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姉さんの動きは想像以上に人間離れしていて、蜘蛛ちゃんが姉さんに触れるタイミングが中々訪れない。それどころか、僕らがまとめて一掃されて早々に出口に向かわれてしまいそうだった。もう少し時間稼ぎに徹しなければならない。
しかし、どうやって?
デスクを砂にして散らすなんてのもそろそろ使えそうにない。同じ技ばかり出していれば見切られるに決まっている。それに、砂の山ばかり作り上げると逆に此方側が動きづらくなってしまう。砂は足をとるのだ。
「ダメじゃないの、明紀くん。スタンガンなんて物騒なものを持ち出されたら、思わず力が入っちゃうわ」
不敵な笑みを浮かべ、姉さんは自分に向けられた右腕に手をかけようとした。が、何かに気づき慌ててその手を引っ込めた。
「チッ、バレたか」
「……ビックリしたー……いつの間に、入れ替わってたの? 蜂ちゃん」
本当に驚いたような顔をして言う姉さんの右の袖には丸い穴があいていた。蜂の手のひらが触れていた証拠だ。もう少し気付くのが遅かったら、きっと腕ごと穴が開いていたことだろう。そう考えると、気づいてくれてよかったと心の底から思う。僕は姉さんを逃がしたくはないが、傷つけたくもないのだから。
「さあ、いつだと思う?」
ニヤニヤと蜂は笑っている。その服はいつの間にか蜘蛛ちゃんに変装していたときのゴスロリドレスではなく、明紀が変装のため着ているものと同じ、いつものパーカーとジーパンになっていた。作戦を知らなければ、一体いつどんな手を使ってそんな早着替えをしたのかと僕も騙されたことだろう。
この早着替えはとても簡単だ。蜂だったからこそ、余計に簡単だっただろう。まず、そこに脱ぐという過程はあるが着るという過程は殆どないのだ。予めゴスロリドレスの下にジーパンとTシャツを着ていれば、あとはゴスロリドレスを脱いでパーカーを羽織るだけ。ゴスロリドレスも丁寧に脱ぐ必要はない。思い切り破いてしまったっていいのだ。蜂には『手のひらが触れた部分を刺す』なんて能力があるのだ。触って、ゴスロリドレスをズタズタにしてしまえば一瞬で手間をかけずに脱ぐことができるだろう。その証拠に、きっとこの部屋の何処かにボロボロになったゴスロリドレスの残骸があるはずだ。
とれたウイッグを被り直した明紀は、また蜂に成り済ましている。お陰で僕から見ても蜂が二人いるように感じて混乱する。そんな二人が左右から襲ってくるのだ。しかも片方は刺されてはいけない毒蜂。やりにくいことこの上ない。
「――ッ!!」
二匹の蜂に気をとられ過ぎていると、後ろに接近してきた蜘蛛に気づくことができない。蜘蛛の巣にかけられてしまえば一貫の終わりだ。逃げることはきっと出来ない。
「――残念です。避けられてしまいました」
「いいえ、少しかすったわ」
勢いよく体を半回転させて、更にバック転で回避するというアクロバティックな技を見せつけてから、残念そうな顔をする蜘蛛ちゃんに姉さんは言った。左手の感触を確かめるような仕草をしているから、恐らくかすったのは左手であっているだろう。姉さんは左手を見つめながら「動かしづらいわ」なんて不満げに呟いていた。
「よくわからないけど、やっぱり蜘蛛ちゃんの能力は厄介みたいね……ここは、少しやり方を変えさせてもらおうかしら? 安心して、攻撃をするってわけじゃないの」
一つため息をついて、姉さんは構えを解き普通に歩き出した。その無防備過ぎる行動に、僕たちはどうしてか反応することが出来ない。そんな場合ではないのに、『安心して』という言葉のお陰か僕の精神はリラックス状態だ。姉さんの能力が会話するだけで効果を発揮するというその驚異を、僕たちは思っていたよりも分かっていなかったらしい。まさか、攻撃する気を根こそぎ奪われるなんて。
姉さんはゆっくりとした動きで僕に向かってくる。そして、僕の目の前で止まるとにっこりと笑って「熊くん、ちょっと来てくれるかしら?」なんて言われた。
「いいですよ」考えるよりも先に口が動いている。「どうしましたか、兎さん」
兎さん。と僕の口はハッキリと発音している。おかしい。いや、おかしくはない。でも、僕はもうこの人を姉さんと呼び続けてたはずだ。兎さんと呼ぶつもりはもうないはずだ。なのに口が勝手に動く。まるで自分が二人いるみたいだ。
僕は兎さんと一緒に歩く。出口に向かって、ゆっくりと。
おかしい。僕は出口に向かわせちゃ行けないはずだ。おかしい。ダメだ。正気に戻れ。惑わされちゃいけない。
兎さんに手を貸そうとする気持ちと、姉さんを食い止めなければならないという思考が交互に入れ替わり僕の脳内はぐちゃぐちゃになった。わからない。一体、僕は何をしたいのだろうか。どちらの考えが正しいのだろうか。僕は今、どう行動すべきなのだろうか。
なんて考えている間に身体は勝手に動いてしまっている。「ありがとう」と耳元で囁かれて、僕は漸く正気に戻った気がした。
気づけば僕は、明紀が時間稼ぎの策として置いたデスクを砂にしてしまっていた。姉さんを出口に導くに等しいその行為は、僕を後悔の渦に巻き込んだ。
姉さんが扉に手をかける。
僕は慌ててそうはさせまいと手を伸ばすけど間に合わない。姉さんの手は鍵を開け、ドアノブを捻ってしまった。
「…………あら?」
だが、扉は開かない。
時間稼ぎが無事成功していたようだった。




