って、両手でカップを包みながら背を向けて作業をしている吉良さんを見上げる。
……やっぱり、吉良さんと話してる時間が一番好きだなあ、と思った。
あったかい雰囲気、落ち着くコーヒー、優しい声。全部が私の好きな物だ。
そしてそれを改めて実感したその時、素直に彼が好きだと認めることが出来た。もっと早く分かればよかったのだ。小難しい理屈や明確なきっかけなんて作らなくても、それだけで十分好きな理由になるのだと。
「吉良さん」
「はい?」
「好きです」
するりと喉から出てきたその言葉に、直後ガシャンと皿が割れる音がしたのは非常に申し訳なかった。
そういう訳で私達は付き合い始めた訳だが……例の永久就職云々については完全にノーコメントを貫いている。あれがどこまで本気だったか分からないが、突っ込むとやぶ蛇になる気がする。
「そういえば吉良さん、大学のゼミが一緒の子にものすごく運が良い子がいるんですけど、その子がこの前――」
クッキー生地を休ませる為に冷蔵庫に入れながらそんな話をしていると、表の扉に付けられたベルがカランカランと鳴った。
「いらっしゃいま……せ」
慌てて手を洗って店の奥から出て行くと、扉の前に立っていたのは、結構……いや、大分怪しい人だった。
温かい時期だというのに分厚そうなトレンチコートをしっかりと着込み、そして目深に帽子を被ってサングラスに大きなマスクまで付けている。手袋までしていて完全防備のその人はじっとこちらを見ているように動かず、私は我に返った後慌てて「お好きな席にどうぞ」と口を開いた。
そのコートの人は一度店内を見回すように首を動かした後にこつこつとこれまた頑丈そうなブーツを鳴らして迷いなくカウンター席へ――ちょうど私がいつも座るその席へ腰掛けた。
「ご注文がお決まりになりましたらお呼び下さい」
おしぼりとお冷や、そしてメニューを差し出すと、彼は無言でそれを受け取って静かにページを捲り始めた。それを確認した後一度店の奥へ戻った私は妙な緊張感が緩んでほっと息を吐いた。お客さんに言うには失礼だがやっぱりすごく怪しい。何かの指名手配犯だったとしてもおかしくはない。
「……吉良さん、あの人初めて来ました?」
「ええ。とは言っても顔が見えないのではっきりとは言えませんが」
こっそりと小さな声で尋ねてみると、彼も小さく頷いた。確かに、顔が分からないので知り合いの誰かがいたずらにやっていたとしても分からない。
もしくはものすごい寒がりだとか、日差しが苦手な人だとか。……吸血鬼とかだったりして。普通だったら笑い飛ばせる冗談でしかないが、正直エイリアンとかが存在している時点で普通に居てもおかしくない気がする。
そんなことを考えていると、カウンターの向こう側で件のお客さんが片手を上げる。すぐに注文を取りに向かうと、彼は依然黙ったままメニューに書かれている文字を真っ黒な手袋に包まれた手で指差した。
「え、と……パンケーキと、ブレンドコーヒーでよろしいですか?」
こくりと首肯するように帽子が動く。「少々お待ち下さい」と軽く会釈をして吉良さんにオーダーを伝えると、彼はコーヒーを、私はパンケーキを作る為に準備を始めた。
パンケーキは私がバイトを始めてから追加されたメニューだ。バターと蜂蜜が乗ったプレーンが基本で、さらに果物やチョコソースなどをトッピングで追加できるようになっている。が、おじいさんおばあさんが常連客の大半を占めるここでは大体注文されるのはプレーンで、真矢や紗希達が時々おまかせでトッピングを頼むくらいだ。まあパフェで余った果物やソースがもったいなくて作ったメニューなのでちょうどいいくらいではあるのだが。
もう何度作ったか分からないくらい焼き慣れたパンケーキを作り皿に移す。上に乗せたバターがじわりと溶けて、我ながら美味しそうに出来た。ちょうどコーヒーも淹れ終わったのでお客さんの元へと運ぶと、俯いていた彼が顔を上げて私が皿を置くのをじっと観察するように見てくる。
「……」
な、何だろう。何か不手際をしないか見張られているのか。しゃべらない上表情も分からないので何を思われているのか何ひとつ分からない。
ひとまずカウンターの中へ戻ると、コートの人は一度手を合わせてからパンケーキにナイフを入れ、マスクを外して俯きがちに食べ始めた。勿論美味しいともまずいとも何も喋らないが、それでもフォークを口に入れる手はよどみなく、時折コーヒーに手を伸ばしては満足げに息を吐いている。よかった。
あまり見ているのも良くないので使った調理器具を片付けようと動き始める。
――その時だった。
「……伏せてっ!!」
突然鋭く響いた高い声に反応する前に、私は全身に何かがのし掛かりバランスを崩して倒れた。
直後、乱暴に入り口の扉が開かれた音がすると同時に、ガガガガガ、と鼓膜が破れそうなほどの大きな音が店内に響き渡った。――銃声だ。一度だけ聞いたことがあるから嫌でも分かった。
ガラスなどが割れたような音が続き、私は何が起こっているのか分からないまま倒れた状態で私の上に乗る人物を見上げた。
「お、お客さ……」
「静かに、いいから店の奥に隠れて」
「詩織さん!! 大丈夫ですか!?」
と、吉良さんが血相を変えてキッチンから出て来ようとする。彼はすぐさま私に駆け寄ろうとしたが、「来るな!」とコートの彼――声からして彼女だろう――が大きな声で一喝し彼を止めた。
「――ターゲット二名、確認。殺せ」
「!?」
無理矢理引っ張られるようにして体を起こされて吉良さん共々店の奥へ追いやられようとしたその時、その声に店内を振り返った私はようやく状況を知った。
店の入り口に立つのは三人のガスマスクのようなものをした人達。その誰もが銃を構えており、そして店の中はその銃弾を受けて見るも無惨な様相を呈していた。
割れたガラスや食器、穴が空いたテーブル、壊れて床に転がるレジ。吉良さんの大事な喫茶店が、滅茶苦茶に壊されてしまっていた。
「……っ」
「早く!」
あまりに酷いその光景に息を呑んで立ち尽くしていると、力づくでキッチンの方へと押し込まれた。そして直後、再び耳をつんざくような銃弾の音が幾重にも響き渡った。
「お客様! あなたも――」
「心配いらない」
私を受け止めた吉良さんがコートの彼女を必死で呼ぶが、彼女は軽く首を振ってさらりとそう言った。
「ラティ、後ろに障壁を展開」
『――了解』
その瞬間、私達の方に向かって来ていた銃弾が目の前で弾かれるように消滅した。
「は?」
「な、なんだお前は!? その技術、この時代には無いはず――」
「それはそうよ。私は……あんた達と同じ未来から来たんだから!」
目の前で起こったことに私達がぽかんと口を開けている間に、ガスマスクの男達が酷く動揺したような声を上げた。……かと思えば、私達の前に立ちはだかるコートのお客さんが何やらまた突拍子のないことを叫び、そして身に着けていたコートを脱ぎ捨てる。
現れたのは、まるで戦隊もののボディスーツのようなものを身に纏ったポニーテールの女性だった。帽子とサングラスも取れば、僅かに見える横顔は私よりも少し年上に見えた。
「き、さま、イオ! 何故ここに!?」
「あんた達の計画は全部分かってるわ。だから待ち伏せてやったのよ!」
「くそ……っこうなれば仕方が無い! とにかくイオを殺せ!」
再び男達が銃を構える。が、その時にはもう彼女はとっくに動き出していた。
慌ててイオと呼ばれた女性に銃口を向けた男も、引き金を引く前に顎を思い切り膝で蹴られて倒れる。そしてあっという間に残りの二人も制圧した彼女は倒れ伏す三人の男達の中心で両手を軽く払い、「大したことなかったわね」と事も無げに呟いた。
「……詩織さん、これ夢じゃないですよね」
「……非常に残念ながら、現実です」
そしてそれらをぽかーんとしながら見ていた私は、私よりもこういうことに耐性のないであろう吉良さんの言葉に肩を落としながら頷いた。
「ラティ、こいつらを元の時代へ転送。あと障壁を解除して、この場所も元通りに」
『――了解』
「……うわっ!」
また彼女が何か喋ったかと思うと、どこからか機械的な声が返事をする。……と、その直後、突如視界全てが真っ白な光に包まれた。
何が起こっているのやら……展開に着いていけずにただ呆然にしていると、数秒後に光が止み、しばらくして光にやられていた目が見えるようになった。
「え」
吉良さんが言葉を失っている。先ほどまで居たはずの男達はどこかへ消え去り、そして滅茶苦茶になっていた喫茶店は何事もなかったかのように元通りになっていたのだから。食べかけのパンケーキまでしっかりとそのままだ。
「お騒がせしてごめんなさい」
「あ、あの……何が何だか……」
「私は……コードネーム、イオ。今から少し未来から来ました。そしてこっちはAIのラティ」
『こんにちは』
「こ、こんにちは」
イオさんは名乗ると同時に左手首に着いていたごつい腕時計を示す。そこから挨拶の声が聞こえてきて、どうやらラティと呼ばれたのはその時計が本体らしい。一瞬で店を直したりとか、AIも進化してるんだなあ……。
……なんだか当たり前のように理解してしまっているようだが、正直そういうものだと飲み込まなければやっていられない。不思議なことなんて世の中いっぱいあるものだ……将来的には未来人が過去に来ることだってあるんだろう。異世界から来る人だっているんだから……うん、未来の方がまだ理解出来る気がする。
私がそうやって自分を納得させていると、ようやく我に返ったらしい吉良さんが「とにかく、助けて下さってありがとうございます」とイオさんに頭を下げた。
すると、イオさんは何故か突然慌てたように「頭を上げて下さい!」と声を上げる。
「私達の事情に巻き込んでしまったんです! むしろ謝らないといけないのはこっちなんですよ!」
「ですが、彼らは僕達を狙っていたようでしたが……」
「それも元々こちらが原因ですから。……詳しいことは言えませんが、私は未来で警察のような仕事をしていて、こうして犯罪者を捕まえているんです。だから彼らの計画を知って、変装してここで待ち伏せさせてもらいました。……危ない目に合わせてごめんなさい」
『イオ、もうすぐこの時代に滞在できる時間が過ぎます』
「え、やっば!」
ラティというAIに急かされるように言われ、イオさんは慌てて席に戻って食べかけになっていたパンケーキとコーヒーを口に入れ始めた。
「おいしー」
「ありがとうございます」
がつがつと急いで食べているもののその表情は緩みきっており、本当に先ほどまで男三人をあっさりと倒した人と同一人物かと疑いたくなる。
しかしここまで喜んでもらえるとこちらも嬉しくなる。吉良さんと顔を見合わせて笑い合っていると、元気な声で「ごちそうさまでした!」と言ってイオさんが立ち上がった。
その瞬間、瞬きの一瞬の間に彼女はこの喫茶店から姿を消した。
「え……」
「消え……ましたね」
綺麗に食べられた皿と床に放り出されたままのコート、そしていつの間に置いてあったお金を残して彼女は忽然と居なくなった。
「不思議な人でしたね……」
「ええ……ですがまあ怪我も無くてよかったです」
「お店も元通りになりましたしね」
先ほど酷い有様になった喫茶店を見た時、本当にショックだった。此処は常連客や私のお気に入りの場所で、吉良さんの大切な職場だ。本当に元通りになってよかった。
「あ……」
「どうしました?」
「このお金……年号が」
苦笑しながら吉良さんが見せてくれたのは今から二十年以上先の年号が書かれた硬貨だった。使えるまで相当年月が必要なそれを手に、彼は「大事に取っておきましょうか」と微笑んで店の奥へ戻っていく。
「けど、まさか今度は未来人が来るとは思わなかった……」
私はイオさんが居なくなったテーブルを片付けながら感慨深く呟いた。転生者、異世界人、エイリアン等々見てきたが、未来人は予想していなかった。ホントに何でもありだな……。
皿を重ねてテーブルを拭いていると、ふと残されていた伝票を手に取った私はその裏に文字が書かれていることに気付いた。
「……は?」
“昔のお父さんとお母さんに会えて嬉しかった! お母さんのパンケーキもお父さんのコーヒーも未来と変わらず美味しかったよ! また数年後に会おうね。 吉良伊織より”
「え、えええっ!?」
「詩織さん!? また何かありましたか!?」
「な、ななな何でも無いです!」
思わず大声を出すとすぐさま吉良さんが戻って来て、慌てて何もないとぶんぶん首を振る。「ならいいんですが……」と少し心配そうに背を向けた吉良さんにほっとしながら、私は再度伝票の裏に書かれたメッセージを読み返し、いやまさか、と頭の中でパニックを起こしながら……とりあえず仕事をしようと皿を乗せたトレーを持ち上げた。
「……あ、そういえば」
「どうしました?」
「さっきのイオさん……なんとなく、詩織さんに似てましたね」
「!?」
思い出したように振り返ってそう言った吉良さんの発言に、私は足を滑らせた。
……食器だけは、死守した。
吉良伊織;祖父と祖母を師匠に活躍する二代目エイリアンハンター兼、最近はタイムマシン等を使った犯罪者を捕まえる極秘警察官。強すぎて、存在を抹消する為に生まれる前の両親を狙われて過去に来た。お母さんのパンケーキとお父さんのコーヒーが好き。