百番目の愛
皮袋は次第に冷たくなり、クエストの熱も少しずつ下がってきたようだ。 ふ
けれども、胸の内の思いを全て吐き出したあと、体力はすっかり失われ、気力も尽きかけてしまっている。
そんな、ぎりぎりのタイミングだすった。
遠くに、小さなほむらが見えた。先発のカラハン達が、目印のかがり火を焚いてくれたらしい。
「クエスト、ほら、見えるだろう? カラハンたちが、あそこで待っていてくれるんだ」
「‥‥‥‥」
「そうだよ、カラハンだ! クエストは、もう、一人ぼっちなんかじゃない!!」
クエストは、ふらつきながらも、ようやく顔を上げた。
「‥‥カラハン」
赤い大地を抜けてから、私たちはは、丸一日眠り込んだ。
何とか体勢を整え直して、新たな山道を登り始める。あたりには、すでにうっすらと雪が積もっていた。
「まずいぞ! 初雪が降ったらしい」
「‥‥‥‥」
「灼熱の次は、雪なんて‥‥」
「あぁ、寒い寒い!」
何だか、懐かしい雰囲気だ。
山道の途中で鍾乳洞に出た。いよいよ、最後の関門のはずだ。
木の枝で小さな松明を作り、低い入り口から身を屈めて入っていくと、視界が開け、道が左右に分かれている。
カラハンとクエストが右の道を行き、私はクワィアの前に立って左へ進んだ。
私は、松明をかかげてこわごわ進み、クワィアは皮袋を背にあとに続く。
洞窟がどこまで続いているのか、見当もつかない。天井からあちこちに下がる濡れた鍾乳石が、松明の光に冷たく輝いている。時おりしたたり落ちる雫の音が、ピトーン、ピトーンといつまでも耳の奥に残る。
「‥‥サライ姉さん、あんまり先に行かないでよ」
甘い花の香りとともに、まとわりつくようなクワィアの声が後ろから追いかけてくる。
「‥‥うん」
──こんな風に言われたら、男はみんな、ほっとけなくなるんだろうな。
ふと、クワィアが今、どんな顔をしているのか知りたくなって、そっと後ろを振り返ってみた。
暗くて、表情はほとんど分からない。ただ、胸元の首飾りが、ぼおっと闇の中に浮かび上がって見えた。花の丘で見た時よりも、輝きが増したように思われる。
冷たい洞窟の壁に手をやりながら一歩ずつ進んでいくうちに、クワィアは、私の後ろにぴったりとくっ付いていた。
「‥‥サライ姉さん、あたしより先に、幸せになっちゃ嫌だよ」
「─えっ!?」
思いもかけない言葉だった。
「─どうして?」
「トコハルの国で、百枚目の赤い布を見つけたら、姉さんは幸せになれるんでしょ?」
「どうしちゃったんだい、クワィア? そんなに若くて、可愛くて──あんたこそ、幸せの象徴のように見えるよ、私には。きれいな首飾りは、その証なんじゃないのかい?」
クワィアは答えなかった。
だいぶ短くなってきた松明の火を消さないように、慎重に歩いて行く。洞窟の奥の方から、かすかに風のような音が響いてきた。誰かのすすり泣きのような、寂し気な音だ。
「‥‥ねぇ、何か話してよ」
「‥‥そんなこと、急に言われても‥‥」
「‥‥こんな真っ暗なほらあなを、黙って歩き続けるだけなんて、とても‥‥」
「‥‥それは確かにそうなんだけど。‥‥あっ、そうだ! その首飾りは、もしかして『蛍光石』っていうもの? 日の光で見た時よりも、随分輝きを増したように思えるんだけど‥‥」
「‥‥どうだろう? よく分からない‥‥」
クワィアは、言葉を濁した。
「『愛してる』の証に、一人が一粒ずつ‥‥。いったい何人の男が、その石をあんたに捧げたんだい?」
「─九十九人」
──なんと!!
暗闇の中で、光る石は妖しくゆらめいている。
「それだけの人間に『愛してる』って言ってもらえるなんて、そんな幸せ者は、なかなかいないだろう? それとも、九十九までいったら、百まで集めたくなるのが人情っていうものなのかねぇ、やっぱり‥‥」
「‥‥だって、これをくれた人達はみんな、私の若さと美しさだけが目当てだったんだから」
──よくもまぁ、自分の口からそんなことをおっしゃいますこと! でもそれは、いつもの自信に満ちたクワィアが戻ってきたということか。
「サライ姉さんだって、どうしても、百枚目の赤が欲しいんでしょう?」
「─うん。これは、姉さんが、私の幸せを祈って縫い始めてくれたものだからね。このキルトだけは、絶対に完成させたいんだ」
「姉さんは、元気?」
「─天国でね‥‥」
「─そうなんだ、ごめん‥‥」
「‥‥いいんだ。ミナの心は、このキルトの中でずうっと生き続けているから‥‥」
「‥‥ミナ‥‥‥‥」
「‥‥姉さんも、幸せが見つけられずに、随分と苦しんだ時があったんだよ。でも、とうとう、優しい人に巡り会えた。‥‥幸せって、そんなものらしいよ。クワィアには、まだ、時が満ちていないだけなんだよ、きっと。‥‥これは、クエストが教えてくれたことなんだけどね‥‥」
クワィアの表情が、かすかに歪んで見えた。
「‥‥いいよね。サライにはもう、幸せのありかが分かってるんでしょう?」
首飾りをまさぐりながら、クワィアは、久しぶりに『サライ』と呼んだ。
「‥‥‥‥」
「‥‥ところで、サライ姉さんのふるさとは?」
「アラドナ」
「‥‥そうなんだ。‥‥そう言えば、カラハンも、アラドナに行ったことがあるらしいよ」
──えっ!?
クワィアの瞳が、妖しく光った。