にぎりめしの記憶
山城拓海は角亀藩なる場所のことを知らない。
何しろ自分が住んでいた地域が、江戸時代になんと呼ばれていたのかもよく知らないくらいだ。地方の小藩(だろう、おそらく)であれば尚更だった。
だが、彼らは確かに同郷だ。そう信じさせてくれたのは、彼らの見た目でも刀の存在でもなかった。
「……美味しい」
包みの中から出てきた、おおぶりの握り飯ふたつ。かぶりつくと、忘れかけていた白米の甘み。思わず涙腺が緩む。特別な味付けなど何もない、素朴な一品。ゆっくりと噛みしめるように味わい、無くなるのを惜しみながら飲み込む。
特に何の感慨もなくぺろりと平らげたケニッヒとクラウスには、拓海が何に感動しているのか分からない様子だった。それで良いと思う。この幸せは、きっと彼らには共有できない。
「握り飯はお好きかね」
「はい。懐かしい味です。ちょっと地元の味とは違いますけど」
「そうかい。いつか本場の握り飯も食うてみたいもんじゃ」
角亀藩では米は随分と貴重であったという。
何しろ、人と一緒に移動した土地にしかなかったからだ。米を保存し、増やし、土地に根付かせて。三百年をかけてどうにか満足できる量を栽培できるようになった頃には、角亀藩の人々にとって米は一般的な食材ではなくなってしまっていた。
今では鬼角をはじめ、一部の者が好む嗜好品のような扱いになっている。鬼角は同好の士を発見した、と笑顔だ。
「ふうん。こんな味の薄い食べ物を有難がるなんてね。カッキハンの人々はよく分からないな」
クラウスの軽口に、鬼角は手元にあった串焼きを突っ込んだ。辰左が食糧の足しにと狩ってきた鳥の肉だ。こんな肉より自分の尻尾の方が美味いのに、とぼやいているのが悪い意味で印象的だった。
拓海の目から見ても、辰左と鬼角の強さは圧倒的だった。道中で襲ってきたモンスターは、ひとつの例外もなくどちらかに一合で屠られていたからだ。自分がいかに鍛えたとしても、このように敵を圧倒できるようになるとはとても思えなかった。
「そういえば、鬼角さんはコルナキを食べたことが?」
「ないよ。るもるての滝とやらの話を聞いたのも初めてじゃし」
「若にはコルナキなど必要ありませんから。あれは私たちドラゴンのような、通常の成長では差がつきにくい生物が食べるものです」
辰左のこれまでの態度を見ていると、どうにも自分たちを人間より下に置きたがっているように見えて仕方ない。何故だかは分からないが、それが彼らの角亀藩に対する忠義の示し方なのかもしれない。
ちょっとだけ興味が湧いたが、拓海はそれを口にするのは控えた。誰にでも事情はあるし、それを興味本位で聞くのは失礼な気がしたから。
「オドゥンにコルナキが必要ないというのは分かる。だが、カッキハンの他の人たちはどうなんだ? 彼らはさすがにオドゥンほどではないのだろう?」
「角亀藩の他の方をお連れするとなると、大所帯になりすぎますのでね。コルナキもそれなりに多く実をつけているはずですが、全員均等に食べられるかと言われると」
十分に理解できる理由だ。それに、単純にルモルテの滝への道は危険だ。全員を無事に連れていけるとも限らない。拓海たちが危険を実感せずに進んでこられたのは、鬼角と辰左の存在があったからだ。
ケニッヒもクラウスも、二人がついていれば問題ないと思っているのかもしれないが、二人はそうは思っていない。つまり、この先には二人でも危険だと思う何かがあるのだ。きっと。
「……ご馳走様でした」
考えている間に、最後の握り飯を食べ尽くしてしまった。名残惜しさに目を閉じて拓海は両手を合わせるのだった。
***
タクミが米を喜んで食べてくれたことが、鬼角にはとても嬉しかった。
角亀藩の者たちは、肉と木の実を好む。時機を問わず、腹いっぱい食えるからだ。米は収穫期と折々の祭りの時にちょっと食べる程度で、普段から好んで食べるのは鬼角をはじめとした一部だけ。
最近こそ、鬼角にあやかって米を食べる若者が増えてきているものの、強くなるためには肉を食えという信仰じみた考えもまだまだ根強い。
「郷に戻ったらタクミ殿に大盛りの飯を用意してやらねばの」
木々に隠れて忍び寄っていた蛇の頭を踏み潰しながら、小さく呟く。
あまり美味い蛇ではない。毒もあるし、このまま捨て置いた方が良さそうだ。
一瞥すらせず、タクミたちの背を追って歩く。空からは恐らく龍かその亜種らしきものの視線が無数に飛んできている。襲い掛かってこないのは、辰左を同族と分かっているからか、鬼角を見知っているか。
龍どもは生まれつき自己評価が高い。自分こそ最強と嘯いて鬼角に絡んできた者は一頭や二頭ではない。辰左や辰太の親戚がいないとも限らないので、出来るだけ殺さずに力の差を教え込んでいる。時折含まれる怯えの混じった視線は、何度か撃退した個体だろうか。
「若。近くなってきましたよ」
「そうか。……滝の気配はないが」
水の落ちる音も、落下した水が散る独特の空気も感じられない。辰左は静かに微笑むと、そうでしょうと頷いた。
「ルモルテの滝は、洞窟の中にありますので。穴に入れば、滝の気配を感じられると思いますよ」
「ほお。そいつは珍しい」
元々は河が普通に流れていたものが、川底に穴が空いたことで滝となったのだとか。かつて河が流れていた場所は既に木々に隠れて面影もないらしく、滝に繋がる河そのものは山を登れば見えてくるという。
「なるほどな。辰六が大きくなったら見に行ってみるかな」
「そうしてください。辰六も喜ぶでしょう」
今の目的地は滝壺だ。目的を取り違える鬼角ではなかったが、横で二人の話を聞きとがめたクラウスが目を輝かせた。
「それは素晴らしい景観なのだろうね! なあ、ケニッヒ! 見に行かないか!? これも修行だ!」
「目的地は滝壺だぞクラウス。馬鹿なことを言うなよ」
「いいじゃないか! いざとなれば河の方から滝を下りればいいんだろう?」
さすがにケニッヒも窘めるが、好奇心に支配されたクラウスは聞こうとしない。それを護衛するのは鬼角と辰左なのだが。
「じゃあ、一人で行くとええ。わしと辰左は霧名どのと山城どのを連れて滝壺に向かうでな」
「ええ。山道はそれなりに危険ですので、お気をつけて」
「……えっ」
特に、これまでこちらを苦々しい目で見送ってきたどらごん達だ。喜び勇んで向かってくるだろう。言われてようやく気付いたのか、頭上をおそるおそる見上げてひいと鳴いた。




