王妃に相応しき者3
最上階にある王妃の部屋では、コレットが窓際のひじ掛け椅子に座ってハンカチに刺繍をしている。
開け放った窓から吹き込む風で豊かな髪がサラサラと揺れるたび、首筋にあるふたつの赤いあざがチラチラとのぞく。これをつけられた翌朝に、「きゃーっ」とうれしそうに頬を染めたリンダに意味を聞かされ、赤面したコレットは部屋から出るのを控えることにしていた。
だってミネルヴァにばったり会ってこれを見られてしまったら、どんな嫌味を言われるか分からないのだ。純真無垢なコレットには、言い返す言葉が思いつかない。おかげで食事のとき以外は、最上階から動くことなく過ごしている。まじないをかけた陛下の思惑通りである。
今はエドアールが滞在中のため、王妃としての仕事はお休み。
コレットは針を刺す手を止めて窓の外を見やった。陛下は毎日エドアールと一緒に出掛けており、滞在三日目の今日は市場の視察に行っている。
『いいか。城は警備が手薄になる。何をするにも、気を付けるんだぞ』
陛下が言っていた通りに城の敷地内には騎士の姿が見えず、役人たちはいるがいつもより静かに思える。
鳥が空を飛び、爽やかな風が緑を揺らす様はとても平和で、警備が薄くても何事も起きる気がしない。少しくらい動いても、城から出なければ大丈夫そうに思う。
コレットは、ふと思い立って宝箱を取り出した。貝細工の美しい箱の小さな鍵穴に、これまた小さな鍵を差し込む。ぱかっと蓋を開け、中を見たコレットの体が固まった。
「うそでしょ」
血色のよかった顔が、一気に青ざめていく。
陛下からもらった書庫の鍵がないのだ。宝剣の下に隠れているかと思いきや、影も形もない。
「もしかして、落としたの!?」
持ち出すときはいつも首にかけていて、最後に持って出たのはエドアールが来る前日のこと。確かに宝箱に仕舞ったはずだが、記憶違いだろうか。
『世継ぎの王子が持つ鍵』
「え、え、え、どうしたらいいの??」
コレットはパニックに陥り、宝箱を持ったままうろうろと部屋の中を歩き回る。
陛下から預かった大事なものを失くすなんて、なんたる失態だろう。落とし物として届けられていればいいが、そうでなかったらどうしたらいいのか。
「とにかく探さなくちゃ!」
首のあざを恥ずかしがっている場合ではない!
コレットはなりふり構わず部屋を飛び出し、ドレスの裾を持ち上げてよたよたしながらも小走りになる。そんなコレットの横目に白い影が通るのが映って、シュンと吹く風が髪を揺らし、次の瞬間にはひざまずくふたりの騎士がコレットの前にいた。素早い動きで行く手を阻んだふたりは、騎士団の中でもトップを争う精鋭の者たちだ。
「王妃さま。お待ちください」
「今の時間、部屋から移動することは許可できません。お止めするよう、陛下に命じられています」
ふたりは、部屋にお帰りくださいと言うが、コレットは従うことができない。
「でも、わたしは探し物をしてます。大事なものなんです! ふたりがついてくだされば、大丈夫でしょう? だから、あのっ、落とし物はどこに届けられますか!?」
騎士たちは顔を見合わせてうなずくと、必死な様子のコレットに落ち着くように進言した。
「分かりました、ご案内いたします。我らが命に代えてもお守りします。ですがコレットさま。危険ですので、走るのはやめましょう」
周囲に鋭い視線を配りながらゆっくり歩く騎士に先導され、一階の役人室に行って落とし物リストを見せてもらう。だが、鍵の文字はどこにも見当たらない。
「ないわ。困ったわ」
何をお探しですか?と尋ねる役人に対して曖昧な微笑みを返し、コレットは四日前に行動した道筋を思い出しながら辿り始める。王妃の執務室の中も、騎士たちに協力してもらいながらあらゆる物の下を探したが、見つからない。
あまりのことに涙が出そうになるがぐっと耐える。
陛下が戻るまでに見つけたい! その一心でキョロキョロしながら廊下を歩きまわった。
するとすぐ横にある扉がぱっと開き、出てきた人物がコレットを見つけると姿勢を正した。くいっと唇の端をゆがめて礼を取るのは苦手なミネルヴァで、コレットはさりげなく首のあざを髪で隠した。
「これはこれは王妃さまではございませんか。こんなところで、なにをしておいでですか?」
「ただの散歩です」
「おや? 散歩、ですか。私はてっきりお探し物の最中かと思っておりました。大変お困りのご様子だったと役人から聞き及び、このミネルヴァが、微力ながらお助けしようとしましたが……」
コレットをじろりと眺めたミネルヴァは、仰々しく喜んで見せた。
「散歩ということは、もう発見されたんですな!! それはひと安心でございます。私は、相当に大事なものをなくされたのかと、案じておりました」
訳知り顔でうなずいたあと、ミネルヴァは目をギラッと光らせてニヤッと笑う。
「失くされたのが、例えば、書庫の鍵であるとか?」
「え……?」
コレットの胸がギクリと脈打ち、顔が青ざめるのを自覚する。どうして、ミネルヴァは失くしたものが分かるのだろうか。それとも、あてずっぽうで言っているだけだろうか。
そんなコレットの反応を見て、ミネルヴァはにやけながらも深々と頭を下げた。
「おおお、これは、どうやら違うようですな。大変失礼致しました」
謝罪の言葉を述べながらも、ミネルヴァは嬉々とした表情をしている。図星であることを、気づいているかのように。
「書庫の鍵を失くすなど、そんな愚かな人は王妃にふさわしくありません。早々に座を退くべきと存じます。まあ、賢明な王妃さまには関係ないことですかな!!」
愉快気に声を立てて笑ったミネルヴァは、では失礼、と言って足早に立ち去って行く。
呆然と立ち尽くすコレットに、騎士たちが小声で進言した。
「王妃さま。ミネルヴァがなにかを知っているかもしれません。内密に調べさせましょう」
「はい、お願い、します」
今はいったん部屋に戻るべきですと言われ、コレットは素直に従った。
その夜のこと。コレットは、部屋に来た陛下に鍵を失くしたことを話し、どう償ったらいいですか?と沈み込んだ。
世継ぎの証を失くしてしまうなんて、今度はどんなお沙汰が下されるのか。とても厳しいものに違いない。死罪だろうか。
ところが陛下は、コレットの頭を撫でて「失くしたのは、君のせいではないぞ」と優しく言った。警護にあたっていた騎士たちの報告を受けた後、陛下はすぐにいろいろ調べたという。
「君が書庫の鍵を部屋まで持ち帰って、箱の中に入れているのをリンダは覚えていた。それにアーシュレイも首に鍵をかけて部屋に戻っていったのを覚えている。君はしっかりと管理していたよ」
「え、それじゃ、どうして箱の中にないのですか?」
「盗まれた、と考えるのが妥当だ。ミネルヴァも怪しいが確たる証拠はない。だがひとつだけ、確かなことがある。君は、三日ほど前から、ある人の姿がないのに気づいているか?」
「あ……マリア、ですか?」
「そうだ。リンダの下に付けた彼女がいない」
「はい。でも、彼女のお母さまが体調を崩されたので、看病のために実家に帰ったと聞いています。あ! まさか……」
コレットの脳裏に、鍵に興味を持っていたマリアの姿が浮かぶ。確かに、誰にも怪しまれず王妃の部屋に自由に出入りできるし、宝箱の鍵のありかを知っている可能性が強い。
陛下の考えでは、盗まれたのは夜会が開かれている最中だそうで……。
「夜会に来た者の仕業かもしれないが、来賓が城の中をうろつけば必ず警備の目に留まって報告が上がる。でもあの夜はなにもなかった。そうやって可能性を消去していけば、自然に彼女にたどり着くんだ」
「でも、どうしてそんなことを?」
盗むなら、宝石がたくさんついている宝剣の方が宝物としての価値がありそうだと思える。どうして書庫の鍵なんだろうか。
「それは、本人に聞くべきことだな。今ごろ、アーシュレイがマリアの実家に向かっているよ」
「捕まえるのですか? 盗んだのは、マリアじゃないかもしれません」
「それを確かめるんだよ。誰かに脅されて鍵を盗んだことも考えられるから、今は内密に動いている。捕まえるのは、マリアの身を守るためでもある。この件はもう君の手に負えないところにあるんだ。任せてほしい」
諭すように言う陛下に、コレットは素直にうなずいた。
もしかしたら犯人は、裏山で襲ってきた敵と一緒かもしれない。陛下は見張りをつけてあると言っていたけれど、今は危険な状態なのはコレットにもよく分かっていた。
「それよりもだ。先日、君が希望していたことを話そうか」
「わたしの希望って、先の王妃さまにお会いしたいということですか? もしかして、城にお呼びいただけるんですか?」
「いや、これは内密に進めたいゆえに、あちらに出向こうと思う。私も事をはっきりさせたいからな。これもいい機会だ」
陛下はハンネルが帰国した後に行こうと約束した。
書庫の鍵のこと。ユーリス王のこと。正体不明の敵のこと。コレットの頭の中に浮かんでは消えていく。眼が冴えてしまい、ベッドの中で腕に包まれても、なかなか寝付くことができなかった。




