第21話 トキオ・オブ・ザ・デッド〈トキオ・オブ・ザ・デッド〉
モール内のすべてに合点がいった。
血溜まり。欠損した死体。吠える生首。急にラルゥを襲ってきたこの女もそうだ。
「この人、ハンバーグを持ってきてくれた人だよ」
「噛まれてないか?」
「え?」
「噛まれたり、引っ掻かれたりしてないか?」
「……してない、と思うけど。どうしたの?」
「多分なんだけど、こいつらに嚙まれたり、引っ掻かれたりしたら……」
「したら?」
「……その、知らないか?」
「何が?」
ラルゥが上目遣いに訊いた。
この世界に映画文化があることは確認済みだ。海の向こうの技術らしい。このショッピングモールにも映画館がある。
ラルゥの後ろで女が起き上がろうとしていた。椅子を顔面に叩きつけてやったら、折れた椅子の脚が眼球に突き刺さった。
「多分、この店員は他のアレに噛まれてこうなった」
「アレって?」
「この元店員のこと」
「じゃあ、私も噛まれるとコレになるってこと?」
「そういうこと。だから噛まれたり、引っ掻かれたりしないようにしないと。ところで、魔法銃は持ってるか?」
ラルゥは首を振り、
「家に置いてきた」
「俺もだ。レイピアは置いてきた」
なんてこった。武器がない。
モール内をここから見える限り見渡した。
「武器がいる」
『アンカー高原・牛』へ一度戻った。
厨房へ入る。アレになった料理人を足で蹴り押し、
「何か武器はないか? 使えそうなやつ」
「これは?」
ラルゥが包丁を見せた。
「それでいい」
起き上がりかけた料理人の頭を、先に手に持っていたフライパンで叩く。駄目だ。決定打にならない。
「こいつらの弱点は基本、頭だ。脳を破壊すればいい」
ラルゥから受け取った包丁を、料理人の頭に素早く突き刺した。料理人が膝からがくんと倒れる。
「見てたか?」
「うん」
「こうやって殺す。絶対に噛まれちゃいけない」
「引っ掻かれても駄目なんでしょ?」
「そう」
ラルゥの背後にもう一体、アレが見えた。女だ。おそらく店員だろう。とっさに俺は包丁を片手に構え、振り下ろして飛剣術を放った。斬撃がラルゥの傍を通り抜け、アレの頭が縦半分に割れた。
包丁の刃がくだけ散る。
「これじゃあ何本あっても足りない」
飛剣術は、ここぞと言うとき以外使わない方が良さそうだ。
婆さんから買った短刀、ナイフ、そしてレイピア──いままでに試したのはこの三本。包丁で飛剣術を使ったのは初めてだ。思ったより斬撃の位置がズレてる。俺は、ちゃんとアレの頭の真ん中を狙ったつもりだ。もう少しズレていたら、ラルゥに当たっていたかもしれない。刃物が脆いと、放つ斬撃も不安定になるのか。
「包丁を持てるだけ持っていこう」
顔についた返り血を袖で拭い、店の外へ出た。ここから最短でモールの外へ出るには、どこから行けばいいだろうか。ところで、外は安全だろうか。
連想が連想を呼び、俺は閃く。
「あ、そうだ……」
監視カメラのないショッピングモール。そんな技術は、この世界では見たことがない。少なくともこのモールにはない。
「ラルゥ、おもちゃ屋にあったフィギュア、あれ確か一〇〇種類って言ってたよな」
「うん」
「家にはいくつあるんだ」
「一つもないよ。新発売だもん」
「一つ目にエルフェレンが欲しかったのか」
「うん」
「じゃあ全部奪っちまおう」
「奪う?」
「言ってなかったけど、俺、豚鶏を狩る以外にもう一つ得意なことがあるんだ」
「何?」
「何だと思う?」
「んんん……わかんない。何?」
「シーフだ。物を盗むのが上手い」
「駄目だよ。人から物を盗んだら。犯罪だよ」
「人からじゃない、こいつらから盗むんだ」
足元の、アレになってしまった料理人を指さした。
いまこのショッピングモールには、楽園が広がっている。モール内全体が楽園である。
「飛剣術を使っていたら武器がもたない。ラルゥも銃がない。じゃあ店内にあるもので、こいつらを殺すしかない。でもただ殺して、ただ脱出するんじゃ働き損だ。俺たちは冒険者だ。モール内のアレどもをちょこっと処理してやる代わりに、何か報酬をいただかないと」
「誰から?」
「誰もくれない。だからちょっくら自主的にいただいて帰る」
「フィギュアを?」
俺は頷いてから、
「ラルゥはフィギュア一〇〇個コンプリート。俺は適当に冒険者ショップでも漁ろうかな」
「この包丁で全部殺すの無理じゃない? さっきの冒険者ショップに行こ。あそこなら魔法銃もあるだろうし」
「あの店に魔法銃は置いてなかった。もちろん剣もな」
剣は基本的に、質屋にでもいかないと売ってない。誰も使わないからだ。この世界の奴らは魔法銃ばかり。
忌々しい……。
見たくもないが、さっき来店した際に癖で銃を探していた。あれは大抵ガンショップで手に入るが、冒険者ショップでも偶に取り扱っているところがある。
「ガンショップは一階だ。それも厳重に管理されていて、ショーケースには鍵がかかってる」
防弾防刃耐衝撃の、斧で叩いても破壊できないようなやつだ。見た目はガラスケース。どこのガンショップも大抵同じ。
「じゃあ鍵を探せばいいじゃん」
「探すのは鍵とは限らない。鍵を持った店員かもしれない、アレになってしまった」
ああ、とラルゥが納得の声を漏らす。
「ラルゥの武器はひとまずそれでいいとして。俺のは歩きながら探す。あとは防具だ。冒険者が好むような軽装でなく、もっと頑丈な……アレに食らいつかれても歯が貫通しないやつがいい」
「Sランク冒険者──『黒鉄のマーカス』が好むような?」
「そうだ、鉄クズのカスが好むようなやつだ。デカいだけの無駄なアレが欲しい」
「黒鉄のマーカスだよ?」
「どっちでもいい。スポーツ用品店へ行こう。そこなら……知らんけど、なんかあるだろ」
アイスホッケーに使うようなマスクとかあればいいんだが。
店を出て、ラルゥと通路を小走りにエレベーターを目指した。
「いいかラルゥ、全力疾走は駄目だ。有酸素運動が大事だ。素人はアレを前にすると焦って全力疾走する。そしたら、どうなると思う?」
「ばてる?」
「そうだ、ばてる。ばてると判断力を失い、慌て、さらにばてる。悪循環だ。アレは足が遅い。見た感じ、いま店内にいるアレも足が遅いタイプだ」
「足の速いアレもいるの?」
「ああ、そういう邪道なアレもいる。俺はそういうのはアレとは認めない」
「じゃあ何なの?」
「クリーチャーとかミュータントとか……ともかく、そういうのはアレとは言わない。それからもう一つ、英雄になろうとするな。エルフ野郎みたいな美形が困っていても、助けを求められても、助けに行くな」
「どうして?」
「巻き込まれる。いい恰好しようとして死んでいった奴らを俺は何人も見てきた」
「何人も? トキオ、こういう状況経験あるの?」
「まあな」
あるわけない。
アレを避けたり、頭を突き刺したり、手すりから一階へ突き落したりしながら通路を行った。階段で二階へ下り、スポーツ用品店を目指す。
店は、地図で言うところの左端にあった。
「『クリティカル』のところならあるかも」
店の前に到着すると、ラルゥが聞きなれない単語を言った。
「『クリティカル?』」
「魔法銃で打ち合うスポーツだよ。ワンチーム十一人で、二つのチームで撃ちあうの。先に全滅したチームの負け」
「その競技は頑丈な防具を使うのか?」
「頑丈だと思うよ。魔法銃で撃たれても、すぐには死んだりしないし」
「すぐじゃなければ死ぬのか?」
「偶に死人が出る」
二人で『クリティカル』のコーナーへ向かうと、そこにラルゥの言った防具の数々が展示されていた。
異世界であることを忘れていた。
すべて西洋甲冑のようだった。少し違うのは、頭に耳が着いていたりとダサい。
「獣貰いを模してるんだよ。元々は獣貰いを撃ち殺す、『獣狩り』から着想を得たゲームなんだよ」
デストバとニルフシュテンの顔が浮かんだ。どうしているだろうか。あの大草原で平和に暮らしているだろうか。
ラルゥが早速、肩当て、籠手、胸当て、腰当て、太もも、膝当て、脛当てを選び、装着し始める。全身銀一色。軽装鎧だ。
「これならサイズが合うんじゃない?」
俺が迷っているとラルゥが教えてくれた。彼女はショーケースに展示されている金色の西洋甲冑の傍まで行って、ネームプレートを確認した。
「グリフォンの鎧だって」
兜はおそらくグリフォンの顔を模しているのだろう。鷲だ。いや、鷹か? もしくはハヤブサか。多分、鷲だ。イーグル。側頭部にグリフォンのものらしき翼が、エルフの耳みたいにして生えている。
「ラルゥのやつのがいい」
ラルゥが猫耳の生えたヘルメットを被っていた。
「着慣れてるな。やったことあるのか? このスポーツ」
「昔お父さんとやった」
黙ってグリフォンの鎧を選んだ。
黄金と白銀の鎧にそれぞれ身を包んだ俺たちは、我出陣──、と言わんばかりにスポーツ用品店を後にする。ラルゥは包丁を両手に二本、両越しに予備の包丁を一本ずつ携えた。野球に使うような金属バットを、俺は両手で一本握りしめる。背中に予備を二本背負った。
アレを原始的に殴り、刺し、それを繰り返しながらモールを闊歩する。参ろう、楽園へ。
そのうち楽しくなってきた。
寄り道し、殺す必要のないアレまで殺した。現世の頃の話だが、スペインにはトマト祭りというものがあるらしい。
階段を下り、そうこうしているうちに例のおもちゃ屋へ戻ってくる。手近なところにあったカートを二つ借り、店の奥へ向かった。
店内を、うーうー、言いながら徘徊するアレを他所に、
「カゴに入れよう、全種類だ」
ラルゥが暑いのか兜のバイザーをかぱっと開けた。汗びっしょりだった。フィギュアの箱をカートへ放り込む彼女の目や口元、その疲労の奥に笑顔が見えた。
「全部入れたよ」
しばらくしてラルゥがすべて入れ終えた。
「他に欲しいものは? いまだけだぞ」
「じゃあこれも」
ラルゥがボードゲームを三つほどカートに入れる。カートの上段が二台ともほぼ埋まった。
その足で冒険者ショップへ向かい、ズボン、ベルト、靴、ジャケットやソックスをカートの下段に入れていくのだが……。
「あの白いジャケットがいいんだよなぁ……」
脳裏にちらつく。
ないものはない。仕様がない。
ムシャムシャ──音がした。振り返るとアレが床に四つん這いになって人間の肉を食べていた。ラルゥが積極的に殺しにいく。俺も参加した。
「なんか腹減ってきたなぁ……。なあ、腹減らないか?」
「減る」
「だよな。アレが人間食ってるとこ見ると、腹減るんだよ。さっきのあれ、なんだっけ、あの肉屋」
「アンカー高原」
「そうそれ。その店戻ろう」
追加で衣類を放り込み、カートをラルゥと分けた。エレベーター前まで運んだ。
「あとで取りに来よう。誰も盗らないだろう」
「盗るのは私たち」
ラルゥが悪戯な笑みをした。
エレベーター前にひとまず置いておき、その足で三階へ戻る。
『アンカー高原・牛』に到着し、厨房へ行った。冷蔵庫的な冷えた箱から肉を取り出し、勝手に焼いた。店内にあったカートを持ってきて、店にあったワインをいま飲む分と持って帰る分にわけ、カゴへ入れた。シーザーサラダ、コンソメスープ、ステーキにスパークリングワインと食い散らかし、ラルゥとパーティを始めた。腐らせるくらいなら、と店にあった肉を適当に焼いていく。ニンニクを切り──わさびと醤油はなかった──ピンクペッパーっぽいものがあり、それをステーキに着けて食べた。右隣の店にも寄り、ムール貝も焼いて食った。
フードコートにも立ち寄り、サババーガーショップのポテトを食らい、コーラ的なドリンクをサーバーからじか飲みした。いまはアウトブレイク渦、バイトテロなど些細なこと。
二階に戻り、エレベーター前に置いといたカートへワインボトルを移し替える。
巨大な円形の吹き抜けの先が騒がしかった。
欄干から見下ろした先は一階の円形広場。上がった悲鳴が二階、三階と宙に満ちている。下で生存者たちがアレから逃げ回っているのが見えた。カートに商品を大量に入れる人の姿もあった。俺たちと同じだ。
「いま行くと巻き込まれそうだな」
「どうする?」
「少し待つか……ん?」
「どうしたの?」
男の喚き声みたいなのが聞こえた。すぐ近くからだ。
「何か聞こえた」
カートをそこに置き、俺は自然と声のする方へ歩いた。
そこは映画館だった。辺りは暗く、チケット売り場がある。天井が他のエリアと比べてひときわ高く、キャラメルポップコーンの匂いがする。
俺とラルゥはそいつを見つけるなり顔を見合わせ、にやりとした。
「ロスラフ、助けてくれ。こいつらの注意を引くんだ」
ジャクマールの姿があった。彼はチケット売り場に立てこもり、その周囲を大量のアレに囲まれていた。身動きが取れないらしい。そこから離れた場所に、膨張したマシュマロこと、ロスラフの姿もあった。助けを求めるパパの声に、彼は棒立ちで震えている。
「けっ、見ものだな」
そう俺が言ったあと、
「けっ、見ものだね」
とラルゥが真似する。
「おおお! きみたちはさっきの!」
ジャクマールと目が合った。狼狽する彼の顔と目は真っ赤で、血が噴き出しそうなほどだ。
「助けてくれ。さっきのことは謝る!」
俺はラルゥへ言った。
「俺が最初に言ったことを覚えてるか?」
「最初?」
「英雄になろうとするな」
ラルゥは思い出したらしく、
「助けを求められても、助けにいくな──。覚えてるよ」
「エルフェレンみたいな美形が困っていてもだ」
「美形じゃないよ、ジャクマールだよ」
ジャクマールがしつこく助けを求めている。
「手のひら返しが過ぎないか? さんざん馬鹿にしておいてよ。アレに手首食われたか?」
ロスラフが俺たちのところにやってきて、
「お願い、パパを助けて。あのままだと食われちゃう」
「Aランク冒険者なんでしょ?」
ラルゥが意地悪く言う。
「自分でなんとかしなよ。私は未登録、こっちはランク外」
涙と鼻水でべちょべちょのロスラフの顔が、しわくちゃになってゆく。雑巾を絞ったみたいだ。
「仕様がないなぁ、一発いっとくか」
「え、助けるの?」
ラルゥがやや驚いたように言った。
「え……うん。だって助けてって言ってるし」
「助けたら巻き込まれるんでしょ?」
「大丈夫だろ、近づかなければ」
俺はバットを両手で握り、腋を上げてブルータルスウィングの構えをした。俺なりのライトニング一発でいけるだろう。
助ける気まんまんに、意気込んで振った……のだが。
「……あれ?」
シーン──。
無音。何も出なかった。。
「何を素振りなどしているのだ、早く助けてくれぇ!」
やかましい奴だ。だが確かに、早くしないとまずい。アレの大群がカウンターを越えそうだ。
「刃物じゃないと駄目なんじゃない?」
「そうかも。考えたことなかった」
ラルゥから包丁を受け取った。バットと交換し、再度ブルータルスウィングすると、彼女の言ったとおり弧状の斬撃が放たれた。それは途中で形を変え、電流となって拡大し、枝分かれして売り場前のアレの大群を襲った。
包丁の刃が砕け散る。代わりに、アレの肉が消し飛んだ。
キャラメルポップコーンの匂いと、ジビエみたいな焼肉の匂いが立ち込める。レジの向こうに、毛髪が焦げて爆発したジャクマールの姿があった。
「ありがとう。恩に着る」
彼は茫然としていた。
「やっぱりアンデッドじゃなかったか」
一部電撃に焼かれず動ているアレの呪いが解けていない。エルフェレンにも効いた電撃だ。俺なりのライトニングで解呪できないってことは、アンデッドじゃないってことだろう。
ジャクマールが「ロスラァァフッ!」とロスラフと抱き合う。親子の感動の再会だが、俺とラルゥは白けていた。
「何とお礼を言えばいいか。この借りは必ず返す」
「礼はいらん。ジャケット寄越せ」
「フィギュア寄越せ」
ラルゥが付け加える。
「ああ、あの白いジャケットだな、いいとも。差し上げる。そこのカートの中だ。エルフェレンのフィギュアも入っている」
ロスラフはもうフィギュアのことなど、どうでも良くなったらしい。ずっと辺りを徘徊するアレに怯えている。
ジャクマールの言った通り、カートのカゴの中にエルフェレンのフィギュアがあった。白いジャケットもだ。
「ラルゥ」
フィギュアの入った箱をラルゥに見せると、彼女は穏やかに微笑んだ。
マイカートにそれらを加え、エレベーターへ乗り込もうとする俺たちを、ジャクマールが「待ってくれ」と呼び止める。
「何だよ」
ラルゥもうざがった。
「ど、どど、どこへ行くつもりかね」
ロスラフと二人して、彼はモールのあちこちへ目を見やりながら怯えていた。まったくこちらを見ていない。尋常じゃなく、落ち着きがない。
「どうしたんだよ、さっきから」
二人とも、天井を見ている。顔の前で手を振ってやると、彼ははっとしてこちらを見た。気持ち悪い笑顔だ。引き攣り、動揺にまみれている。
「何をそんなに怯えてんだ」
「一階へ行くのかね」
「そうだけど?」
「我々も……」
ジャクマールの喉仏が動くのが見えた。唾がつっかえたらしい。飲み込んだ。何故だか走ったあとみたいに息が荒い。こいつ感染してね? と思ったが負傷している素振りはない。衣服も破けていないし、体のある部位をしきりに摩っているとか、袖で隠しているとか、気にしているとか、そんな感じもない。
「同行させてくれ。脱出したいんだ」
「……別にいいけど」
カートを先に入れ、俺たちのあとにジャクマールたちも乗り込む。一階へ下りるとき、ジャクマールがぼそっと言った。
「奴がいる」
「奴?」
そのタイミングでエレベーターの扉が開く。
一階はまだ阿鼻叫喚の渦中にあった。買い物客がすぐ傍のパン屋の店員に、清掃のおばさんに、食品売り場の店員に、──襲われている。
モール内のどこか上の方をきょろきょろ見ながら、ジャクマールとロスラフが先に出てゆく。
「何だこいつら」
ラルゥと目が合った。
「アレに噛まれたんじゃない?」
彼女も俺と同じことを思っていたようだ。
「かもな」
俺は鼻で嗤った。
円形広場はこのモールのエントランスで、最初に入ってきた出入り口が見えている。
「トキオ、食品売り場があるよ」
「行っときたかったな」
「行こ」
「もう出たほうがいい。外の人間が気づいて、町の自警団とか警察が入り込んできたら厄介だ。これ全部没収されるぞ」
不満げに唸ったラルゥが、何かに気づいたように指を差す。
ジャクマールが逃げ惑う生存者の腕を掴み、引っ張ってアレにぶつけながら、ロスラフと逃げようとしていた。
あまりのクズさに笑ってしまったときだった。急に耳をつんざくような音が響いた。
びっくりして顔を怯ませ、ラルゥが両耳を塞ぐ。鉄工所から聞こえる金属が擦れ合うような音だ。むかし一度見たコカトリスの鳴き声にも似ている。
「あそこ!」
ラルゥが耳を塞ぎながらどこかを見ていた。
人間でないことはすぐにわかった。エレベーターのガラスの外壁を、手と足の四足で、這うように下りてくる姿が見えた。頭が下を向いている。
「アンデッド……?」
そう思ったとき、白濁した両目が見えた。アンデッドじゃない。だがアレでもない。アレは壁を這ったりしない。それは邪道だ。
何でもいいが、クリーチャーと呼んでおこう。そいつは手に、折れた剣の刃を握っていた。刀身が赤く、一瞬俺のレイピアかと思った。
日本の、戦国時代の足軽のようにも見える。四股立ち、という空手や相撲で使われる股を開いた立ち方があるが、広場へ下りるなりクリーチャーは四股立ちで器用に闊歩した。蟹が二足歩行をしているみたいだ。アレに襲われている人間へ、その赤い剣を爪楊枝のように突き刺してゆく。俺は目を見張った。剣の刀身が血を吸って、わずかに見えていた刃こぼれが直った。
「……俺のレイピア?」
そうでないことはわかっている。あれは家に置いてきた。クリーチャーが人を刺すたび刀身が再生し、それは鍔や柄などの拵がない、いわゆる裸身状態の剣となった。
クリーチャーが俺の頭の上を飛び越えた。逃げようとしていたジャクマールの前に降り立つ。彼は声を失い、後ずさる。
「パパ!」
ロスラフが戦慄する。
「ロスラフ、来るな!」
ジャクマールはロン毛を掴まれ、持ち上げられた。
足をばたつかせながら、
「やめろ、放せ……」
俺はラルゥの腰から予備の包丁を抜き取り、とっさに斬撃を放つ。それはジャクマールを掴んでいたクリーチャーの腕を切断し、セロリのように跳ね上がった。ジャクマールが床へ落ちる。
クリーチャーの頭を狙ったつもりだ。いつものレイピアなら当たっていたはず。やはり包丁では上手くいかない。その包丁も砕けてしまった。
クリーチャーが俺へ体を向ける。苛立ったように、見向きもせず、手近なところにいた客の首を赤い剣で刎ねた。倒れた死体へ左右からアレが群がってゆく。腹を引き裂き、中から飛び出した胴長のソーセージを食い漁った。
「ロスラフ……」
匍匐前進でその場を離れたジャクマールが、か細い声でロスラフへ呼びかけた。こっちへ来い、と手を振っている。ロスラフは足音が鳴らないよう、ゆっくりとジャクマールの傍まで行った。
ラルゥと俺は静止した。
クリーチャーが俺とラルゥを見ている。身動きが取れない。
「あの二人、逃げてくよ」
「ロン毛とデブは、大概すぐ死ぬんだけどなぁ……」
ラルゥがゲロを吐いた。死体が食われる姿に耐えきれなかったらしい。
周囲のアレがラルゥに気づく。俺は金属バットを床に擦しながら、カンカンカンと音を鳴らした。アレとクリーチャーの注意が俺へ向く。そのままラルゥから離れ、誘導した。
口を開きかけたラルゥへ、俺は人差し指を唇に添え、静かにするよう伝えた。
短髪ほど生き残りやすい。ロン毛とデブは、いつも映画の序盤で死ぬ。ハゲは、短髪の極致だ。俺がもっとも生き残りやすい……はずなのに。
「できれば後ろから、アレの頭を包丁で刺していってくれ。あとは俺が引き受ける。自分のことだけ考えろ」
ラルゥは静かに頷き、近場のアレの後頭部を包丁で突き刺した。抜くときに返り血があり、手の甲で拭った彼女の頬で赤色が伸びる。
もう一体、もう一体とラルゥが地味に数を減らしてゆく。
俺も傍のアレにバットを振り下ろした。床に倒れると何度も叩き、割れた頭からラズベリージャムが溢れ広がる。それが気に入らないという風に、クリーチャーが奇声を上げた。俺を威嚇するように。
獲物を定めたらしい。周囲のアレの間を縫い、クリーチャーが蟹歩きで近づいてくる。子どもが地団太を踏むような歩き方だった。それで思い出した。ジャクマールとロスラフに目当ての品を横取りされたあと、ラルゥも床を踏み鳴らすように歩いていたっけ。
「ラルゥ、もういい。逃げろ」
俺は叫んだ。これが最後だ。お別れだ、ラルゥ。そう思ったとき、ふと視界の端の死体が気になった。俺の足元に、ウィンドブレーカーを着た男の死体があった。顔に見覚えがある。
どうして彼がここに……。
いや、そんなことはどうでもいい。もう。
「トキオ!」
ラルゥが包丁を床に滑らせた。アレの足元をすり抜け、包丁が俺の足元までやってくる。
俺はしゃがんで拾い、立ち上がりながら居合い斬りをかまそうとした。クリーチャーがそれを先読みしたように、包丁の刃の導線上に、その赤い剣の刃を合わせてきた。刃と刃が触れ合う。俺の包丁の刃が野菜みたいに切断される。
飛剣術は、発動しなかった。
ブルータルスウィングにすべきだったか。初動で、俺なりのライトニングが出せたかもしれない。
クリーチャーがそのまま、こちらへ赤い剣を振り下ろそうとしている。
結局、どうして彼の死体がここにあるのか、このクリーチャーの赤い剣は何なのか、俺のレイピアと同じなのか、何もわからなかったなぁ……。
スローモーションのなか、俺は終わりを悟る。視界の端から包丁が飛んできた。それが頭に刺さり、クリーチャーの動きが止まった。
ラルゥがだった。最後の包丁を、彼女は投げた。クリーチャーは唸りながら引き抜くと遠くへ放り投げ、ラルゥへ注意を向けた。
バットで床を叩き、俺は音を鳴らす。クリーチャーが振り向かない。俺はさらに強くバットを叩きつけた。
「こっちだ!」
叫んだ。それでもクリーチャーは振り向かず、どんどんラルゥに蟹歩きで迫ってゆく。ラルゥがあぶない。
「ラルゥ!」
俺はラルゥへ走り寄ろうとした。駄目だ、間に合わない。ラルゥが俺に手を伸ばしている。助けてほしそうに、俺を見つめている。
瞬間、俺の視界が真っ赤に染まった。
何が起きたのかわからなかった。直前に爆発音が聞こえた気がする。茫然としながら、どこか諦め、悟るように、俺は自分の顔に着いたものを手で拭う。手が真っ赤になった。血肉だった。
クリーチャーの頭部がなかった。
ラルゥが生きている。俺と同じように、凍結している。彼女へ赤い剣を振り下ろそうとしたまま、クリーチャーも凍結していた。
輸入食品専門店に、銃を構えるロスラフの姿があった。M14マークスマンライフルのような銃だ。サイトを覗き込んでいる。
「でかしたぞ、ロスラフ! いい腕だ」
ジャクマールの声がした。彼は二丁のリボルバーを両手に、広場のアレを撃ちながら俺たちの前に駆けつけた。
「怪我はないかね、お二人さん」
思わず安堵のため息が漏れ、俺は両膝に手を着いた。
「助かったよ。流石に終わったと思った」
「借りは返す、そう言っただろ」
ジャクマールがそう言って、懐がハンドガンタイプの魔法銃を一丁くれた。俺は受け取らず、
「ラルゥ。銃だ」
彼女へ譲った。ジャクマールが微妙な顔をしたので、
「使えないんだ、俺。魔力がないもんでな」
「魔力がない? 我々を助けてくれたとき、凄まじい雷鳴魔法を使っていたではないか」
「あれは違う。あれは、俺なりのライトニングだ」
「俺なりのライトニング?」
「俺は、銃は使えない」
そのあとのことはよく覚えていない。何しろ楽しかった。楽しかった記憶を留めておく必要は、必ずしも人にはないのかもしれない。
円形広場のアレを一掃し、四人でモールの外へ出ると辺りは静かだった。
特殊部隊か何かが突入準備をしているだろう、そこへ中のアレを一掃し終えた俺たちが出て行って、『もう終わったよ』と声をかけ、のちに俺たちはショッピングモールの英雄として警察から表彰される。カーペントゥルクにおいて時の人となり、金を稼ぎ、女にモテ──。
ジャクマールたちとモールへ戻った。
食品売り場をカートを押して走り回り、その場で飲み食いし、汚し、食品を好きなだけカゴへ放り込んだ。一喜一憂したあと、白いジャケットやフィギュアたちを乗せた二台分のカートと一緒に、俺たちはショッピングモールを後にする。一人一台カートを押し、商業施設の立ち並ぶ一帯を離れた。
「いずれまた会おう、トキオ殿」
別れ際、そう挨拶を交わすくらいには、俺たちは意気投合した。ジャクマールたちも、大量の食品やら何やらたっぷりシーフして帰っていった。
ラルゥの自宅リビングに荷物を上げ、俺はひとり、その足でギルドへ向かった。




