「敬語の弟」知らない時間。
母、弟、そしてボクの三人で夕食を囲んだ。
夕飯のメニューは「餃子」だ。
ボクの好物だった・・・・いや、弟の好物でもある。・・・いや、父も、祖父も好きだった。
座卓の中心に大皿で出されたものを、いつも男どもは旨そうに食べていた。
父はビールを飲み、祖父は日本酒で・・・・テレビからは阪神タイガースが流れた・・・・開け放たれた縁側から夏の風がそよいだ・・・・夏の風物詩だった・・・
・・・・目の前で、弟がメシを食っていた。・・・・文字通り「メシを食う」という表現がピッタリに餃子と白米をかっ込んでいる。
・・・・よく食うなぁ・・・・
思わず笑いが込み上げてくる。
母も嬉しそうに何度目かの餃子を焼いていた。
弟は野球部だ。・・・・ボクにも経験がある。部活を始めると、そりゃあ腹も減る。・・・・そして、食ってる最中から腹が減る年頃だ。
・・・・テレビからは、阪神戦が流れている・・・・右の本格派、エースの藪がマウンドに立っていた。
弟と3番大豊に「打て!」と念をおくり、ショート今岡の守備を褒め称えながら観戦した。
野球を観ている弟からは「野球少年」らしい・・・なんというか、ハツラツとしたものを感じた・・・・少し安心した・・・・相変わらずボクへの言葉は「敬語」だったけれど・・・・
弟と過ごした時間は長くはない。
ボクは18歳で東京に出ていった・・・・・弟は10歳だった。
つまりは10年しか一緒に過ごしていない。
それに・・・・ボクは高校生から一人暮らしをしていた・・・・それに・・・・それに・・・・・弟と過ごした時間は長くはなかった・・・・
・・・・部屋の隅に小さな祭壇が設けてあった。父の写真が飾られている。
線香から煙が立っていた。
・・・・帰ってきて、すぐに弟が火を点けていた。
写真立ての前には茶碗・・・ご飯があって、餃子が2個並んでる。
母も餃子を供える時に手を合わせていた。
・・・・ボクは・・・手を合わせなかった。
祭壇から少し離れて重なった大小の段ボール箱。・・・・遺品だという。母から見てほしいと言われていた。
「欲しいものは貰ってくれ・・・」
献花が多い・・・こんなに多いものなのか?・・・やたらと学校名が多い、目についた・・・小学校、児童館・・・
確かに、ボクが子供の頃には、父はPTAの役員、会長といったことを長く務めていた。
・・・幼稚園、小学校・・・入学式、卒業式といえば、PTA会長として、登壇して挨拶をしていた。
父は、トラック運転手としての作業服姿よりも、PTA会長といったフォーマルな・・・「公式な席」の似合う人だった。
背が高く、そして足が長い・・・・どこか、存在に「華」があった。
とても「トラック運転手」が似合うという人じゃなかった。
・・・・そういえば・・・・どうしてトラック運転手だったんだろうな・・・
子供は、自分が生まれた以前の「親」を知らない。
・・・・どうして、その職業に就いたのか・・・・どうして結婚したのかさえ・・・
親は、自分が生まれた時には、すでに親であり・・・・「親」以前の姿を知らない・・・




