05
「遥矢、家に入ろうか」姉さんは未だ家に入ろうとしない僕に優しく言う。「ほら、雪だよ」
「あ、ほんとだ」
通りで寒いと思った。というか、顔が痛いと思った。
空から落ちてくる白い塊は、粉雪などの細かくて積もる前に溶けていくようなものではなく、降る時間や量によって色々と左右される、確実に積もるタイプのものだった。最悪、明日大半の交通網が麻痺して、車が使い物にならなくなる。足を怪我しているので関係無いが、自転車に乗ろうものなら自殺を志願するのと同じだろう。転んで轢かれるか、どこかに落ちる。
「大丈夫、中に入ってもお前が思ってるようなことは起こらない」
暗い顔をしていたのだろうか。姉さんはとても優しい声でそう言って、僕の背中を優しく押しながら玄関へ歩くことを促した。
やっぱり家に入るのは嫌だけれど、寒いし、何より姉さんがここまで言ってくれているのだから行かないわけにはいかない。僕は姉さんに促されるまま、ゆっくりとその足を動かした。
そして、玄関を開け一歩中に入ると、強烈な甘い鉄のにおいに目眩がしそうになった。
「……っ、姉さん、これは」
この一年で随分と人を殺すことに慣れた。人の死は日常になった。姉さんが言った通り、蜂が感じた通り、僕が薄々気づいていた通り、僕は人を殺すことに魅せられてしまっているのだろう。そこに、感じてはいけないはずの感情を覚えてしまっているのだろう。
それでも。
それでも、だ。
この匂いは、家を包み込んでしまうほどの強烈さは、どう考えても異常だと分かる。流石に、これに無関心でいられるほど僕もぶっ飛んでしまっているわけではない。
この匂いはどう考えても人一人分の致死量を越えた量の血が流れた証拠だろう。一体誰が殺されているのか――なんてアホなことは考えるまでもない。ああ、『お前が思ってるようなことは起こらないよ』とはこういうことだったのか。
「遥矢、私はね」姉さんはゆっくりと口を開く。「ずっとお前のことを一番に思ってるんだよ」
知っている。それは知っているのだけれど、その先に姉さんが何を言おうとしているのかは分からないため、僕はなにも言わず、たた黙って言葉の続きを待つことにする。すると、姉さんは溜めていたものを吐き出すように、さながらダムを決壊させたように一気に言葉を続けた。
「だから私はずっと、ずぅっと、この人たちを殺してしまいたいと思っていたんだよ。ううん、この人たちだけじゃないね。お前の人生を邪魔するもの、お前に害をなすもの……全部、全部排除してしまいたいと思っていたんだ。今まで殺してきたものは全部、優しく殺してあげたけど、私はこの人たちだけはどうしても許せなくて。どうしても、優しく殺してあげることはできなかった。だって、二度も遥矢を殺そうとしたんだから。それだけじゃない。この二人は、遥矢を肉体的だけじゃなくて、精神的にも殺そうとした。私の大切な遥矢を壊そうとしたんだ。そんな二人を、どうして許せる? 残念ながら、私は大切なものを傷つけられても黙っていられるほど人間が出来ていなくてね。それで、今回。本当ならもっと早く殺したかったところだったけど、もっと早い時期に殺しちゃうと遥矢の生活に支障をきたす可能性が高かった。帰る家がなくなるのは困るだろう? だから私は、帰る家の替わりを用意するところから始めたんだよ。きっとお前は、どうして私がお前を掃除人に誘ったのか不思議に思っているだろうね。でも、理由は至ってシンプルなんだよ。私は、お前の帰る家を用意したかっただけなんだ。お前が廃ビに積極的に帰るようになったときは嬉しかったよ。だって、私が用意した家に帰ってくれたんだから!」
さながら、マシンガントーク。でも、その声がとても穏やかなのはどうしてだろう? 声が穏やかなお陰で、ここまで一気に話されてしまっても、その内容が激しいものでも、すんなりと僕の耳に馴染んで入ってしまう。どういうわけか、とても心地よい。それは、姉さんの行動が、全部僕を思っての行動だったからだろうか。この言葉たちの中に、抱えきれないほどの愛がつまっているからだろうか。だから、得たいの知れない幸福感があるのだろうか。
「……時間切れっていうのは、とても悔しいものだね」
姉さんはふわりと微笑んだ。その笑顔はとても儚くて、消えてしまいそうで、手離したくないものだった。
「残念だけど、遥矢、私はこれから逃げるよ。正体がバレてしまったから、掃除人を続けることも難しいし」
それじゃあ。なんて言って、姉さんは僕の目の前から姿を消した。能力も多少使われたのだと思う。姉さんがこの家から出ていくところを、僕は認識することができなかった。
「…………」
どうしようもない消失感に襲われて、自分の全てが空っぽになったような錯覚を覚えながら、僕はフラフラと家の中へ土足で上がる。なんとなく、姉さんが残した死体をこの目で確認しておきたかった。
廊下を抜け、ドアを開きリビングにはいる。
「わぁ……」
そこで僕は思わず感嘆の声をあげた。
一般人からすれば、目を覆いたくなる凄惨な光景だったのかもしれない。僕の父親と母親だったものは、原型をとどめないほどにバラバラにされ、どれが誰のものか分からないほどごちゃ混ぜにされ、ただの肉塊として散らばっていた。床も、壁も、全てが真っ赤で、リビング一面が血の海と化していた。
そんな光景が、僕には花を描く一つのとても美しい作品のように見えたのだ。




