04
この場から一歩も動こうとしない僕を見て、姉さんは呆れたように笑った。そして「外で待ってたのは失敗だったようだね」なんて言った。僕は何も言わなかったけれど、その通り、姉さんの失敗だと思う。そこは否定する気になれなかった。
相変わらず外は寒い。出来ることなら暖かい室内に入りたいとは思っている。しかし、僕はこの家が嫌いだ。そんな家にわざわざ足を運んだのも姉さんのためなので、その目的である姉さんが外にいるのなら僕は中に入る必要が無いのだった。
「……それじゃあ」僕は話を変える目的も含めて質問をすることにする。「兎さん、色々と教えてもらえますか?」
敢えて姉さんのことを『兎さん』と呼ぶと、姉さんの姿が揺らいで兎さんのように見えた。なるほど、姉さんの能力はこういうことらしい。言葉で発した通りに認識させる。だから姉さんは、兎さんとなって僕の前に最初に現れたとき「初めまして」と言ったのだろう。そこから、僕の認識はずらされていた。姉さんを、初対面の人間だと思い込んでいた。
「いいわよ。熊くんの質問なら何でも答えてあげる」
僕が『兎さん』と呼んだからか、姉さんは兎さんの口調になった。なんだか不思議な感じだ。姉さんと呼べば姉さんになるし、兎さんと呼べば兎さんに、通り魔さんと呼べば通り魔になる。もしかしたら、全く関係のない人間の名前を呼んでもその人になるのかもしれない。僕の目の前にいる人物は本当に僕の姉さんなのだろうか、なんて疑いを持ってしまいそうだ。そんなアホなことは無い、と信じたいけれど。
「どこから訊きたい? ……その様子だと、渡り鳥からは一通り聴いたみたいだけど」
「じゃあ、その繋がりで……姉さんは、何時から能力を持つようになったの?」
普段の口調に戻った姉さんを真っ直ぐに見つめて僕は問う。
家族だというのに、姉弟だというのに、こんなにも愛してもらっているというのに、僕はこの人のことを知らなさすぎる。だから、知ろうと思ったのだ。
「……そうきたか」姉さんは少し嬉しそうに言う。「じゃあ、私のことを……渡り鳥の話の、私視点を話そうか」
「五年前の冬、当時私は高校二年生だったかな。理由は忘れたけど学校が早く終わって、どこかに出掛けようと歩いてたんだ。それで、廃ビの前を通った。
運が悪かったって言えばそれで済むのか分からないけど……廃ビの前を通るとき、私は廃ビの中に入ろうとする男を目撃してしまってね。挙げ句の果てに『あ』なんて声をあげてしまったんだよ。ふふ、遥矢は今後、こんなシチュエーションに出会したらそうならないようにね?
私が声をあげてしまった理由は至ってシンプルで、その男の顔に見覚えがあったからなんだよ。
彼は間抜けな通り魔で、警察には中々見つからないくせに目撃者は多かった。それで、連日彼の顔がテレビやら新聞やら、メディアというメディアに載る日々だったんだよ。だから私は、男を見た瞬間に『あ、通り魔だ』なんて思ってしまったんだね。それで、あろうことか携帯電話を取り出してしまった。
当然男は私が通報しようとしてると思っただろうね。捕まるわけにいかない彼は、私をその場で直ぐに殺してしまわなければならないという考えに至った。それで、携帯電話を構えた私の腕を掴んで廃ビに引きずり込んでいった。……もしかしたら、本日の獲物ゲットーなんて思ってたのかもしれないけど、それは今は関係ない話だったね。
廃ビに引きずり込まれた私は、もうダメだろうと諦めてたんだけどね。そこに渡り鳥の……渡瀬恭次郎の声が聞こえた。だから、私は最期にすがってみることにしたんだよ。
当時の渡瀬恭次郎は中々格好よくてね……本当に、宣言通り私を助けてくれた。代わりに彼は死んでしまったけどね。
……今でも鮮明に渡瀬恭次郎が殺されたときのことは覚えてるよ。多分、お前の中で銃がトラウマとなっているように、そのときの記憶は私の中でトラウマになっているんだろうね。
それに、残念なことに渡瀬恭次郎は男を殺すことはできなかった。確かに私は助けられたんだけどね。男は渡瀬恭次郎を殺して満足したのか、廃ビから逃げようとしたんだ」
姉さんはそこで一呼吸おく。懐かしむような瞳には暗い光が灯っているように見えた。
「逃がすものかと、渡瀬恭次郎を殺しておいてお前はのうのうと生きるのかと、私の中に何故か怒りが芽生えて……私は、渡瀬恭次郎に『待ってて。いつか必ず、私が貴方を助けるから』と言って男を追った。渡瀬恭次郎には、必ず恩返しをしようと思ったんだよ。……ふふ、こんなところで、あんなやつに殺されて死なないでほしかったんだろうね。
それで、男を追ったら不思議なことが起こったんだ。私が『待て』と叫ぶと、男は律儀に立ち止まってね。渡瀬恭次郎が目の前で殺されたトラウマが切っ掛けになったのかな……私は、そのとき既に能力に目覚めていた。
そこからは簡単さ。私は棒立ちになってる男からナイフを奪い取って、男の心臓にナイフを突き立ててた。生まれて初めて人を殺したよ」
そして。と、姉さんは幸福感に満ちた、でもどこか歪で不気味で病んだ微笑みを浮かべた。
「私はそのとき、人を殺すことに魅せられた」
普通なら信じられないような言葉は、どういうわけか僕の耳に抵抗なく馴染んだ。
「殺しは麻薬のようなものでね。私は虜になってしまった。……もとから、そういう素質があったのかもしれないね。どうやら、血筋みたいだし」
優しい瞳で姉さんは僕を見る。
僕は何も言わず、ただ微笑んだ。




