1-3
かくして、佐野の整体を受ける事になったカトゥは、翌日からあてがわれた部屋に入り浸る事になる。
「まずは、体全体を解していきましょう。ベッドにうつ伏せで寝ていただいて……では、始めますね」
「ええ、お願いするわ」
カトゥへ一声かけてから、佐野は施術を始めた。
彼が最初に手を出したのは、首の付け根あたり。そこから下半身に向かうようにして、順に部位を指圧していく。
「なぜ、表情筋を解すのに、他の場所を圧すのですか?」
「人体の筋肉は、全て一つに繋がっています。なので、患部である箇所だけでなく、そこに関連していく部分も解す事で、指通りを良くし、効果を高めるんです」
佐野はカトゥが口にする疑問の全てに、嫌がる事無く丁寧に回答した。時折出る専門的な単語も、彼女が分からないと言えば、すぐに解説を入れてくれる。
真摯に向き合う彼の姿は、非常に好印象を受けた。
(……これで本当に、表情が出るようになるのかしら)
気持ち良さは分かる。現に今、若干の痛みはあるものの程良い心地よさを感していたからだ。しかし、それが自身の無表情を改善するに至るのとは想像出来ずにいた。
「整体師によってやり方は少し変わりますが、僕はこうして背中から足にかけてを揉み、その後に仰向けになっていただいて、両足と両腕、肩首、頭の付け根へ昇っていく形で施術させていただきます」
腰を通り過ぎ、臀部に触れる佐野の手に、一瞬身を固くする。
(うぅ、普段触られない所だから、何だか緊張しちゃう……破廉恥な事をされてるわけじゃないのに……変に思われてないかしら?)
「やっぱり、体を触られる事に抵抗がありますよね?」
悩むカトゥに、彼が申し訳無さそうに聞いた。体に触れているからか、佐野にはお見通しらしい。
「……ごめんなさい」
「いやいや、気にしないでください。体を触られる事に抵抗があっても、それは仕方ないですよ。触られたくない所や、指圧している最中に酷く痛む場所があれば、遠慮なく言ってください。今は大丈夫ですか?」
彼の優しい声に、カトゥは平気だと答える。彼女の返答から、続けても大丈夫だと判断したようで、佐野は整体を続行した。
「……この五日間は、どうするのですか?」
「一日目である今回は、整体のみにする予定です。これを大体三十分……あ、そう言えば、この世界の時間の単位って、どうなってるんです?」
佐野が手を止めて、思い出したように言う。
「時間……ああ、貴方は異世界人だものね。まず、一日の始まりを『デア・ホラ』と呼び、そこから順に『ルパ・ホラ』、『ポルタ・ホラ』、『ミラ・ホラ』……と続いていきます。今の時間帯は、丁度日が頭上に来る頃ですから……『アイテール・ホラ』ですね」
「ほぇ……やっぱり全然違うんですねぇ……」
カトゥの話を聞いて、佐野が少し弾んだ声で呟いた。
「先程、貴方がふん? と言っていたものですが、恐らく『ホーラエ』の事でしょう。例を挙げるなら、『十五ホーラエ後に、城門で待ち合わせしましょう』、かしら」
(わ、分かり易くしたつもりなんだけど、理解してもらえたかしら……)
普段、兵士達に訓練を行う事はあっても、教師の真似事はした事がない。彼に伝わったか不安なカトゥだったが、どうやらその心配はなさそうだ。
「なんか、ファンタジー世界に来たって実感します!! とっても良い!!」
(ふぁん……なんて? まあ、楽しそうで何より……いや、やっぱりこの世界に順応し過ぎでは??)
キャッキャッとはしゃぐ佐野に、カトゥは何とも言い難い気持ちになる。
それに、あまりにも素直に現状を受け入れ過ぎているように見えて、少し不気味にも感じていた。
「と、それはさておき、この整体は大体三十ホーラエ行います。で、明日と明後日は、こちらの世界の薬草などを教えていただいて、専用のアロマオイルを作ってみようかと。カトゥ様には、お一人でも出来る簡単ストレッチをお教えしますので、今日の夜から自室で実践してください」
そんなカトゥに気付くことなく、佐野が五日間のスケジュールを簡潔に説明する。
「わかりました……あの、一つ良いですか?」
「どうされました?」
「なぜ、そんなにも冷静でいられるのです? 普通に考えて、異世界召喚なんて突飛な状況に巻き込まれて、平然としていられないと思うのです」
カトゥは思い切って、彼に聞いてみる事にした。佐野は一瞬手を止めたが、すぐに整体を再開する。
「うーん、こう見えて戸惑ってはいるんですよ?」
(全くそうは見えないんですけど!?)
困ったような声色で答えた彼に、カトゥは驚いた。これまでの言動を思い返してみても、とてもそうは思えない。
「でも、それ以上にドキドキしています」
「どきどき……?」
「はい。先程も少し話しましたけど、僕の世界では魔法とか魔族とか、全て架空の存在です。でもその代わり、沢山の創作物で溢れています。魔法学校の話や、魔界の魔王になる為に争う物、とあるギルドに所属する魔法士達の物語など、本当に沢山」
話をしながら仰向けになるように指示され、彼女はそれに従う。
「それらは世界中の人の手に取られ、多くの人に夢や希望を与えています。僕も、こう見えて読書は好きなので、良く小説なんかを読んでました。だから、この世界に魔族や魔法が存在していると聞いて、年甲斐も無くわくわくしてまして……多分、戸惑いよりも、そう言った感情の方が先行しているので、落ち着いているように見えるんだと思います」
照れ臭そうに笑う佐野は、本心からそう思っているように見えた。
(なんだか、過大評価されている様にも聞こえるけど、悪い気はしないわね)
少年のように目を輝かせる彼に、カトゥは苦笑する。けれど、その真っ直ぐな言葉に、カトゥは胸の真ん中が温かくなる気がした。
「だから、魔族の方々はかっこいいと思いますし、兵士の皆さんはとても強そうだと思います! 侍女の方々も美人が多くてついつい目が行っちゃって。角も色んな形があって個性的ですし、種族によって尻尾があったり、爪が長かったり、色んな人がいて楽しいです!! 触りたい!!」
(こ、ここまで好意的なのを前面に出されると、ちょっとやり辛いわね……そして最後のが本音ね)
満面の笑みを浮かべてながら、カトゥの頭の付け根を引き上げるような動作をする佐野にちょっと引く。
「……それにしても、整体は気持ちが良いですね」
「そう言ってもらえると、整体師冥利に尽きるってもんです」
カトゥにそう言われ、彼は嬉しそうだ。
「期限は五日と短いですが、僕も全力を尽くしますので、一緒に頑張りましょう!!」
「……ええ、よろしくお願いします」
先の見えない状況ながら、弱音を吐かない佐野に励まされ、カトゥもやれる事をやり切ろうと決めるのだった。
佐野は宣言通り、二日目は城で一番薬草に詳しいメイド長に事情を話し、仕事の合間を縫ってカトゥに合うアロマオイルの製作を開始した。
カトゥ自身も、初日に教わったストレッチをきちんとこなしている。
しかし、オイル製作は一筋縄では当然行かなかった。それでも寝る間も惜しんで患者の為にと懸命に作業を続ける佐野は素晴らしいと人だとカトゥは思う。
結局その日の内に完成はしなかったそうだが、その手の才能があったのか、たった一日でかなり良い試作品が出来たそうだ。
「明日は、これを試してもらいたいと思います!!」
(すっごい自信満々な顔……ちょっと楽しみ)
中々の出来栄えだと豪語する彼に、表情こそ変わらないながらも、カトゥはわくわくしていた。
「……彼を試す?」
三日目の朝、着替えを手伝いに来た御付きの侍女二人の言葉に、思わずそう聞き返す。
「はい。正直な所を申し上げますと、我らはあの人族を信用しておりません。しかし、大事なお客様である事も分かっております」
「そこで、我々は自ら、彼の人族が信用に値するかを判断したいのです」
彼女達曰く、城に勤める者達の中には、人族である佐野に対して懐疑的な者も少なくないのだとか。
(あー……今までの縁談相手が人族だったのもあるだろうし……彼女達には、王族に媚びを売っているように見えるのかもしれないわね)
この城にいる魔族達は、そのほとんどが先代魔王の頃から居る者達ばかりである。そのせいか、彼ら彼女らは城内にいる魔族の中でも年若いカトゥをとても可愛がってくれていた。
(それが余計に、サノを敵視する原因になってるのかも……昔の縁談の事なんて、そりゃ、ちょっと、だいぶ気にする所もあるけど……でも、彼は関係ないし)
たった数日過ごしただけだったが、それでも佐野の優しさや真面目さは分かったつもりだ。絆されていると言われれば、そうかもしれない。
その分、侍女達の言い分も分かる。だからカトゥは、彼女達に敢えて協力することにした。
「どんな事をするかは、決まっているの?」
「いえ、それがまだ……」
カトゥの問いかけに、侍女の一人が首を横に振る。
「ならば、私にすればどうかしら」
「か、カトゥ様を、ですか?」
(突然こんな事言われて、そんな反応にもなるわよね)
驚いてきょとんとする侍女達に、彼女はこう言った。
「私の悪口を、彼の前で言ってみれば良いのです。貴方達に同意して蔑むなら、そこまでの人族であった、と。」
「そ、そんな! カトゥ様の悪口だなんて、そんなの言えません!!」
「そうです! カトゥ様は、素晴らしい方なのに、そんな事……!!」
まさかの提案に腰が引けている侍女達に、カトゥは続ける。
「貴方達が望む反応を見ようと思うなら、これくらいはしないと無理だと思うわ。あくまで、演技をするだけ。それに……」
ドレッサーの前で髪を梳いていたヘアブラシを握り閉め、彼女は深呼吸をした。
「……母上の事、話しても良いわよ。大丈夫、何かあったら、責任は私がとるわ」
鏡越しに見つめるカトゥに力強い目に、侍女達は根負けする。
佐野の本性を暴いてやると息まく侍女達に、上手くいけば城内の蟠りも無くなるはずだと、思わずにはいられなかった。