第21話 なぜ、昔は壊れなかった
会議室の空気は、静かだった。
怒号も、焦りもない。
ただ、誰もが資料を見つめ、同じ一点で思考を止めている。
「……数値上は、誤差の範囲です」
分析担当が、慎重に言葉を選ぶ。
「ですが、変動の方向が一貫しています」
画面に映し出されたグラフは、わずかに持ち直していた。傾きは小さい。だが、偶然にしては整いすぎている。
エリオ・クレインは、腕を組んだまま、その線を見つめていた。
「再現性は?」
誰かが聞く。
「ありません」
即答だった。
「条件を揃えても、同じ結果にはなりません」
会議室に、沈黙が落ちる。
再現できない。
それは、この場では説明できないと同義だ。
ヴァイス=ヘルツが、ゆっくりと口を開いた。
「過去の記録を参照しました」
彼の声は、いつも通り穏やかだ。
「旧式運用時代にも、同様の微細回復例は確認されています」
誰かが、顔を上げる。
「……問題として扱われていなかった、ということですか」
「はい」
ヴァイスは頷いた。
「当時は、基準が曖昧だった。数値よりも、継続可能かどうかが重視されていた」
エリオは、その言葉に引っかかった。
「壊れなかった、という評価ですね」
「そうです」
ヴァイスは、淡々と続ける。
「最適ではなかったが、破綻もしなかった」
それは、評価としては低い。
だが、今となっては、重い。
誰かが言った。
「……では、旧式の方が良かったのでは?」
その言葉に、すぐ反応が返る。
「それは違う」
ヴァイスだった。
「旧式は、不安定で、説明できず、属人的です」
彼は、はっきりと言う。
「偶然壊れなかっただけのものを、完成形とは呼べません」
正論だった。
誰も反論できない。
エリオは、口を開いた。
「ですが……結果として、人は壊れていませんでした」
会議室の視線が、一斉に集まる。
エリオは、続けた。
「今は、壊れています」
言葉は、静かだった。
ヴァイスは、少しだけ考え込む。
「……壊れている、とは?」
エリオは、言葉を探す。
「生活は続いています。数値も正常です」
「では?」
「元に戻れない、という意味です」
沈黙。
ヴァイスは、ゆっくりと首を振った。
「それは、評価できません」
その一言で、議論は終わった。
評価できないものは、扱えない。
会議は、結論を出さないまま散会した。
廊下に出たエリオに、リアが追いつく。
「……言い切りましたね」
「言ってしまいました」
エリオは、苦笑する。
「でも、証明できない」
リアは、頷いた。
「だから、戻れません」
二人の間に、短い沈黙が流れる。
「昔は……」
リアが、小さく言う。
「神が、責任を引き受けていたんでしょうか」
エリオは、すぐに答えられなかった。
神がいた時代。
説明できないものは、神の領分だった。
うまくいけば、奇跡。
失敗すれば、神の気まぐれ。
責任は、どこかに置けた。
今は違う。
説明できない成功は、
存在しなかったことにされる。
その夜、神殿では、風だけが吹いていた。
石像は、そこにある。
だが、反応はない。
誰も、神に問いかけない。
なぜ、昔は壊れなかったのか。
その答えは、
もう、世界の中には置かれていなかった。
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