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「溺れた犬は叩け」没落。


母屋には祖父がひとりで住んでいた。

24帖の大広間・・・そこには「床の間」と呼ぶには、あまりに大きなスペースがあった。


・・・・舞台やったという。

以前は、ここで簡単な「能」が舞われていたとは大人になってから知った・・・それに隣接した12帖の広間・・・・居間がある。

・・・さらに8帖の部屋・・・ここを祖父が寝室にしていた。

・・・・その他に8帖の客間。


そして、その母屋から渡り廊下・・・・長い廊下でつながれた「離れ」、別棟がボクたちの住まいやった。・・・っても、そこは8帖と6帖の2間しかなかった。


敷地は、建物の広さの5倍はあった。

そうだ、ボクの家は代々、この地を治めてきた「庄屋」筋の本家にあたる家だった。

古より、この地を治めてきた「豪農」と呼ばれる一族だ。



豊臣政権で「検地」が行われ、その身分が確定した。

・・・・以来、徳川幕府下で、権力は絶対的なものになった。


明治維新・・・それは、武家社会の解体であって、農民社会は、そのまま保持された。年貢の収め先が、徳川幕府から明治政府に変わっただけのことや。


父が、外で「ボン」と呼ばれ、叔母が「お嬢」と呼ばれていた理由がこれだった。



一族は、大きな流れでは3系統に分かれていた。

本家であるウチ・・・・ウチは、農業を主体としていた。

そして山林事業を柱としている分家。

そして、もうひとつの分家筋、ゴンの家系・・・ここは、商業を生業としていた。


どうやら、どこかの時代で領地の中での「田畑」「山林」「商業」を一族できっちりと家業として分割したらしい。


当然、昔は「農業」・・・・とにかく「米」が主役なので本家がそれを担った。

そして、分家2系統が、「山林」「商業」を担った。

・・・・この段階での「商業」ってのは、農作業から派生した・・・「筵を織る」とか、そういったものの売買やったらしい。

そこから作業着、種の販売・・・・作業用具の販売・・・「養蚕」道具の販売・・・・「製糸業」へと流れができていった。

時代が動いたのは幕末・・・・国を挙げての「製糸業」の育成からや。


幕末に「製糸業」・・・家内手工業の拡大が行われた・・・・海外貿易のために・・・・

商業の分家はその流れに乗った。

そして、そこで明治維新が起こる。家内手工業から、製糸工場の建設へと一気に発展していく。


この成功によってゴンの家・・・分家は、圧倒的な財力を持つようになった。


工場は莫大な「現金」を生む・・・「現金」は日本全国での共通価値や。その現金を「村」以外の地域にも投資し、さらなる工場の建設・・・さらなる産業分野への進出を果たしていった。


ウチ・・・本家の農業には、それほどの伸びしろがない。農地が拡大しない、領地が拡大しない限り飛躍的な成長はない。

・・・そして農業は「現金」を生まない。

納税を「米」で行ったのと同様に「村」内部の経済は、「米」など、物々交換によって十分に成り立っていた。・・・しかし、それでは村以外での経済活動は行えない。

・・・しかも、農業の全ては国が管理するものや・・・農産物は自由に売買ができない。

元々は国が年貢として取立て、近代国家になってからは、その代行として農協がその役割を担った。

・・・・いずれにしろ、自由な売買はできず、自由な価格設定もできない・・・

つまり、


「農民は生かさぬように殺さぬように」


徳川時代、そのままが踏襲されていた。

よって、新しい商売を開拓することもできず、徳川時代そのままの「枠」の中で生きていくしかなかった。・・・・停滞するしかない。・・・・逆に言えば、何もしなくても権力と生活が保障されていたことになる。


もう一方の分家、「山林」を生業とした分家も同じような状態だった。


財力としては圧倒的にゴンの家、分家に軍配が上がってはいた。それでもウチは・・・「本家」という、ただ、それだけの存在理由によって、絶対的な威光を保っていた。


・・・しかし「太平洋戦争」・・・そして敗戦によって、全てが変わってしまった。


「本家」・・・「豪農」とは、自らの土地に多くの小作農という農民を働かせる・・・言っていれば農業法人のような仕組みや。

ただ、小作農に対しての分配は多くはなかった・・・・これが、占領軍、GHQにとっては「奴隷制度」のように見えた。・・・事実、豪農によっては小作農を全くの奴隷としたところもある。


GHQは、占領軍は、日本を民主主義国家に変えようとした。・・・そのため、この封建的な制度を改めるべきやと・・・・自分たちにも、建国の時・・・南北戦争で、農地での黒人奴隷解放という歴史がある。それをそのまま当てはめた。


財閥の解体・・・そして農業では小作農民の解放。

これまで「庄屋」「豪農」のものであった農地を、小作農へと分け与えた。


・・・・これで「庄屋」・・・農業を生業としていたウチは、本家は、一気に「土地」という財産を失ってしまった・・・ばかりか、生きる術そのものを失った。


「無職」「無収入」という事態に陥った。


当主だった祖父は、商、工業を生業としていた分家・・・「ゴン」の家の工場へと勤めることで糊口を凌ぐようになる。



・・・・同じ「敗戦」という状況を迎えながらも、ゴンの家・・・「分家」は、逆に躍進を続けていった。


「製糸工場」は戦後需要でフル稼働となっていた。

さらに、既存で持っていた「瓦工場」・・・・家の屋根の瓦を製造する工場やった・・・そこで、新たな商材として「碍子」を作り始めた。

碍子は電力会社の送電網に使われる素材やった。

電線網を敷設していくとき、何より大事なことは「感電」を防ぐことや。

そのため鉄塔と電線の間に「絶縁体」・・・・電気を通さない素材を置くことで、両方が直接に接触することを防ぐ。

「碍子」・・・・焼き物だった・・・瓦の製法技術がそのまま転用できた。

戦後復興・・・・日本全国に送電網が張り巡らされる過程で莫大な需要ができていた。


・・・・さらには、戦後の住宅復興があった。

ここでは、莫大な「木材需要」が生まれていた。


もうひとつの分家の生業は「山林」・・・・木材だ。

・・・しかし、「山林」の分家には「山林」はあっても・・・・手入れをする職人・・・伐採をする職人はいても、それを木材として加工する工場も、販売をする人材もなかった。


ゴンの家「分家」には、「製糸工場」をはじめ「工場を立ち上げる」というノウハウそのものがあった。


このふたつの分家が手を結び、一気に近代工場の建設が始まった。


・・・・ウチ・・・「本家」は、完全に蚊帳の外に置かれてしまった。



この本家の没落に納得ができない、受け入れることができなかった父は、外へと働きに出た・・・祖父と一緒に分家の工場で働くというのは「本家の当主」としてのプライドが許さへんかったんやろう・・・そして、「夢よ再び」と、残りのチップを全て賭け、最後の大勝負で始めたのが、あの運送会社やったわけや。

・・・途中までは上手くいくかと思われた・・・しかし、生来の「ボンボン気質」が、甘さを生んだ。


・・・・最終ジャッジは、見事に「負け」と出た。


これで、本家の威光は完全に失墜した。


父が・・・古より、この地を治めたきたという・・・脈々と・・・500年からの歴史のある「本家」の息の根を、完全に止めてしまった。


・・・・残ったのは、この「屋敷」だけだった。


その「離れ」の2間で、父は暴れていた。・・・運悪く、今日は祖父が村の寄り合いでいない。


最初は、おきまり、いつものパターンで「酒を飲ませろ!」「飲ませない!」の夫婦喧嘩から始まった。

父は、母さんに暴力を振るい、母さんがボクたちを守るために応戦していた。

ボクも、母さんを放っておくこともできず部屋から出られずにいた。


・・・・後ろで弟がボクにつかまって怯えていた。


父は暴れていた。

母さんの激しい叱責の言葉が火に油を注ぐ。・・・・いつもの見慣れた光景になっていた。

・・・しかし、この日の父は、いつもと違っていた・・・・いつもに増して狂っていたということやけど・・・・


部屋には、ボクと弟が寝ていた2段ベッドがあった。


父が、その2段ベッドにかかるハシゴを外した。

そして、あろうことか、そのハシゴを母に向かって振り回した。

母さんが逃げる。

部屋の襖がハシゴで叩き潰された。木っ端みじんに襖が弾け跳んだ。


・・・もう、手がつけられない。

母さんが止めさせようと決死に立ち向かっていた・・・


目の前で、ハシゴを持って暴れている父。


・・・・こいつは完全に狂っている。そう思った。

・・・・殺されるかもな・・・そんな恐怖すら感じた。


もうボクの知ってる父やない。

あの、かっこいい・・・大きなトラックを運転する・・・・憧れた、かっこいい父やなかった。


ただの 酒乱。 クソ野郎。 ゴミ。 クズ。 負け犬 の成れの果てでしかなかった。



・・・・これはアカンな・・・



母さん、弟、そしてボクは、夜道を自転車に乗って逃げ出した。

3歳の弟も、自分の自転車に乗っていた。・・・・・・仮面ライダー自転車やった。

まだ自転車に満足に乗れる歳やない・・・・幼児用ライダー号で、補助輪をつけての逃避行は楽やなかった。それでも幼心に緊急事態を飲み込んだんだろう。必死に乗っていた。


まだ村には街灯がない。

まっ暗な農道を、ボクたちは自転車で逃げた。


逃げた先は、運送会社の事務所として使っていた、今にも崩れそうな古民家やった。

ここに緊急避難した。



・・・・翌朝・・・いつもの時間に目覚めた。


学校に向かう・・・

毎朝、学校には「ゴン」をはじめ、村の小学生みんなで登校した。

高学年が低学年を連れて行くのが決まりやった。


・・・今日は、ひとりで学校に向かう。


学校につけば朝礼が始まっていた。・・・・遅刻してしまった。


運悪く、古民家は、家から逆方向にあった。学校が遠くなってしまった。

今までと同じ時間に起きていたんじゃ間に合わない・・・いや、そもそも歩いて通うには遠い・・・

次の日から、ボクは自転車で、サイクリング車で学校へ通うようになった。・・・母さんには黙っていた。


母さんは、日がな1日、寝て過ごしていた。・・・憔悴し切っているのはわかった・・・・もう、これ以上、心配事を増やすわけにはいかない。


学校からすぐそこのところに、誰のものだかわからない廃墟のような作業小屋があった。・・・サイクリング車をそこに隠して登校した。


・・・しかし、見つかる。


見つけたのは龍也や。・・・ボクのせいでエースになり損ねた「町の男の子」龍也だ。


「学校にサイクリング車で来て、ええんか?」


ボクのサイクリング車は高価な自転車やった。子供たちの憧れ、やっかみがあった。


・・・そこから大問題に、教室全体が大騒ぎになった。

職員室に呼ばれて担任に怒られた。


・・・理由は聞かれない。

もともとヒステリー気味の女教師は、ただ「明日からは乗ってくるな」と歪んだソプラノで騒いだ。

女教師には、ボクが高価なサイクリング車を見せびらかしたくて乗ってきた、そう見えていたんやろう。




・・・放課後。


今日は、学校のグランドで7組との野球の試合や。

相手バッターが空振りしてゲームセット!

キャッチャーのゴンがマスクを取って立ち上がった。


マウンドではエースの龍也がガッツポーズ。



・・・そう、龍也がマウンドに立っていた。



ボクはライトから走ってホームベースに向かった。


・・・・青いグローブが恥ずかしかった・・・・なんだか、派手な青いグローブが恥ずかしかった。

みんなは・・・ほとんどが茶色いグローブを使ってる。


エースとしてマウンドに立っているときは考えたこともなかった。

青いグローブでライトを守っているのは、なんだか、とても恥ずかしかった。



「龍也く~~~ん!」


応援席から、新たなエースに黄色い声が飛んでいるのが聞こえた・・・・「町」の女の子たちだ・・・外野のライトからは声援すら聞こえない・・・グランドからマウンドは遠い場所や。


・・・・ボクは、蚊帳の外やった・・・・


ボクの打順は8番、長打力はあるんやけれど、三振が多かった・・・・

スクールカーストでは最下層になった・・・・・


・・・応援席の端・・・茜がこっちを見ていた・・・ボクは帽子を目深に被った。

・・・・ライトを守っている姿を見られるのは嫌やった。


・・・・あの日から、ボクは帽子を目深に被って過ごした。

誰の目も見たくなかった・・・・もちろん、誰もボクを見ようとしなかったけれど・・・


ボクは透明人間のように過ごした・・・


ボクは失脚した。

落ちた偶像と化した。


ボクの家のゴタゴタは、すぐにクラスの全員の知るところとなった。・・・・・そして学校全体に広まっていった・・・・・・


この地を治める本家のゴタゴタ。

没落していく本家に最後の決定打が放たれた。・・・詰んだ。本家の歴史が完全に終わった。



・・・・そうなんや・・・全てが「出自」のなせる業やった。


ボクがクラスでリーダー的な振る舞いができたのも・・・・野球でエースを務めてきたことも、全ては「出自」のなせる業やったんや。


小学校の校区は、そのほとんどが、古より、我が一族が治めてきた領地だった場所や。

友達・・・クラスメイトと呼ばれる子供たちのほとんどが、小作農の孫たちやった。

誰もが、過去を引きずりボクに対して気遣いをしていたに過ぎなかった。


・・・・一度失脚した独裁者の末路は哀れや・・・歴史がそれを証明してる・・・・

ムッソリーニ・・・チャウシェスク・・・・一度権力基盤がひっくり返れば・・・白のオセロがひっくり返り始めれば早い。一気に盤上は真っ黒へと雪崩をうつ・・・


古より、溜まりに溜まった「本家」への怨嗟もあった・・・・恵まれた環境のボクへの反発もあったんやろう・・・

学校中。真っ黒な、ドス黒いマグマが一気に噴出していた。



「溺れた犬は叩け」



みんなが我先にと叩き出した。



・・・・今、この地を治めるのは、分家「ゴン」の一族やった。


ゴンの家は数多くの工場・・・・商店・・・飲食店を経営していた。

学校には、そこで働く親たちの子供たちも多い。



ゴンの言動がクラスの全てを支配した。

ゴンは、エースに龍也を指名した。



人間とは「掌を返すもの」そう学んだ。



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