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魔力が足りない。


皆不安げに空を仰いでいた。かつて大気を覆っていた魔力は今、薄布のように頼りない。そこにはただ、青い空だけが広がっていた。


そこへ蹄の音が、石畳に規則正しく響いた。

それが合図のように街道には人が集まってくる。


エドガーは馬上から、少し後ろで白馬に乗る聖女ビアンカに視線をやった。王の命により、彼女から溢れ出る白い魔力を街に行き渡らせるための巡回だ。


ビアンカが通り過ぎた後の通りでは、死んでいた魔導灯がふわりと蘇り、止まっていた時計の針が刻み始める。沈んでいた街が、彼女の通る道筋だけは春が来たように沸き立った。


「助かった!」

「聖女様だ」

「ビアンカ様!」

「魔力だ!!」

「うちの子にも!どうか魔力を!!」


沿道の人々が、救いを求めて彼女に手を振る。ビアンカは淑やかな笑みを浮かべてそれに応えていたが、その横顔には隠しきれない疲労の色が濃い。

エドガーは視線を逸らし、広場の中央に座する巨大な噴水を見上げた。王都の治水設備の基本構造には魔法や魔法陣を介在させていない。


「治水設備が生きていたのは不幸中の幸いだな」


ビアンカを先導するエドガーが馬上で息を吐く。


「都市計画で一番力を入れましたからね」


隣の騎士が頷く。



『 噴水を街の主要な広場に作りましょう』


エドガーは息巻くリーリエを思い出す。

各区画に噴水を作るには水路を張り巡らさねばならなかった。


リーリエが水路と噴水の事業計画書まで出してきて皆を閉口させた。

エドガーは知っていた。小説の恋人たちが広場の噴水で待ち合わせする様子を思い描いていることも。その恋人たちに自分とフリードリヒを重ねていることも。


「なぜスヴァルトハイム様が発案なさったのにこのような設備になったのでしょうね」


騎士がエドガーに問う。


「陛下のわがままさ。自分がリーリエに噴水を作ってやるのに魔法陣など描かれたらリーリエ自作の噴水になるとか言って…」


エドガーはハッとしてちらりとビアンカを見た。

彼女は沿道に向かって手を振り返していた。

その顔には疲労の色が濃い。

エドガーは小さく息を吐いた。

彼女はリーリエの話題に敏感になっている。


――王が、もう彼女を見ていない。


エドガーの目にはそう映っていた。


―――



あの日。

民衆は倒れ、魔石は砕け、術式は霧散した。

王は聖女と共に王都を駆け、彼女の溢れる魔力で人々と都市機構を回復させた。

その姿はまさしく光だった。

そして同日。


――リーリエ・スヴァルトハイムは姿を消した。


偶然と呼ぶには出来すぎている。

黒い噂が広がる前に、フリードリヒは貴族へ通達を出した。


西の森に発生した異常個体の魔物は討伐済みであること。

しかし魔力消失の原因は未だ不明であること。

そして――

調査および原因解明は、魔法塔の主リーリエ・スヴァルトハイムに一任している、と。

彼女は現在、独自領域にて調査を行っており、所在は秘匿されている。


――そういうことになっている。


未成年の公爵当主。

自由な行動を許されていた彼女の所在を正確に把握する者は少ない。

その曖昧さが、今は都合よく働いていた。


王は公式には彼女を探せない。

だが、水面下では密偵に捜索を命じている。


事実を聞かされているエドガーは無意識に周囲へ目を走らせた。

人混みの中に。

路地の奥に。

いないはずの姿を探してしまう。


――伴侶を見つけた。


前日に聞いた言葉が、頭をよぎる。

エドガーは小さく首を振った。



───



エドガーは城に戻るとフリードリヒの執務室を訪ねた。


「討伐、ご苦労様です」


フリードリヒの隣で側近のオスカーが素っ気なく言った。

エドガーは視線をオスカーに移す。スラリとした長身に、榛色の髪。涼しげな眼差しは冷たくすら感じた。


「相変わらずだな、その男前は。今日は執務室に居ていいのか」


「そうですね。今は、スヴァルトハイム様がいませんので」


オスカーは少し目を伏せ、その整った顔を困ったように曇らせた。

エドガーは「過保護」ではすまないところまで来ているフリードリヒを見た。彼は書類の押印に忙しそうだ。

フリードリヒの机には書類の他に大量の手紙が積まれていた。


「嘆願書ですかな」


エドガーの声に、フリードリヒが顔を上げた。目の下のクマが酷い。


「リーリエの安否確認の手紙だ」


フリードリヒはため息を吐いてその山を手で払う。手紙がバラバラと床に散らばった。


「失礼します。書類をお持ちしました」


密偵がやって来てオスカーに書類を渡す。彼はすぐに目を通した。フリードリヒが手を止めオスカーに視線を移す。

オスカーはフリードリヒに書類を渡しながら首を微かに振った。フリードリヒは苛立ち、その書類をくしゃりと握りつぶした。リーリエの捜査報告書だ。


「ビアンカはどんな様子だ」


フリードリヒはビアンカにしばらく会っていない。公務が立て込んでいて政情も不安定。会いに行く暇が取れないのが実情だ。

何より、フリードリヒが今までのようにビアンカの魔力に陶酔しなくなり、それが王の寵愛を失ったように映っていた。


「大分お疲れのご様子です。一度お会いになっては」


「そうだな。教会に引き渡さねばならんしな」


「なんですと!?聖女は今や王権の切り札。なぜ教会などに」


エドガーは机を叩いた。

脇からオスカーが答える。


「パルディアとの盟約があるのですよ」


元々パルディアの第四王子だったフリードリヒが、国王である兄からこの地を貰う際に交わした盟約のひとつだった。


フリードリヒは冷たい声を出した。


「教会の面子を守らねばならん」


未だ物流や外交で支援を受けているエルディフィア王国。教会からパルディア王の手紙を渡された時は、兄がリーリエを攫ったのではないかと邪推する程だった。


「まあ、悪いことだけではない。ビアンカを召喚したのは王家だと教会が喧伝する事になっている」


フリードリヒにしては姑息なことだとエドガーは思ったが、彼の、不意に揺れる眼差しの先にある魔導書を見つけ、ため息をついた。


そうだ。フリードリヒは元々、リーリエのためにこの国を作ってやったのだった。


エドガーは拳を握りしめた。

リーリエがいないこの国は、がらんどうに見えているのか。


「……しっかりなさって下さい。あなたはエルディフィアの王なのですよ」


エドガーの言葉に、フリードリヒは短く答えた。


「ああ。……分かっている」


その声に、かつての英雄の覇気はない。


どこに行ったのだ、リーリエ。


エドガーは奥歯を噛み、妖精のように消えてしまった銀髪の魔法使いを思った。


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