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箱の中に詰められていたのは、爬虫類を思わせる肢体に、鋭すぎる牙と鉤爪を持った、見たこともない獣だった。
おびただしい量の赤黒い液体に、ギョロリとした目は白濁としていて、一見してそれは死骸である。
「…………魔獣……の死骸、だな」
「……そんなものが、なぜ……」
険しい顔をした陛下が、中を凝視している。
麻布を手で持ち、その両面を確認したり、木箱自体に書かれていた紋様をあらためているらしい。
沙耶は、それが死骸とわかってしまうと直視出来なくて、少し引いた位置から見ているだけだったが、それでも、これが異様なことは察していた。
供養や埋葬するために、木箱に入れているのではないのだ。まるで封じるように密やかに詰められ、この死骸自体に価値があるかのような様相なのだ。
「……魔獣は、血の匂いに寄ってくる、と言われている……」
その秀麗な眉目で真剣に見つめていた陛下が、ポツリと呟き、沙耶を見た。
「――その中でも、特定の血臭に集まる魔獣がいる、と聞く」
「…………!?」
魔獣の死骸に、別の魔獣が寄ってくる……?
「この布、水を通さない葉が織り込められている。通常、水分のあるものを包むために使われるものだ」
「水分……」
嫌な予感に、ゾワリとする。
「そうだ。この場合、魔獣を血抜きせずに運びたい、ということだろう。……不自然に保存された死骸、何かの呪いが描かれた木箱、そして男達の話していたという噂……疑わしい、と思うには十分すぎる材料だ」
「では……」
「何らかの意図があって魔獣を呼んだ、という可能性は、かなり高い」
冷徹な表情で言い切った陛下の言葉に、小さく息を飲む。
わざと魔獣を呼んだ、可能性……。
考えられる理由としては、ひとつ、魔獣自体を欲していた。ふたつ、魔獣による騒ぎを起こしたかった。みっつ、誰か・何かを襲わせたかった……。
「え……沙耶さん? どういうことですか? 何が……」
一瞬で思考の海に沈みそうになったところで、話についていけてない来趾が、恐る恐るという様子で、格子越しに覗き込んできた。
何と言って説明してあげれば良いか……と言葉に悩みながら格子戸を見て、ハッとする。
(そうだ、開けてあげなければ……!)
話の流れですっかり忘れていたが、彼はまだ檻の中だ。
こんな危険な場所に閉じ込められているなんて……と思った瞬間、『地下の座敷牢に入れられた奴は、数日以内にいなくなる』という言葉を思い出してゾッとした。
本当にこの魔獣の死骸が、他の魔獣を呼ぶエサだった場合……?
「っ、州兵を……っ」
陛下っ、と呼びそうになって言葉を詰まらせる。今、こんなところで身分を明かして良いわけがない。
しかし焦ったような沙耶の声音に、言いたい事は伝わったようだ。難しい顔をした陛下が、頷いた。
「本当に魔獣が寄ってきたらどうにもならん。念のために、早く動かす準備をしておかなければ……。だがその場合――」
そこで言い淀んだ陛下。真剣な表情の中の、真摯な瞳に、一度瞼を伏せてから見返した。
躊躇う理由は、何となくわかっている。
「――行ってください。私はこれの用途を調べねばなりません」
陛下が行かなければ、州兵を動かすなんて不可能だ。……部下の身の安全なんて、比較されるべきではない。
ちらりと、今もどこか近くにいるだろう黒衆に伝言を頼めば良いのでは、とも思ったが、そうはいかないのだ。
彼らは独自の理念を持っているから、陛下自身の為にしか動かない。そして普段人前に姿を表さないから、たとえ陛下の指示だとしても、それを本当に陛下からの言葉だと信じて動いてもらうには、相応の書状が必要になるだろう。
だから、今、陛下に動いてもらう以外にないのだ。
「私には一縷もいます。いざとなれば、どうとでも」
「……間違いないな?」
「必ずや」
意思疎通は簡潔に。
束の間、葛藤を飲み込んだらしい陛下だったが、すぐに統治者としての冷静な顔で立ち上がった。
「すぐ戻る」
「お気をつけて」
颯爽と衣の裾を翻し、大股に室内を出て行く背中に礼をする。あんな簡素な身なりでも、陛下の陛下たる威厳は隠しきれていない。それだけで安堵するし、鼓舞されている気がするのだ。
(これである程度、周囲の民たちへの不安は無くなるか……)
この死骸によって魔獣が呼び寄せられた場合、田駕州の獣害と同程度の被害は覚悟しておくべきだろう。この屋敷や、周囲一帯が壊滅することも考えられる。とりあえず州兵を動かしておけば、万一の事態でも被害を最小限に抑えられる……。
「え、あれ、旦那さん、行っちゃいましたけど……」
「大丈夫です。それより、早くここを出ちゃいましょう」
陛下を見送り、未だ戸惑う来趾の側に駆け寄った。
「州兵って……何かあったんですか……?」
「……はい。少し……」
「あの……さっきの話、もしかして此処に魔獣が来るかもしれないってことですか……?」
不安そうに眉根を寄せる来趾。それに答えるすべはない。
返事もなく牢の閂に手をかける沙耶の無言の返答に、来趾の顔色が徐々に青くなるのがわかったが、気付かなかったフリをするしかないのだ。
沙耶は、燭台はあれど十分な光度のない室内で、閂を外そうと苦闘していたが、
「……これ、普通の閂じゃないんですか……っ?」
一見普通の、棒を差し込んだだけの閂に見えたが、なぜか外れない。
「ぁ……なんか上の方にも、長い棒を入れてたような気がします……」
「上ですか……」
頭上を見上げて顔を顰める。狭い地下牢とはいえ、天井付近には手が届きそうもないのだ。
(牢を開けてから行ってもらえば良かったか……)
とはいえ後の祭りだ。陛下が帰って来るのが早いか、それとも非常手段を使う方が早いか……。
しかし今、一縷を呼ぶには尚早だ。ここを起点として騒ぎを起こす前に、この死骸の用途や目的を調べたかった。
何とか牢を開けられないかと、奮闘すること暫く――。
周りの荷物を足場に、上部の鍵になっている部分を手で探ってみるが、暗いのもあって仕組みが良く分からない。恐らく、閂のような単純な構造だと思うのだが、来趾が言っていたように棒のようなものが必要なのかもしれない。
「……無理そうですか……?」
「…………ちょっと棒を探してきます。大丈夫、絶対に戻ってきます」
見切りをつけて、道具になるものを探しに行こうとした。
――のだが。
「……ぁれ……沙耶さん、足音が……っ」
「…………っ!」
緊迫した来趾の囁き声に、沙耶の緊張が一気に高まる。
……草むらを踏む足音が、数人分、聞こえてきたのだ。
(見張りが来る方が先だったか……)
焦る来趾にチラリと目配せをした沙耶は、ぴたりと静止すると、それから手早く足場にしていた荷物を端に避け、その奥に身を潜めた。同じように、来趾も牢の奥に座り込む。
「――……くそ……開けてからどれだけ経った……!?」
「……交代の前だったんで……」
「本当にマズイぞ……ちゃんと封をし直したんだろうな……って、何だこの臭いは……っ!!」
怒声交じりの会話をしながら地下牢に入ってきたのは、足音からして数人だった。




