第29話:4回目の記念日
『一夜の過ち』なんてあたし達の間には有り得なかった。もちろんそれ以降も、周りの期待を裏切って、あたし達の関係は一切変わらなかったし。あたしにとって大樹の存在がすごく大きいってことは、ちゃんと感じてる。でも、それが恋愛感情かと聞かれると…答えは『NO』だった。あたしは大樹に心ちゃんの面影を重ねてるだけだ。香水の匂いも、煙草の匂いも、笑ったときに見える八重歯も…全部全部心ちゃんを思い出させる。大樹の傍にいたいと思う気持ちは、ただ単に心ちゃんを忘れられないあたしのエゴだと思う。心ちゃんの代わりでいいから傍にいてって…そんな勝手なこと考えてる自分が嫌い。
そして今日は11月5日。本当なら4年目の記念日を、楽しく心ちゃんと過ごしてたはずなのにな…。あたしは一人でいつもの場所に来ていた。わざわざタクシーまで使って、こんなところで何をするつもりなんだろ。いくら待ったって心ちゃんは来ないのに。
さすがに夜は冷え込んで、あたしは薄着できたことを後悔していた。
冷たくなってきた手を、ぎゅっと握りしめ、あたしはゆっくり目を閉じた。頭の中にはあの頃と変わらない心ちゃんがいる。一緒に夜景を見ながら、ちっともロマンチックじゃない言葉で愛を確かめ合って。お互い照れ屋だったから、真面目な空気が苦手で、あまり言葉にはしなかったかもしれない。でも、繋いだ手とか重ねた唇とか、そういうものだけでも十分気持ちは伝わった。心ちゃんのおっきなパーカーの中に、あたしも無理矢理入っていって…凄く凄く暖かくて…本当に幸せだったのに。
長い夢だったらいい。心ちゃんがいない世界なんか、夢だったらいいんだ。あたしは心ちゃんがいないと息の吸い方もわからなくなる。苦しくて苦しくて。こんな世界もう嫌だ。いくら哀しさに馴れたって、きっと消えることはない痛みがあたしを苦しめる。心ちゃんじゃなきゃ嫌だよ。知ってるでしょ?あたしわがままなんだ。
「会いたいよっ…。」
とめどなく涙が流れた。誰かに見られたら恥ずかしいとか、そんな気持ちも押し潰してしまうほど、ただ悲しくて寂しくて。満たされない。全然満たされないよ。
今まで貯まっていた分沢山泣いて、あたしはまたタクシーで家に帰った。あっという間に11月5日は終わった。