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渡り廊下で時間を取られつつも、ようやく広い後宮の中庭を突っ切る事が出来た沙耶。
倉庫に通じる道を歩きつつ、服装の乱れをきっちりと直す。
(頭の布はズレてないわよね。毛先の金髪だけは見えるように、服の外に出して……)
手早く顔周りを整え、簡素な衣服を検める。
(サラシもオッケー……服の下にもちゃんと官服を着てるし……)
あとは倉庫で上の衣を脱いで、布の代わりに官帽を被れば、どこにでもいる官吏の出来上がりだ。少し小柄な事に目を瞑れば、この5年、誰にもバレたことの無い完璧な男装である。
すぐ目の前に倉庫が見えてくると、紗耶は足取りを緩め、目立ちにくい場所で立ち止まった。
さすがに入室するところを見られてはマズイ。
少し手前で草花を愛でるフリをしながら、周囲を確認する。
まぁ誰とも遭遇したことのない場所だし……と気を抜いていると……、
「……陽陵様……」
まさかの、今、後宮で一番話題になっている人物が、倉庫の前の道を歩いて来たのだ。
陛下と朝までお供した、と噂の少女だ。
その真偽を面と向かって問い詰めた猛者はいないらしいが、朝方、侍女を引き連れて自分の部屋へと戻る姿を、多くの者が目撃している。
しかも、若干疲れた様子を見せつつも頰を染め、陛下のご様子や声音、仕草なんかを話題にしていたというのだから、打算的だ。
感極まった侍女達の浮ついた様子も含めれば、確実にこの陽陵様が、この後宮内での寵愛争いに、王手をかけていた。
「……っどなた……!?」
その陽陵様が、あからさまに驚愕の表情で足を止めた。
亜麻色の髪に紺碧の瞳という、貴族としては薄すぎる配色を持ちながらも、甘く幼い顔立ちによく似合っていて、美少女と呼んで遜色ない。
煌びやかな絹の衣に、玉のあしらわれた帯を巻き、髪に生花を挿した姿は、九嬪という序列ながらも、四夫人である蘭月様に勝るとも劣らない絢爛な装いだ。
官服を隠せればそれで良い、と、着飾ることに頓着していない紗耶と並んでしまえば、まるで姫と下女にしか見えない。
(……ってか、私ってば一応、この後宮に5年住んでる古株なんですけど、名前で呼ばれたこと無いな……)
なんて、どうでもいい自虐が頭をよぎりつつも、さっきの失敗を思い出して慌てて頭を下げる。
「っ失礼いたしました、陽陵様」
「…………いえ、良いのですよ。……わたくしも、たまたま此方を散策していただけですから」
突き放すような物言いだったが、これなら話が早いかも……とホッとしつつ礼を続ける。
実は、道から逸れた草の中に立っているせいで、伸びた葉がそよそよと素肌の手を擽るのが辛いのだ。
早く立ち去ってくれんかなーと、もじもじしながら待っていたのだが、
「……ですが、貴女のような下賤の民に、真正面から見つめられるなんて、不愉快にも程があります。どなた様付きの女官かしら?」
想像通りの勘違いに、笑いそうになるのを堪え、更に深く頭を下げる。
「申し訳ございませんでした……。まさか、陽陵様ほどのお方が、こんな後宮の端まで散策に来られるとは思わず……」
「っそれは、わたくしを愚弄しての言葉ですか!?」
(やーん、余計なこと言ったー…………)
と、気付いた時には、遅かった。
ヒステリックな陽陵様の声と共に、
――バシャッ……!!
勢いよく、水をかけられたのだ。
「つめたっ……」
頭を下げていたから、一瞬、何が起きたのかわからなかった。
しかし、髪からポタポタと滴る水と、なんとも言えない生臭さ……。
倉庫の脇に放置されていた古桶に、雨水が溜まっていたのを思い出す。
「わたくしは、陛下と朝方までご一緒させて頂いた事もある、陸家の人間ですよ! お前ごとき庶民の色無しが、気安く声を掛けて良い身分では無いのですっ」
頬を紅潮させて怒りに震える陽陵様。
だけれども……、
(……その時、陛下の隣にいたんですけどね、私も……)




