厄介な隣人
時は遡り海興王国 王都長港宮
太陽暦1304年6月終旬 呂登角
主様は執務室にて西の戦線より届いた報告を読んでおられた。
「連中、ようやく引き上げたか」
「はい。李将軍の奮闘と恵楽郡やその周辺領地の協力もあり、今年もどうにか乗り切ることが出来ました。ですがどうにも今回は随分と粘られてしまったようで」
私の報告に頷く主様。主様こと、高白麗様は長年続く隣国からの侵攻に頭を悩ませておいでである。
現状、建国当時から一切領地を奪われてはいないものの、隣国の燕国は再三にわたってこちらの領地に侵攻してきていた。それは私が海興王国で御役目を頂いていた頃より続くもの。
こうも侵攻を繰り返してくる燕国の狙いは2つ。
1つは海興王国西部に広がる豊かな穀倉地帯を押さえること。そしてもう1つは穀倉地帯の南の地にて発展している港町を奪取すること。燕国は北を山地に東以外を森林と海に囲まれており、唯一平坦な地で繋がっている西の海興王国領恵楽郡の地が喉から手が出るほどに欲しいのだ。
海興王国と燕国が領地を接してはや14年。両国の国境はずっと大西将軍である李雲玉将軍が守ってくださってはいるが…。
もはやこれが何度目なのかと数えるのも煩わしいと思ってしまうほどの侵攻の繰り返しに、主様も、他海興王国の人間の大半がうんざりしておられる。そろそろ何かしら有効な手を打ちたいところではあるが、逆に燕国に攻め込むとなるとこちらに利点が少なすぎるのである。
国境の北泉川を越えた先にあるのは、恵楽から一転して荒れ果てた大地であるゆえに。
「…損得度外視にしていっそのこと燕国領に攻め込んでやろうか」
主様の口より非常に物騒な言葉が聞こえた。そういった考えに至るのはわかるものの、その発言をとある一部の者たちに聞かれでもすれば一大事。
私は恐れ多くも主様に自重していただくようにと口を開く。
「しかしながら主様。主様があの地を得たとしても得られるものは微々たるものかと」
「分かっている。しかし守るに徹しているゆえに奴らは何度も何度も攻め寄せてくるのではないか?それに雲玉の爺様をいつまでもあの地においておくわけにもいかぬ」
苛立っておられる。主様は机を強く一度、二度と叩き、そして整えられた髪に触れて無造作にかきむしられた。
ここ数年は燕国の侵攻と撃退の報告を受けるたびにこの調子。私を除く側近らは誰も困って報告書を届けようともしない。決まって私のもとへと届けられるのである。その者たちとは違って、私は無官の役人であるというのに。
「そういえばそろそろ朱光様がお戻りになられるのではございませんか?」
気を紛らわせるための話題転換。主様もそんなことは見抜いておられるであろうが、気分転換も兼ねてか何も言わずに乗ってこられた。とりあえずはこれ以上悪くしないようにと、十分に発言に気を付けながら私は言葉を続ける。
「予定通りであれば本日の夕暮れ前には王宮に到着されるかと」
「夕暮れ前か」
主様はしばらく外を眺められ、そして小さく息を吐かれた。何か言われるのではないかと緊張する私を他所に、主様はおもむろに立ち上がり簡易の寝台へと腰を掛けられる。
「ならば朱光が戻るまで1人にしてくれるか。連日の燕の報告と内政諸問題の解決で少々寝不足のようである。少しばかり休息をとる」
「はっ。ではお戻りになられ次第、またこちらに寄らせていただきます」
「うむ」
私は頭を下げて部屋を出ていく。
あのようになられた主様を途中で起こすことは許されることではない。部屋の外を守る護衛の者たちに主様がお休みであることを伝え、朱光様の御帰還までは何人たりとも部屋に入れないようにと伝える。
この話を聞いた2人の護衛たちは緊張の面持ちで頷き、より一層厳しい表情でこの扉を守るとのこと。
安心した私は主様が用意してくださった私の執務部屋へと戻る。無官である私には勿体ない話ではあるが、主様がそれを認めてくださったのだ。
その道中、よく知った疲れた顔が私と向き合う形で足を止める。何か用があるのかと顔を上げると、その者は両手に何やら大量の紙の束を抱えていた。
「これは父上。主様のもとから戻られる道中でございましたか?」
「伏龍であったか。今から主様に報告に上がるのであろうかな」
「はい。燕国撃退に加え、もうじき始まる麦の収穫と納税集積の報告が物産省ほか、関連省庁より届いておりますので。主様には1度目を通していただかなければ」
よく見ると背後には多数の部下を連れていた。この者、我が倅の呂伏龍と申す者であり、王国三役の内の1つである尚書令の長を主様より賜っている。前任の長は私で、私が辞すると同時に賜ったのだ。同時に私は無官となり、色々と検討されたが全てお断りしたうえでお傍に仕えることが認められている。自分で言うのもなんであるが、主様のお傍に無官の人間が仕えることは異例中の異例。私が唯一の存在であった。
「しかし時が悪いな」
「時、でございますか?もしやお忙しくされているので?」
「いや。ちょうど今しがたお休みに入られた。朱光様がお戻りになるまでは誰も部屋に入れるなとのことである」
「それは…。なんとも時が悪うございました。此度の報告の中には陸宰相からの報告も含まれており、早急に返答を求められていたのでございますが」
陸宰相とは尚書令と並ぶ三役の1つで事実上王国内内政部門の長である宰相の役を与えられている陸桂葉宰相のことで、臣下全体の中でも絶大な発言力を誇る王国きっての切れ者。ただしこの『切れ』の意味は本来の切れ者の意味とは異なる。
主要省庁の人事において唯一の女でありながら、多くの官僚や役人を震え上がらせる。かくいうこの伏龍も陸宰相の弟子であり、随分と良いように使われた1人でもあった。
「陸宰相への言い訳を考える方が賢明やもしれぬな」
「…正直に伝えてもどうにもならぬものでございましょうか」
やや声が震えているのは、返答が未だ貰えていないことを報告した後で待ち受ける仕打ちを想像したからか。
背後の部下たちも震えあがってしまっている。
しかしそれは仕方がないものであった。尚書令とは他二役と主様の調整役のような役割を与えられているゆえに。私もなかなかに苦労したものよ。
「正直に言っても地獄、誤魔化しても地獄。しかし私はあの女と深く関わらぬと決めているからな。残念ながら力になってやれそうもない」
「…そう、ですか。では今はまだ返答いただけない旨を伝えに行ってまいります」
明らかに背が曲がって、頭が垂れている。気が重くて仕方が無いのであろうな。我が倅ながらなんとも哀れな姿である。
しかし何と思われたとしても、私はあの女とは2度と関わらぬ。それだけ厄介で、遠ざけたい存在であるゆえに。
とにもかくにも朱光様がお戻りされた際の支度を進めるとしよう。領地巡回をあの御年から始められること、さぞあの小さなお身体には負担であったに違いないであろうゆえ。
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