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「やぁ、戸部侍郎。今日も綺麗だね」

「……工部侍郎。お疲れ様です、何かご用で?」


 長く垂らした茶色の髪を緩く片側に流した工部侍郎は、今日も少しの気怠さを醸し出す、世俗離れしたお貴族様だった。

 軽すぎる挨拶をさらりと躱した沙耶は、時間を割く気はない、とばかりに用件を切り出したが、工部侍郎は沙耶の奥を確認して目を見開いた。


「っ、陛下……っ。……御前失礼いたします……」

「良い。今は休憩中だ。この場では忌憚なく」


 まるで官吏のごとく自然に椅子についていた陛下に、驚いた工部侍郎が最敬礼で挨拶をした。その所作は見惚れるほどに優雅で、威厳のある対応をする陛下と対すると、美しい一枚絵だ。


「休憩中ですか……では失礼して、戸部侍郎に」


 少し戸惑った様子を見せつつも、それだけで納得したらしい工部侍郎は、そう言って沙耶に一枚の書類を差し出した。


「このあいだの不正な決裁書の件、田駕(たが)州の地方官が出してきた偽装値の本来の数字は、こうらしい」

「…………これでしたら、納得です。矛盾はありません」


 渡された紙を瞬時に把握した沙耶は、冷静な眼差しで工部侍郎を見返した。あの書類の杜撰な数字を覚えている沙耶にとっては、ようやく適切な全体像を知れてスッキリだ。


「いつもながら、本当に読んでいるのか疑いたくなるくらいの処理能力だね……ウチに欲しいぐらいだよ」

「……で、この数字が出て来たということは、不正に関与した地方官が洗い出せたということですか」


 緩く含み笑う工部侍郎の戯言は綺麗に聞き流し、沙耶は核心を問うた。


「ふふっ、そういうことだね。更に辿れば、陸の当主に話を持ちかけられて横領に手を染めたらしい。取り分は8:2だったと」

「……地方官まで巻き込んでいたなんて、凄い行動力というか、人間力というか……」


 それだけの伝手を使えるなら、もっと他に手段があったろうに……。


「ま、そういう顛末だったということで。気になっているだろうから、教えてあげようと思ってね」

「あ。有難うございます、スッキリしました」


 沙耶の礼に、何故か色気が滲み出る工部侍郎の微笑み。女の子なら一瞬で恋に落ちるんだろうなー、なんて冷静に観察する沙耶は、今は相手もいないのに……と心の中でバッサリ切り捨てた。


「……ふふ……面白いなぁ。本当ならもう少し揶揄いたかったんだけれどね。ウチも今、余裕があるわけじゃないから、残念だけどお暇するよ……。そうだ戸部尚書、うちの上司が今回の件での全体的な補正予算について相談したいそうなのですが、少しお時間宜しいですか?」


 あっさりと雰囲気を切り替えた工部侍郎は、沙耶から視線を外すと戸部尚書に声を掛けた。


「あぁ、それ、こっちから質問していたんだよね。今から行こう」


 素早く応じた戸部尚書は、書類の束を片手に席を立った。

 そして工部侍郎と連れ立って部屋を出ていく……。


 パタリ、と扉が閉じ、


「…………あれ。私だけになっちゃいましたか……」


 気が付けば室内には、沙耶と、陛下だけしか残されていなかった。殆どの官吏は、徹夜続きの疲労が濃く、既に官舎に戻したから仕方ないが、こうも静かになると寂しい気分だ。


 戸部尚書の隣に椅子を寄せていた陛下も、ぽつんと1人になるとさっさと沙耶の隣に移動してきて、暇そうに頬杖をついてこちらを見上げた。


「……お前は生き生きしてるな……」

「そりゃ、あんな場所に閉じ込められていたら、激務の楽しさ再発見ですよ」


 だってする事がないって、時間の流れがすごく長いのだ。1日が無為に過ぎていくことを、嫌でも実感させられる。

 行動する方が好きな性格だから仕方ない。

 ……そんな、深い意味のない返事をしたつもりだったのに、


「……閉じ込めたのは、俺だったな」


 自嘲気味にポツリと呟いた陛下に焦る。


「いやっ! 違いますよ!? 陛下には感謝しています!」

「あんな場所に押し込んだのに?」

「……行く当てが、無かったんです。陛下に拾ってもらわなかったら、今頃、山の中で野生児になってたんじゃないですかね……」


 本当に。一縷と一緒に山で自給自足をするぐらいしか思いつかなかっただろう。

 そんな姿を想像でもしたのか、表情を和らげた陛下が吹き出した。


「ふ……はははっ、それなら拾って正解だったな。戸部としても得難い人材を手に入れられたようだし……」

「そうですよ。こんなに働き者なんですから、もっと重用して――」


 なんだか肩を並べているのが気恥ずかしくて、書類を片手に会話をしていて気が付かなかった。


「――そうだな、こんなにも特別待遇なんだ。裏で手を回す俺のことも、少しは労ってくれ」


 真横で聞こえた、あまりにも近すぎる美声に首を竦めて隣を向けば、


「……あ…………」


 ちゅ。っと。


 小さいリップ音と共に、柔らかい感触が唇に残った。


 少しして、近過ぎて焦点の合わなかった端正な面差しと、視線が交わる。


「3回目だな」

「……は…………?」



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