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第4章-2 SIDE A:行った場合

 悪夢の日から三日経ち、月曜の朝を迎えた拓雄は通常通り会社へと足を運んだ。

 土曜日に訪ねて来た刑事から、あの後連絡はない。恐らく現場の聞き込みや防犯カメラのチエック、被害者の交友関係からトラブルを抱えていなかったか等に時間を割いているのだろう。

 あの場所は拓雄自身もざっと確認したが、呼び出した谷内田(あゆむ)が前もって調べていたのか、周囲に防犯カメラなどは見当たらなかった。よって彼女と揉め合う前後などの怪しげな行動を、警察が把握できていない可能性は高いと思われる。

 その後判明したが、どうやらあの近辺に同性愛者が集まるバーがあり、その関係で防犯カメラがほとんどないと歩は知っていたようだ。

 客の中には警察や警備関係者などがいたのかもしれない。だからあの場所に呼び出したのだろう。拓雄にはそれが幸いした。

 ゲソ痕など鑑識の結果等はそうすぐにでるものではない。例え何か出たとしても、対処できるよう事前策は打ってある。

 懸念しているのは、あの時現場近くから送ったスマホなどを入れた封筒が、無事手元に戻るかどうかだ。

 あの時間の投函なら翌日土曜日の回収だ。よって配達は普通なら火曜になる。しかしこのビルには毎日大量の郵便物が届き、また同じかそれ以上が出されていた。

 その為郵便局の配達車が直接やって来るなどの事情もあり、早ければ今日配達される可能性があった。

 宛名には拓雄の個人名を記入した為、課に届いた郵便を仕分けするパートも勝手に封を開けず、そのまま机に置いてくれるのが通常だ。

 けれど万が一、第三者に中を見られれば後々面倒な事態となりかねない。だから郵便物が届いた時点で、仕分けが始める前に確保しておきたかった。

 まずビルに届いた郵便物は、午前中に総務のパートがフロアごと、また部署ごとに仕分けし運ばれる。法人課のフロアに届くのはたいてい二時過ぎだ。

 そこから法人課所属のパートが、個人宛と課で処理すべきものとを仕分ける手筈になっていた。よって郵便物が届いた時点で、綿貫宛の例の封筒を探し出さなければならない。

 月曜日は土日で突発的に起こったトラブルがあれば対処できるよう出来るだけ中で待機し、デスクワークをする時間に充てている。よって今日は外での面談予定は入れてなかった。

 今はまだ八時過ぎで課には誰も出社しておらず、フロア全体でも姿が見えるのは数人程度だ。

 その為大きく息を吸い込み、緊張を解いてパソコン画面を開いた。毎朝のルーティン業務をこなす為である。

 そんな時、小走りに駆け寄ってきた染岡に声をかけられた。

「おい、ちょっといいか」

 彼が所属する営業一課は法人課の隣なのに、そちらへは寄らずに近づいてくる。その強張った表情を見て、嫌な気配を感じながら言った。

「どうしたんですか」

「どうした、じゃないよ。昨日、俺のところに刑事が来たぞ」

 予感は当たった。彼は小声ながらも詰問口調だったので、拓雄も声を潜めて尋ねた。

「もしかして、金曜日の夜に起きた件ですか」

「そうだ。警察の事情聴取を受けたんだってな。そこで俺の名前を出しただろう。だから確認したいとやって来たんだ。驚いたよ。休みでゆっくりしようと思っていたのに、突然電話が掛かってきて、自宅に伺いたいと言われたんだ。しょうがないから承諾したけどさ」

「電話ですか。私は知りませんよ。教えて欲しいと言われましたけど、拒否しましたから」

「それは刑事から聞いた」

 彼の説明によると、どうやら電話を直接かけてきたのは、彼の上司である杉本課長からだという。刑事達は被害者の父の谷内田社長を経由し、まず杉本と連絡を取ったようだ。そこから染岡に繋がったらしい。

「だったら刑事が訪ねて来たのは、私のせいではないですよね」

「そこまでは言わないけどさ。金曜の夜に二人でどんな話をしたか聞かれたから、その理由を尋ねて分かったんだ。いやいやそれより、谷内田社長の娘さんが突き落とされるところを、綿貫が見ていたんだってな。驚いたよ」

 最初は拓雄が刑事との会話の中で染岡の名を出したから、巻き込まれたと文句を言いたかったのかもしれない。

 だが谷内田社長から課長を経由したのなら、どちらにしても関係者として事情を聴かれていたはずだ。彼もそれに気づいたのか話を変えた。

 その為頷いて答えた。

「たまたまですけどね。それに被害者が谷内田社長の娘だと知ったのは、その翌日ですし。現場に駆け付けた時も、真っ黒の服を着ていたので男の人だと勘違いしていましたから」

「らしいな。でも綿貫のおかげで命が助かったと警察が言っていたし、谷内田社長も喜んでいたと聞いたぞ。まだ予断は許さないけど、もしかしたら大逆転するかもしれない」

「どういう意味ですか」

「偶然とはいえ、うちの社員が社長の娘を救ったんだ。それなら関係修繕の糸口にできるじゃないか。溺愛していた娘が死んでいた可能性を考えれば、多少恩に着せたっていいだろう」

 被害者の名を知った後に少しは想像したが、その通りの展開に戸惑いつつ首を傾げた。

「上手くいきませんよ。染岡さんなら可能性もあったでしょうけど、担当外の社員ですから」

「何を言っている。関係悪化させたのだって、俺や課長や支店長じゃなく前の担当者だぞ。しかも三年も前の、な。それがツムギ損保の社員だったというだけで、契約を余所に流されて来たんだ。担当だけでなく課長も支店長も本部長も変わっているし、何度も頭を下げて来た。そろそろ勘弁して貰ったっておかしくないだろう」

 彼の言い分は理解できる。相手を怒らせたのは間違いないが、代償はこれまで十分に受けた。ならば今回の件を機に振り上げた拳を下ろして貰いたい、と期待するのも当然だろう。

 確かに彼が言う通り、拓雄が谷内田社長の娘である歩の命を救ったとなれば、そういう展開になったって不思議ではない。

 だが実態は違う。それどころか、突き飛ばしてはいないにしても言い合いになり、事故が起きる原因を作った相手なのだ。

 もし歩が目を覚ましおかしなことを口走れば、関係修復どころか刑事裁判にさえ発展しかねない。

 拓雄が全く話に乗ってこない為に焦れたのか、染岡は声のボリュームを上げた。

「おい、おい。これはうちの課だけの問題じゃない。支店全体、いや東京本部全体の成績に影響するんだ。それは分かるだろう」

「そ、そんな事を言われても、」

 しどろもどろになっている拓雄を無視し、彼は話を続けた。

「三千万円の減収を覚悟していたのに、それが反転する可能性が出てきたんだ。二億以上減った数字をどこまで回収できるかと、上は絶対期待するに決まっている」

「もしかして、私に何かしろというんですか」

「何も特別なことをしろとは言わない。ただ早い内に谷内田社長への挨拶は必要だろうな」

 思わず首を激しく振った。

「か、勘弁して下さいよ」

「どうして嫌がる。単に顔を見せるだけでいいんだぞ。谷内田社長だって会いたがっているみたいだ。それはそうだろうな。娘を助けてくれた恩人なんだから」

「いや、待って下さい。まだ助かったとは言えない状態ですよね。一命は取り止めたけど、意識不明の状態で余談を許さないと聞きましたよ。それとも意識を取り戻したんですか」

 慌てて尋ねると、染岡は眉を顰めた。

「昨日の夜、刑事達が帰った後に課長と話した時点では、まだ目を覚ましていないとしか聞いていない。今日、お見舞いを兼ねて俺と課長と支店長、時間が合えば本部長も訪問する予定だから、その辺りはもう一度確認するつもりだ」

「え、私に同行しろ、なんて言わないですよね」

 顔が青冷めた。大事の発端となった本人が、一体どんな顔をして被害者の父親に会えと言うのか。

 それに病室へ行った頃、既に意識が戻っていたらどうなる。誰のせいで重傷を負ったのかを警察に話していたら、その場で逮捕されかねないではないか。

 だからと言ってそれを理由に断る訳にもいかない。もし本部長に同行するよう指示されたら、従うしかなくなる。だからだろう。彼は当然のように頷いた。

「行かなくてどうする。先方は、綿貫に礼を言いたがっている。行かなければ向こうが挨拶に来るかもしれない。最初だけでいいんだ。後は俺達の方で何とかするよ」

 当たり前だ。人助けをネタに数字を取り戻そうなんて、下衆な営業などしたくない。それどころか真相が分かれば、これまで以上のトラブルに発展するだろう。

 ただ彼が言い分も一理ある。拓雄が会いたくないと思っても、先方からすればそうはいかない。一度挨拶しようと訪ねてくるのが通常の感覚だ。いつまでも逃げおおせはできないだろう。

 それなら目を覚まさない内に、顔を出しておくべきかもしれない。ただ最悪の事態が起きる覚悟は必要だ。その時は当初の予定通り、無実を訴え闘うことになる。

 そもそもあの女が、おかしなDMで呼び出したから悪い。それにあれはあくまで事故だ。突き落としてなどいない。例え裁判になっても無罪を勝ち取るつもりだ。それで例え会社に居づらくなっても、罪に問われさえしなければ転職だってできる。潰しが利きにくい業界とはいえ、これまでの業績を評価してくれる会社だってあるはずだ。

 そう割り切り息を吐いたところで連城の姿が見えた為、染岡に言った。

「分かりました。今日の何時頃、訪問するつもりですか。法人課としての業務とは別で外出することになりますから、課長に説明しないといけませんので」

 彼も気づいたらしく、そちらに視線を向けながら言った。

「本部長の都合次第だが、十時に出発して向こうには半頃に着く予定だ。もし先約があれば、申し訳ないけど午後以降にずらしてくれ。少なくとも午前中一杯は、時間を空けて欲しい」

 拓雄もつられ、目線で課長の姿を追った。二人に注目されていると気付いたのだろう。席に腰を下ろし何か言おうと口を開いた時、連城の目の前にある電話が鳴った。

 そのコール音からして内線電話だと分かる。だからだろう。彼はいち早く受話器を上げた。朝早い時間にかかってくる内線は、遠藤支店長か支店長席の笠原(かさはら)課長の確率が高いからだ。

「はい、法人課、連城です」

 はい、はい、と言いながら、拓雄達と目が合った。

「支店長からだろう。今日の件で、綿貫の協力が必要だと説明しているのかもしれない」

 染岡が予想した通りのようだ。時折驚く度にこちらを見る連城の様子から、金曜の夜に起こった事件についての経緯を聞いていると思われた。

「支店長直々の要請なら、課長も断れないでしょうしね。分かりました。突発的な問題が起こらない限り、今日は外出する予定はないので午前中だけなら動けるようにしておきます」

 今日の一日の最大の目的は、午後に来るかもしれない郵便物の回収だ。例え午前の訪問が少し伸びても、二時までには帰って来られるだろう。そこで無事にあのスマホ等の入った封筒を手にすれば、取り敢えずの危機は避けられる。

 そう考えたが、すぐに心の中で否定した。違う。最大の問題はこの後だ。支店長や染岡達と谷内田社長のところへ訪問し、そこから辞するまでにあの女が目を覚ませば、間違いなく修羅場になるだろう。

 一度は腹を括った拓雄だったが、想像するだけで冷や汗が出た。

「分かりました。これから伺います」

 連城が電話を切り、声をかけて来た。

「今、支店長から話を聞いた。大変だったみたいだな。それで午前中の内に、谷内田社長の事務所へお見舞いと挨拶に行くから綿貫さんの同行を依頼された。詳しい話と段取りの説明をするから、支店長席に来て欲しいそうだ。一緒に行こう。染岡さんもね」

 拓雄より先に彼が反応した。

「あ、はい。でもうちの課長がまだ、」

「ああ、もう支店長席にいるそうだ」

「そうですか。分かりました」

 このフロアには寄らず、そのまま上の階にある支店長席へ向かったようだ。なかなか姿を現さない彼を待っていたらしい染岡は、肩透かしされたような表情でこちらを向いた。

 もう逃げられない。意を決し席を立った。

「分かりました。行きましょう」

 連城を先頭に、三人でエレベーターに乗り支店長席へと向かった。入るよう指示された応接室には、遠藤支店長と笠原課長、杉本課長が腰かけていた。支店長の左側にある長いソファに二人が座っている。

「おお、噂の綿貫さんじゃないか。こっちへ座ってくれ」

 ご機嫌な口調で笠原課長がそう言い、支店長に近い自分の向かいの席を指した。

「失礼します」

 拓雄が腰を下ろし連城が隣に座った。その為染岡は自然と、残った支店長の真正面に腰かけて六人がテーブルを挟み、向かい合ったところで笠原が場の進行を始めた。

 最初は事件が起こった経緯を聞かれ、拓雄が簡単に説明する。連城と笠原を除く三人は、既に概要を知っていたのだろう。その為、もっと詳しく聞きたがる彼を押し止め、支店長が口を開いた。

「とにかく大手柄だ。先程本部長から電話を貰った。都合がついたので、十時にはここを出られるらしい。綿貫は本部長の車で、私と一緒に谷内田社長の事務所へ同行してくれ。杉本と染岡は一課の社有車で向かえ。連城課長。午前中一杯、彼を借りるよ」

「私は構いません。ただ彼の今日の予定を確認しないと」

 連城がそう言った為、拓雄は彼に頷いた後、支店長の目を見て答えた。

「染岡さんから、先程説明を受けました。今日は代理店とのアポは特にありませんので、午後戻って来られれば大丈夫です」

「そうか。頼むぞ」

 そこからどういった形で先方に挨拶するか、といった話に移る。

 途中で同行しない連城と笠原は席を立ち、自分の仕事へと戻った。本部長の準備が整うまで、支店長と杉本と染岡は作戦会議をするつもりらしい。

 といっても拓雄はとにかく顔を出す役目しかなく、強いて言えば谷内田社長の質問に答えられるよう心積もりしておくだけだ。それを受け、余り恩着せがましくないよう気を配りつつ、今後の数字獲得を如何に進めるか、彼らは話し合っていた。

 拓雄は心の内で舌打ちをしていた。人が今、どんな気持ちでいるのかなんて考えず、人助けした行動を逆手に取ろうとするあさましさに反吐が出そうになる。

 そうしている間に時間が経ち、本部長からの電話を受け四人は動き出した。予定通り拓雄は支店長の後につき、本部長車の助手席に乗り込んだ。その後部座席で待っていた本部長から、よくやったと後ろから声をかけられ褒められた。

 たまたまです、としかいいようがなく頭を下げる。だが先程までの支店長と同じく、これまで屈辱を受けた相手に今後どう恩を売り数字に繋げることだけしか頭にないようだ。

 その証拠に、時折彼らは思い出したかのようなタイミングで、

「現場を目撃した時の様子や、急いで駆け付け救急車を呼んだ点を、ちゃんと強調してくれよ。周りには誰もいなかったんだろう。君が発見し通報しなければ、手遅れだったかもしれないんだ。それは警察もそう言っていたそうだから間違いない。いいね。頼んだよ」

 と、何度も念を押された事から分かる。

 その度に頷いたが、拓雄の行動を褒め称える気持ちなど全くないと言葉の端々から感じ取れた。言葉通り、たまたまいいことをしただけだと言わんばかりの言動に、(はらわた)が煮えくり返る。

 その一方、それでいいと思う自分もいた。何故なら歩が目を覚ませば彼らの期待を大きく裏切ることになる為、余計な誉め言葉など掛けらない方が気楽でいられたからだ。

 また拓雄にとって、今は本部全体の数字なんてどうでもよかった。大事なのは、どんな手を使ってでも過失傷害の罪から逃れることだ。自分の身さえ護れれば、会社の面子など潰れようが知った事ではない。これ程あからさまな態度で、自分の手柄にしようと振舞う上司達がいる会社に忠誠を誓えるほど、愚かな会社員ではない。あくまで己の能力を高く評価し、それに見合う報酬を得られるからこそ、今の立場に留まっていられるのだ。それが叶わないとなれば、いつでもこんな会社など辞めてやる。そう一年ほど前までは本気で思っていた。

 だが現実はそう甘くない。実際問題、このタイミングで思い切った冒険をするのはリスクがある。というのも、和可菜との結婚が控えているからだ。それさえなければ、と拓雄は歯がゆい思いを抱きつつ、最悪の事態だけは避けたいと祈るしかなかった。

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