遥かなる復興とコロナまでの距離
遥かなる復興とコロナまでの距離
予定通り、相馬の町を離れたのは午後3時だった。
喧嘩ばかりをしたと言うのに、由美は名残惜しそうにインターの入り口まで俺を送ってくれた。
「お店のボトル…まだ残ってるよ」
「ああ…」
由美の言う通り、昨夜はあまり酒が進まず、ジュリアナで入れたすずめと言う名の焼酎のボトルは半分以上残っている。
「康之って名前で残しておくから」
由美にしては珍しくしおらしいセリフだ。
「なんだ、また俺に会いたいってことか?」
憎まれ口を叩いてみても、そう言った俺の顔は最高の笑顔だ。
「まだ放射線の高い地域が有るから、オートバイ…気をつけて」
心配そうに由美が呟く。
「気を付けろって言ったって目に見えないんだぜ、気をつけようが無いよ」
「そうね、でもとにかく…気をつけて」
「分かった、帰ったら連絡するよ」
俺はそう言って由美と握手を交わし、高速道路の入り口をフルスロットルで駆け上がって行った。
由美と別れたあと、有料道路にしては荒れた道を、俺は制限速度でゆっくりと走った。
目の前の工事車両がノロノロと走っていても、もうイラつくこともない。
むしろ「頑張れ」と言う声援を送ってやりたい気持ちになっていた。
走り出してすぐ、左腕の手首に巻いたアップルウォチがLINEの着信を知らせる様にブルルと震えた。
バイクに乗っていると風を切る音と、短く切ったマフラーから吐き出される排気音で携帯の着信音が聞こえない。
大事な電話を取りこぼさない様に、俺は日頃からアップルウォチを愛用していた。
アクセルは開けたまま、俺は時計の画面を見た。
LINEのメッセージは由美からだった。
何か忘れ物でもしたのだろうか…。
俺は路肩にバイクを停め、メッセージを確認した。
『昨日さ、康之が歌ってた横浜のバンドってなんて言う名前だっけ?ちゃんと聞いてみたくてさ』
なんだ?
そうは思ったが、何故か喜んでいる自分がおかしい。
それにしても…由美の歳を聞きそびれてしまったが、多分俺よりは5つは年下だろう。
だと言うのに、いきなり呼び捨てかよ…と思うとやっぱりあの女は「おだずもっこ」だと思う。
俺は時計の画面にあるマイクのボタンを押し、そのまま話しかけた。
「多分柳ジョージとレイニーウットだよ」
そのまま時計は文字に変換し、由美へのLINEの返信が完了した。
俺は再びライディンググローブを穿き直し、一路横浜へと走り出した。
また直ぐにLINEが送られて来た。
アップルウォチの画面には「由美」の文字…。
「なんだよ」
呟きながらも俺はニヤけている。
バイクを路肩に停めメッセージを確認した。
『今度さ、仙台にも遊びにおいでよ』
仙台?なんで仙台なんだ?
俺の頭の中はクエスチョンがいっぱいだ。
と言うか…相馬市と仙台の位置関係が分からない。
確かにあの大震災で大きな被害を受けたのは福島と仙台だ。
由美は仙台の被害状況も俺に見せたいのだろうか。
「仙台って?」
俺は再び時計に向かって話しかけた。
『だって私、仙台に住んでるんだもん』
直ぐに返信が有った。
知らなかった。
相馬で出会ったから、俺はてっきり由美の事を相馬の女の子だと思っていた。
「そうなんだ」
『そうだよ』
「だからお前可愛いんだな」
『きゃは、意味わかんない』
「仙台って可愛い子が多いらしいじゃん」
『なに言っちゃってるの?仙台って三大ブスの街って言われてるんだよ』
「バカ、それは定説で伊達政宗がプレイボーイで仙台に良い女ばかり集めたもんだから、他の武将に取られない様に三大ブスって噂を流したのが本当らしいぞ」
『笑える〜、って康之バイク運転してるんでしょ?どうやってメールしてるの?』
「由美がメール送ってくるから、俺は全然横浜に着かないよ。ずっと路肩に停まってるよ」
『まだ近くにいるの?』
「そんなに遠くはないよ」
そうメールを打ったあと、由美からの返信がない。
走り出そうか…そう思った瞬間、由美からの返信が有った。
『会いたい』
俺も同じ気持ちだった。
高速道路のUターンなんて絶対にしてはいけない事だけど、中央分離帯もまだ設置されてない復興途中の高速道路…おまけに身軽なオートバイだ。
俺はドライビンググローブを穿くのももどかしく、バイクを右に倒し思い切りアクセルを開いた。
バイクの後輪が勢いよく空転し、愛車のSR500は由美の居る相馬の街へ猛スピードで走り出した。
相馬インターを降りたところで由美は待っていた。
ルームミラーをずっと見ていたのだろう…俺がスロープを降りてくると、由美が直ぐに車から飛び出した。
俺は由美の車の直ぐ後ろにバイクを停め、フルフェイスのヘルメットを叩きつける様にバイクのバックミラーに掛け、由美に駆け寄った。
二人ともなにも言わなかった。
お互いがお互いの胸に飛び込み、長い間離れていた恋人同士の様に抱き合った。
そして…ため息が漏れるほどの熱いキス。
由美と知り合ってたった3日…好きになったのはいつからだろう…。
こんなにタチの悪い女を何故好きになったのだろう…。
考えたところでそれは愚かな事だ。
人を好きになる…それはどんな時も一瞬のひらめき…。
時間の経過や理由なんて、なんの意味ももたない。
ただ好き…その思いがお互いを動かすだけだ。
相馬インターにほど近い空き地にバイクを置き、俺は由美の車に乗り込んだ。
真新しい漁港で車を停め、海を見つめながら長い時間話をした。
自動販売機で買った、たった1本のペットボトルのお茶で、俺たちは何時間も語り合うことができた。
いつの間にか日が暮れ、満天の星が煌めいている。
「あたし…このまま横浜に行こうかな」
車の屋根を開け放ち、リクライニングシートを倒して俺たちは話をしていた。
「今の横浜はつまんねぇぞ。店なんかどこもやってないからな」
「あたし、何度か横浜に行ったことがあるんだよ」
「そうなんだ」
「赤レンガや元町や…それに中華街!」
「マジかよ」
俺は大声で笑った。
「何がおかしいのよ」
由美が頬を膨らます。
「だってよ、それ俺の住んでるところから全部徒歩で5分圏内だよ」
由美が驚いた顔で俺を見た。
「本当にそうなの」
「嘘言ってどうするよ」
「康之ってさ、めちゃくちゃオシャレなとこに住んでるんだね」
「何がオシャレなもんかよ。横浜なんかどこを見てもちゃんころかヤンキーばっかでよ、狭っ苦しい田舎もんばっかの街だよ…俺も含めてな」
別に卑下して言ってるわけではない。
俺は本心からそう思っていた。
「ふーん…三大ブスの街に住んでる可愛い子と、オシャレな街の田舎者…あたしたち割とうまくいくかもね」
そう言って舌を出した由美が堪らなく愛しかった。
「やっぱ田舎は星が近いよな」
驚くほど近く、そして驚くほど明るい星を見て俺は呟いた。
「横浜は星が遠いの」
由美が答えた。
「そもそも星なんか見えないよ」
「空が汚れてるってこと?」
「それもあるだろうけど、一晩中消えない街明かりが有るからだろうな」
「なんかバカにされてる感じ…どうせ田舎には暗闇しかありませんよ」
「バカになんかしてないさ。その代わり、こんなに明るい星空が有るじゃないか…」
俺たちの車を取り巻く地上に、灯りと呼べるものは何一つない。
ホワイトパールの由美の車さえ、漆黒の闇に溶け込んでいる。
由美の車のインパネにあるLEDのライトだけが、暗闇の中で浮かび上がっていた。
「ねえ、エッチなこと考えてるでしょ」
途切れた会話に耐えきれなくなったのか、由美がいたずらな顔で問いかけた。
「バカじゃねぇの?それほど女に不自由はしてないよ」
俺も真顔で反論する。
「嘘だよ…さっきから黙ってるじゃん」
「何がじゃんだよ、真似するな」
そう言いながらも、俺は動揺を隠せない。
由美の言ったことが図星だったからだ。
「あたしは考えてるよ」
由美はそう言って俺から顔を背けた。
途端に俺の落ち着きが無くなった。
今この時この場所で…由美を抱いたとしても誰の目にも触れないだろう。
それほど相馬の闇は深かった。
それでも俺は由美を抱かなかった。
満天の星空が明るすぎたから…由美を抱き寄せ、唇を重ねる事が精一杯の夜だった。
大事に乗っていたSR500を俺は売った。
当面の生活費くらいにはなった。
それでも…政府の言いなりになっていたのでは、この金も直ぐに溶けて行き詰まりだ。
コロナ、コロナと騒ぐだけ騒ぎ、国民の仕事と生活を奪いながら役人は税金でのほほんと暮らしている。
生きる為には自分で生きる道を探すしかない。
事業主や個人事業主の補償ばかりを優先し、そこで働く従業員への補償は話題にも上らない。
夜の接待業を槍玉にあげ、日曜日の外出に罪悪感を植え付ける。
もしかすると…コロナウィルスは夜の8時以降と日曜日にしか移らないのだろうか…。
そう勘違いしても不思議ではないくらい、厚化粧の東京都知事が連日の様にテレビでまくし立てている。
連休も終わったと言うのに、俺の部屋のエアコンは今も直っていない。
修理業者が個人宅に行くのを嫌がっているからだと言う。
日に日にコロナの罹患者は増え、先行きなどまったく見えなくなっていた。
例年よりクソ暑い夏が、東京近郊に住う人々の気力を奪っている。
「もしもし、社長ですか」
俺は自分が働く会社の社長に電話を掛けた。
「康之か、どうした」
「正直、いつまで仕事がありませんか」
俺は単刀直入に聞いた。
「……いつも何も…俺にも分からんよ…」
社長が苦しそうに答えた。
「だったら…相談なんですけど」
「なんだ?」
「2、3ヶ月除染に行って来ていいですか?」
恩の有る社長だった。
右も左も分からない、ただのヤンチャ坊主だった俺に仕事のイロハを教えてくれた。
だから…俺はいつまでも社長の元で働くつもりだった。
それでも…今の横浜では社長を苦しめるだけだ。
「福島か?」
社長は聞いた。
「南相馬です」
俺は答えた。
「ツテでも有るのか」
「女が居るんです」
俺の言葉に、社長が深いため息を吐く。
「戻らないつもりか?」
社長が聞いた。
「バカ言わないでくださいよ。こっちの仕事が始まれば直ぐに戻りますよ」
俺の返事を聞いて、社長は「分かった」と言った。
生活の為…もちろんそれが最優先だ。
でもそれだけじゃない。
まだ手付かずの復興に、少しでも力を貸してみたかった。
僅かな着替えと身の回りのものをボストンバックに詰め、戸締りをして俺はエレベーターに乗った。
1階に着いたエレベーターを降り、道路へと降りるエントランスの階段の下に屋根を外した由美の車が停まっている。
「本当に行くの?」
不安顔の由美…。
「嫌か?」
聞き返す俺…。
「嬉しいに決まってるじゃん」
「じゃあ良いじゃねぇか」
野馬追に繰り出したあの日と同じ様に、真夏の眩しい朝陽に向かって、俺と由美は一緒に走り出した。
完