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第1話「ぼうけんのしょが破損しました」

ーーーーぼうけんのしょーーーー


 ぼうけんのしょが破損しました。


 復元しますか?


 ▶ はい

  いいえ


ーーーーーーーーーーーーーー


 ——という光る文字を、俺は寝転がったまま見上げていた。


 背中が冷たい。岩だ。天井も岩。明かりはないのに、なぜか薄く見える。灰色の、深い場所の色。


 ……どこだ、ここ。


 思考が半分寝ぼけたまま、身体の点検を始める。指、動く。足、動く。痛み、なし。所持品、なし。記憶——


 記憶。


 名前は出てくる。ノボ。それはいい。問題はその先だ。昨日、俺は何をしていた? どこから来て、なんでこんな岩の底で、こんな表示に見下ろされてる?


 思い出そうとすると、頭の奥で霧が動く。形になる前に、ほどける。


 普通なら叫ぶ場面だと思う。おーい、誰かー、って。


 でも不思議と、焦りは湧かなかった。むしろ変に落ち着いていた。


 ああ、まただ。


 ……何が「また」なんだろうな。自分で思っておいて、自分で分からなかった。


 起き上がる。立てた。よし。


 人間、立てるうちは詰んでない。誰の言葉だったか、それも思い出せなかったけど。


 改めて、目の前の表示と向き合う。


 ぼうけんのしょ。懐かしい響きだった。どこで聞いたのかは霧の向こうだ。なのに、この表示が何を意味するかだけは、身体が知っていた。


 記録が、消えたのだ。俺の。


 「……人生もこれくらい簡単に復元できたら、よかったのにな」


 誰に言うでもなく、呟いた。そのときだった。


 「──復元じゃない」


 声がした。


 振り向くと、男が立っていた。


 いつからいた? 気配なんてなかった。フードを目深に被っていて、顔が見えない。背格好は俺と同じくらい。声は、軽い。こんな岩の底に似合わない、日向みたいに軽い声だった。


 「書き直すんだ」


 「……誰だ、あんた」


 「通りすがりの先輩冒険者。Aとでも呼べ」


 「エー」


 「不満そうだなw」


 いや不満っていうか、情報量がゼロだった。名前も、顔も、なんでここにいるのかも。


 「ここ、どこだ」


 「お前はどこだと思う?」


 「……質問に質問で返すなよ」


 「俺の仕様だ。諦めろ」


 俺は、足元の石を一つ、拾った。


 「おーw なんだなんだ」


 「間合いの内に、素性の知れない男がいる。石くらい持つだろ」


 「賢いねえ。……ま、俺がお前を害する気なら、寝てる間にやってるわなw」


 「……それもそうか」


 石は、しまわなかった。理屈と警戒は、別の棚だ。男は俺のその手つきを見て、なんでか、妙に満足そうだった。


 「名は?」


 「……ノボ。ノボ・ケンショウ」


 霧の向こうから、名前だけは、するりと出てきた。


 「ふーん。じゃあノボな」


 埒が明かない。俺はフードの男——Aを警戒の枠に入れたまま、周囲の把握に戻った。岩壁。通路が二本。空気の流れは、右からわずかにある。水の音は、しない。


 ……で、俺は今、何を確認した?


 自分の行動に自分で驚いた。迷子になった人間の動きじゃない。これは——探索の、手順だ。


 考えるより先に、視界の端で何かが動いた。


 通路の暗がりから、それは滲み出るように現れた。半透明の、黒っぽい塊。地面を舐めるように這って、こっちに来る。


 スライム。


 その名前も、勝手に出てきた。そして名前と一緒に、別のものも出てきた。


 ——影スライムは殴るな。


 拳も、蹴りも、あれは呑む。呑んで、太る。武器を突っ込めば武器ごと呑まれる。倒し方は一つ。あれは数十秒に一度、体の中の核を表面近くまで浮かせる。呼吸みたいなものだ。浮いた瞬間に、硬いもので一撃。


 それだけ。それ以外は全部、悪手。


 ……なんで俺、こんなこと知ってるんだ?


 考えるのは後だ。俺は足元の石を拾った。手のひらに収まる、角の立ったやつ。腰を落とす。スライムとの距離、五歩。あれの突進は遅い。慌てる要素がない。


 来た。


 一歩引く。二歩。塊が地面を打つ。粘つく音。焦らない。見るのは表面だけ。


 ——浮いた。


 黒い塊の中で、小さな赤がふっと明るくなった、その瞬間。


 石を、叩き込んだ。


 っぱぁん! と、黒い塊が弾け飛んだ。


 ……終わり?


 終わりだった。無傷。汗もかいてない。手順通りにやったら、手順通りの結果が出た。


 派手さの欠片もない一撃で、敵だけが派手に消える。この、答えだけ知ってる問題を解くみたいな爽快感——悪くない。いや、正直に言おう。かなり、いい。


 「ふうん」


 Aが、いつの間にか隣で見ていた。


 「今の、誰に習った?」


 「……分からん」


 「だろうなw」


 何がおかしいのか、Aは笑った。それから、思い出したように言った。


 「なあ。お前、ここが奈落の何層目か、知ってるか」


 「知るわけないだろ。さっき起きたんだ」


 「最下層だよ」


 Aは、フードの奥で確かに笑った。


 「一番下。どん詰まり。地図の終わり。——おめでとうw」


 「……何がめでたいんだ」


 「分からんか?」


 Aは俺の横を通り過ぎ、暗い通路の先を指差した。上へ続く、長い長い道の始まりを。


 「ここから先は——落ちる心配が、ねえってことだよ」


 「……最下層の割に、敵が雑魚だな。スライムって」


 「あん? ——底に強いのが湧くと思ってたか?」


 Aは、可笑しそうに言った。


 「逆だよ。強いやつはな、こんな底まで落ちてこねえ。落ちても、すぐ登っちまう。……底に溜まるのはな、落ちてきたばかりの奴と——登るのを、やめた何かだけだ」


 「……何か?」


 「さあなw」


 その夜、寝入り端に、聞いた。


 ずっと、ずっと下の方から。岩盤越しに、一度だけ。地鳴りとも、巨大な寝返りともつかない、深い、深い音。この最下層の、さらに下で——途方もなくでかい何かが、身じろぎをしたような。


 ……気のせいだ。ここは、一番下だ。


 下は、ない。


 ない、よな?


ーーーーぼうけんのしょーーーー


 本日の記録

 ・目が覚めた。最下層らしい

 ・影スライム、一。手順で処理

 ・変な先輩に会った


ーーーーーーーーーーーーーー

※現実世界の諸君へ。どん底の良いところを教えてやる。──床が硬い。つまり、立てる。

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