24
その後、廃ビに一度帰り狐さんや渡り鳥さん、蜘蛛ちゃんに兎さんの髪の色を訊いてみようという案を明紀が提唱し、僕たちは三人揃って廃ビに帰ることになった。一応、明紀の具合を医者に見せてみたのだけれど、異常はどこにもなかったようだ。すぐに退院の許可が出るのは嬉しい。僕ではなく、明紀のだけれど。
「なあ、熊」蜂がいるからか、僕を遥矢とは呼ばずに明紀は言う。「もし、兎さんがお前のねーちゃんだったらどうする?」
未だ慣れない松葉杖に苦戦しつつ明紀をちらりと見てみる。明紀は真っ直ぐ前を向いており横顔しか見えなかったが、横顔だけでその頭の中には様々な思考が渦巻いているということがよくわかった。きっと、僕なんかよりもずっと、『兎さんが姉さんだったら』というイフの話で思うところがあるのだろう。
ぼくはそんな明紀の質問にどう答えるべきか考えあぐねる。身内に疑いの目がいくのは嫌だ。しかし、僕自身が疑ってしまっているため嘘は言えない。嘘をつくのは苦手なのだ。
「……僕を掃除人に誘った理由でも訊いてみるかな」
結局僕は、こんな無難な答えに落ち着いた。嘘ではない。これも本音だ。しかし他に考えてることは全て隠してしまった。隠し通せたかは微妙だが。
兎さんが姉さんだったら。
僕をどんな考えがあって掃除人にしたのか分からない。そして、自分が『兎』という他人を演じ続けた理由も。
しかし、その他の『兎さん』の言動には気持ち悪いくらいにスッキリと説明がついてしまう。掃除人の中でも僕を溺愛するというのも、兎さんが僕の姉さんであればごく普通のことだ。お酒が大好きで、チーズが大嫌いだなんていう些細な部分だって二人は一致してしまっている。そう、二人はきっかけさえあれば同一人物ではないかと思ってしまうほど似すぎているのだ。外見以外は。
その外見という違いも覆されそうな今、僕は、一度姉さんと腹を割って、本音で、隠し事をせずにしっかりと話す必要があるのだろう。
どうして蜂には兎さんが黒髪に見えて、僕と明紀には茶髪に見えるのかということが些か謎ではあるけど、それも兎さんが姉さんであってもそうでなくても、本人に訊いて解決すればいいだろう。もしかしたら、能力に関わってくる話になって誤魔化されてしまうかもしれないけど。
「よう、三人揃って帰ったか」
なんてことを考えているうちに廃ビに到着し、僕たち三人をソファーに座っている狐さんが出迎えた。兎さんや渡り鳥さんの姿は見えず、狐さんの隣には珍しくちょこんとソファーに座りクッキーを無表情で食べ続ける蜘蛛ちゃんが居た。おやつタイムだったらしい。
明紀の方を向いてみると、アイコンタクトを送られたので僕は小さく頷いた。どうやら早速仕掛けるらしい。兎さんがいない今がチャンスだと思ったのだろうか。
「兎さんはいねーのな。見かけたと思ったんだけど」
「兎? あいつは仕事が忙しいらしくて今日は此方に来れないって言ってたぜ」
「じゃあ、あれは別人だったのな。キレーな髪してたし、俺様たちはそうだと思ってたんだけど」
「俺は違うと思うって言ったけどな」
空気を読んだのか蜂も加わり、中々自然な会話が展開されていく。このあと、兎さんの髪の毛を狐さんがどう評価するかによって事が変わっていくだろう。
「確かに綺麗な髪してるけど、遠目じゃ艶とかがわかる訳じゃないだろ? 黒髪の女なんてかなりいるんだしよ」
「後ろ姿にも個性が出るからそうだと思ったのになー……チッ、別人か」
そのとき、明紀の目が一瞬暗い光を放ったのを僕は見逃さなかった。
決まりだ。兎さんは黒髪で、僕たちの認識がおかしい。
明紀の目が放った暗い光は、きっとそんなことを語っていたのだろう。もしかしたら僕へのアイコンタクトだったのかもしれない。だから僕はそっと首を下に動かした。露骨に頷くと不自然だろうと思ったため、やや俯く形でとどまったが。
「兎になんか用があったのか?」
「ああ、ちょっとすげー訊きたいことがあったんだけどよー。残念、明日来ると信じて訊くことにすっかな」
たっぷりと。そんなニュアンスが明紀の言葉には含まれていた。少し怖い。
しかし、とても残念なことに僕たちは兎さんにたっぷり話を聞く機会を得ることができなかった。それは逆に、疑いを確信に近づけてしまうという兎さんには珍しい悪手でもあったのだが、僕たちと話すことを回避することを優先したのかもしれない。
こちらが何かに気付いたということに、向こうも気付いたのだ。
そう。兎さんは、この日から廃ビに来なくなったのだった。




