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遠くから声がする。
火事だ火事だと騒ぎ立てているのだ。
ここは独房。木造家屋と違って簡単に燃えない。だからといって火に対する本質的な恐怖が消えるわけではない。
ノア・ハイデリヒもその一人だった。
本棚に目をやり――それから、はっとしてリベルテを見る。やられた!
リベルテは、笑んでいた。
「ありがとう」
「……君の“仕込み”か?」
「森で暮らすエルフは火に本質的な恐怖を抱く。そして生き物は恐怖を感じると、大事なところに目を向ける。……お母さんなら、子供を見る。一番大切の……はずだから」
声は外に仕込んだもう一個のクリコムから流れていた。実際には火事なんて起こっていない。
ノアが見ていたのは本棚だ。ここに金を隠しているのでなければ、もっと別のものを隠しているのだろう。例えば、起爆装置とか。
リベルテが手を伸ばす前に、本はノアには奪い取られていた。
だが、かろうじてラベルは読めていた。
「聖書ね。空の妖精ニーヴの世界創生」
「異国では空とはアカーシャ。世界が生まれ出てから、その終わりまで神羅万象過去未来全てが綴られていると言われている」
だが私は違う。ノアはそう言って聖書に手をかける。
リベルテは胸元に手を伸ばしていた。
「私は未来を作る!」
聖書のページをめくりながら目を見開き、そのまま凍りついた。
「未来はあった?」
リベルテが話しかける。だけどノアは答えられない。
スイッチがない。聖書をくりぬいて、入れていたはずのスイッチが。
ようやくノアは気づいた。この聖書は違う。寄贈書である中古品の特徴は、一ページ一文字すべて覚えている。ページの折り目も、紅茶の染みも、75ページ第5節のスペルミスも、装丁のかすれや手垢一つ一つに至るまで全て!
だから断言できるのだ。その聖書はノアのものではない。
そもそも“ここ”は、“ノアの独房”ですらない。
リベルテは提げていたクリコムを口元に寄せて、相手に呼びかけた。
「聞こえる? アイリス」
遮光眼鏡を外して、女は素顔をさらす。
年相応の可愛らしい顔立ち。林檎のような甘い声。
「君は……アイリスではないな?」
「残念でした」
女はニコニコ笑いながら距離を取り、唯一の出入口をくぐる。
そしてクリコムに向かって――その先にいる双子の姉に向かって呼びかけた。
「スイッチは聖書の中。探して!」
「待ってくれ。どういうトリックなんだ。知りたいんだ――」
ノアの懇願を聞く気はなく、女――クラリス・リベルテは独房のドアを閉じて鍵をかけた。




