03
僕のスマホを鳴らした犯人は姉さんだった。どうしても今日、会って話をしなければならないことがあるから帰ってこいとのこと。僕も姉さんには色々と話したいことがあったから、凄くいいタイミングだったと思う。……渡り鳥さんが消えたばかりの、少し気まずい廃ビにあまり居たくないという気持ちもあったことだし。
それにしても、姉さんが今日どうしても話したいこととは一体なんなのだろうか。電話やメールでは済ませられないということは、余程重要なことなのだろう。何かあったのだろうか。少しだけ、心配になってしまう。
辺りはもうすでに真っ暗で、さらに真冬であるためとても冷えた。マフラーを巻いた首を縮めることで鼻や耳を少しでも保護しようと目論んでみたが、全くうまくいきそうにない。寒いというよりも痛かった。触ってみるととても冷たいので、もしかしたら寒すぎて赤くなっているかもしれない。速急に暖まりたいところだ。……残念ながら、そんなことを思っていても僕の歩くスピードは一向に速くなろうとはしないのだが。姉さんに呼び出されて、いくら姉さんに用があったとしても、やはりあの家に行くのは気が進まないのだ。それに、松葉杖はとれたもののまだ全快にはならない足がいるのだし。言い訳だけれど。
とか、なんとかあれこれ考えていれば時間はあっという間に過ぎ、僕の身体は自宅の前に到着してしまう。敷地内への一歩をどういうわけか足が拒んでいて思わず苦笑してしまった。
その原因は、家に帰りたくないからか、それとも庭で僕を待ち受けている人物のせいか。
「……どっちもか」
どっちにせよ、僕がここで逃げることは許されない。だから僕は諦めて、敷地内へと入っていった。そして、その歩みを僕を待ち受けていた人物の前で止める。
「寒空の下、お出迎えありがとうございます。……通り魔さん?」
目の前にいるのは人物と表現していいのか曖昧なもの。黒い煙を纏っているのか、それともそれ自体が煙なのか、そんな印象を与える曖昧な存在。僕と蜂が遭遇し、更には明紀を襲った、世間を騒がす危険人物。
「アぁ、やっパり、気付イテたンダ」
挑発的な口調の僕に対し、通り魔は相変わらず気持ち悪い声で、フッと笑いながら言うのだった。
「……なんてね」
相手が正体不明の生物みたいな認識をしようとしているけれど、通り魔が言った通り、僕はもうその正体の可能性に気付いてしまっている。あとはその可能性を確信に変えるだけだ。そうすれば、通り魔はすぐに姿を変える。
黒い煙はうねり、形となり、はっきりとした一人の人間へと変化していく。そこから出来上がる人物は、僕がよく知る人物だ。
「そろそろ『時間切れ』だろうとは思ってたよ」
壱之瀬紗英は、それでも余裕たっぷりに微笑んでいた。
兎さんが姉さんかもしれないという時点で、僕の中で疑いは確信に変わっていたのかもしれない。もう、その前から明紀との話で僕は姉さんを疑っていたのだから。材料は揃いすぎていた。
渡り鳥さんが言う前から、僕はなんとなく兎さん……姉さんの能力が『認識をずらすもの』だとは分かっていた。分かっていた? いや、思っていたと言うべきか。
僕と明紀だけ兎さんの髪の色が茶髪に見えて、他の人たちには黒髪に見えたということは、ウィッグなどで誤魔化していたという可能性は確実に消える。となると、何らかの力を使ってそう見せるしかなくなる。
通り魔が能力を持っている可能性を考えたのは明紀だ。まあ、確かに能力か何かを使わなければ、人間があんな煙みたいな姿に見えて、老人にも幼児にも青年にも少女にもとれるあんな気持ち悪い声を聞かせるなんてことは不可能までとはいかなくても難しい話だし、その発想に至るのは難しくない。
能力を持っていること。警察と何らかの繋がりがあり、偽の情報を流すことができること。『壱之瀬遥矢』を動機に人を殺すことができること。明紀が通り魔について調べていることを知っていること。それでも明紀を殺せない理由があること。僕と蜂を殺さなかった理由があること。
これら全てを揃えた犯人像は、姉さんと兎さんがイコールで繋がれつつあったときからそこしか指し示していなかった。
だから僕は、今ここで姉さんが全てをアッサリと肯定してしまっても、今までのことを自白しても、驚くことはないだろう。全てにおいて、予想がついてしまった。あとは動機だけか。
「ああ、そうだ。遥矢――」姉さんは僕に微笑みを向けたまま言う。「おかえり」
いつもと変わらない響き。
何をしようが、姉さんが誰になっていようが、姉さんは姉さんだ。そこは僕の中でもぶれない。信じることができる。
だから僕も、いつもと変わらない響きで応えた。
「ただいま」




