王妃に相応しき者2
それからまもなくして、普段通りに陛下が部屋にやってくる。
いつも静かに扉を開けて入ってくる陛下は、一切物音を立てずに近づいてくる。そして、コレットが何をしていても、ふわりと抱き寄せるのだ。
最初の頃は驚いて声を上げていたコレットだけれど、今は幸せを感じるようになっている。見上げれば、夜限定の甘い瞳をした彼がいる。
でも気のせいか、今夜はいつもと違って鋭い光もあるように思う。今夜は陛下にとっても慣れない夜会だったので、まだ気が張っているのだろうか。
「陛下、今日はお疲れさまでした」
「うむ……今日は、針を持っていないんだな」
「ついさっきまで、リンダとお話をしていたんです。だから、刺繍はお休みです」
「そうか」
陛下の腕の優しさと口調は、いつもの夜と変わらない。けれどコレットを見る瞳は、やはり違っているように思う。甘さの中にある鋭さは、まるでふたりの間に一線を引いたような、一歩退いたような、そんなよそよそしさを感じさせる。
それは、コレットがお沙汰の終わりが近いことを予感しているせいだろうか。上流貴族のご令嬢が一堂に会した今夜、アーシュレイが本物の王妃候補を見つけているに違いない。ぬかりのない彼ならば、チェックしているはずなのだ。それを陛下に尋ねるのは怖い。
もしもそうであっても、お沙汰終了を告げられるまでの間は、精いっぱい陛下に尽くしたい。どのくらいあるか分からない限られた時を、コレットは有効に使わなければならない。今にも終了を告げられるかもしれないと思えば、大いに焦るのだった。
「わたし、陛下に訊きたいことがあるんです」
「尋ねたいこと?」
コレットは、スッと細くなった陛下の瞳をじっと見つめた。
国王の本当の死因など、もうすぐ部外者となる者には教えられないと冷たく返されるかもしれない。それでも、訊かずにいられない。
コレットの切なげに揺れる青い瞳と真面目な顔を見、陛下は腕をほどいて向き直った。
「君が私に質問とは珍しいな。しかも、かなり重要なことだな」
「はい、先代さまがどうして亡くなったのか、陛下は知っていますか? 年表には、原因不明と書かれていました」
「……ユーリス王は、早朝に亡くなっていたのが王妃に発見されたんだ。死因は医師も分からずに首を捻るもので、確かなものがないが民には公表しなければならない。表向きは『流行り病』としたと聞いている」
ユーリス王は王妃と一緒に就寝するまでは体調も崩しておらず、すこぶる元気だった。陛下自身も間際まで警護をしていたので、突然の悲報には、哀しみよりも驚愕したという。
「ユーリス王の死因について知る者は、今ではごくわずかしか残っていない。私とミネルヴァと元王妃くらいだ。医師は行方も生死も不明だ。だが、内戦後の住民登録がない。おそらく命を落としているだろう」
「ミネルヴァ大臣も……そう、なんですか。最後を見たのは、先の王妃さまなんですね」
元気にしていた人が突然動かなくなったのを見るのは、とてもつらいことだ。それが愛する人ならば尚更なこと。もしも明日の朝、隣に寝ている陛下が冷たくなっていたら……コレットはそんな想像をして、胸が張り裂けそうになる。
ユーリス王は寸前まで元気だったとすれば、まるで呪いを受けたかのような……やはり、原因は禁じられた書物の呪いか!?
『誘われて、禁じられた書物を見ようとしたこともある』
エドアールの話と結び付ければ、ただの空想が現実味を帯びてしまい、サーッと血の気が引く。結局、ユーリス王は書物を見たんだろうか。そして、呪いはあるのか。
「陛下、わたし、先の王妃さまに会って当時のお話を聞きたいです!」
当時の医師がいないのなら、王妃しかいない。胸の前で手を組んで懇願するコレットに対し、陛下は怪訝そうに首を傾げた。
「……君は、そんなに知りたいのか? ただの好奇心なら、悪いことは言わない止めておけ。世の中には、知らない方がいいこともあるぞ」
陛下が厳しくも窘めるように言うけれど、コレットの気持ちは揺らがない。だって、なんとかして原因を掴んで、陛下に注意をしてほしいのだ。
瞳を潤ませて陛下に詰め寄り、夜着をぎゅっと掴んだ。陛下の厳しい瞳がたじろいだように見開いたが、必死のコレットはまったく気がつかない。
「でもわたし、陛下が心配なんです!」
勢いに押されそうになる陛下は、コレットの意図するところに見当をつけつつも慎重に訊ねた。
「ちょっと待てくれ。先代の死の謎が、どうして私につながる?」
コレットが考えついた呪いのことを話すと、陛下は小さく息を吐き、口角をあげた。
「大丈夫だ。もしもそれが本当だとしても、私は書物を見ない」
「でも、絶対安全の保障はないんです。先代もその前の代も若くして亡くなっているんです! ずっとしまってあるから、呪いがあの物入れの中でいっぱいになってて、少しずつ漏れているのかもしれません!」
「君の想像力は逞しいな。だが少し落ち着こう。確かに、禁じられた書物の存在は厄介だが、空想の域を出ない」
陛下は夜着を掴んでいるコレットの指をほどき、手のひらの中に収めた。冷えているコレットの手が温められると、興奮も徐々に静まっていく。
「だが現実には、君の方が命を狙われていることを忘れるな。前も言ったが、ハンネルが滞在中は皆が浮足立っているから、君はなるべく出歩かない方がいい。先代の死の謎は、私も気になっているところでもある。外交が終わったら、共に考えると約束する。いいな?」
「……分かりました」
傍にいられる期間が残り少ないと思い焦るコレットだけれど、一応思いは伝えられたことには安堵した。謎は大きく残るけれども、陛下は今までよりも身辺に気を付けてくれるはずだ。呪いならば、防ぎようがないかもしれないが……。
「君の質問は、終わったか?」
「はい。ありがとうございました」
「それならば、今度は、私の質問に答えてもらおうか」
ずいっと近づいた彼の表情は変わっていないけれど、声が一段低くなっている。なんだか分からないが陛下は怒っているようだ。迫力がありすぎて少し距離を取りたいところだが、コレットの手は陛下の手のひらの中に収まったまま。動こうとすれば逆に引き寄せられてしまう始末で、コレットは目を瞬かせながらも、おそるおそる尋ね返した。
「あの……なんでしょう?」
「夜会のとき、エドアール王太子と、どこでなにを話していた? 今ここで包み隠さず話せ」
語気は強く、紫の瞳は体を貫くかのように鋭い。その急な変化に戸惑いつつも、コレットは言葉を探した。
「えっと……あのときは、テラスで、その……」
コレットは、瞳を空にさまよわせた。
ユーリス王の死の謎について、などと話してもいいのだろうか。エドアールが“身辺に気を付けるように”と陛下に直接忠告しなかったのは、なにか理由があるはずなのだ。国としての体裁とか、王太子の立場とか。コレットには難しいことはまったく分からないが、そんなところだろう。
「えーっと?」などと口ごもっていれば、陛下は「どうした、はっきり言えないのか?」と、地の底を這うような迫力の声で言う。
「せ、世間話です。エドアールさまの、子どもの頃のこととかです!」
「それが、テラスでふたりきりになって話すことか? 君が、彼を誘ったんだろう。彼に興味を持ったのか?」
陛下の夜着がコレットの間近に迫り、ソファの背もたれとの間に挟まれた形になる。さらに身動きが難しくなり、コレットは焦り叫ぶように言った。
「は、はいっ、すごく興味あります! だって、エドアールさまは、ユーリス王さまと仲が良かったと聞きましたので! なにか知っているかもしれないと思いましたので!」
ふうんと、陛下の鼻を鳴らすような声がしたあと、コレットはふわりと抱き上げられた。
「王太子を誘った理由はよく分かった。先代の死の謎を解き明かしたい気持ちが強いことも。だが君は、勝手に行動しては駄目だ。自分の立場を分かっているのか?」
「お、お沙汰の、偽物王妃です」
「そう、お沙汰だ。だから、君のすべては、私の支配下にある。言い換えれば、今君のすべては私のものということだ」
コレットの体が運ばれて行き、天蓋から垂れる透けたカーテンがふわりとまくり上げられた。
言葉の勢いとは裏腹にそっとベッドの上に下されたコレットの体の上に、陛下の逞しい体が覆いかぶさる。
いつもの夜と違い、今日は部屋の灯りが全部点ったまま。コレットの瞳に、灯りを受けて艶々としている銀の髪が迫って来るのが映る。
「だから、今から私がなにをしても、許せ」
「や、んっ」
いつもは指先で肌に触れてくるだけなのに、今夜は陛下の唇が首筋をなぞっている。今までにない甘すぎる感覚に耐えていると、耳の下あたりでチクッとした痛みを感じて小さな声を上げた。
「もう少し我慢してろよ」
陛下のささやき声が耳元でしてくすぐったく、コレットが肩をすくめると、陛下の手がそれを阻んだ。
「まだ駄目だ。じっとしてろ」
切なげな声で言う陛下の吐息が肌を熱くさせ、意識が唇に触れられている部分に集中する。首の付け根あたりが再びチクッとした後、ようやく陛下の頭が離れた。
与えられた熱で潤んだ青い瞳に、口角をあげた唇がぼんやり映る。
「あの、陛下……今、なにをしたんですか?」
「私がハンネルとの外交をしている間は、忙しくて目が届きにくくなる。だから、ちょっとしたまじないをかけたんだ」
「今のが、そうなんですか?」
コレットはちくんと痛んだ首筋を触ってみたが、別に傷もなくて、なにも変わらないように思う。
「君は好奇心が強くて、意外な思考回路を持っているだろう。なにをするか分からないし、不意の誘惑に負けることもあるだろう。だからとりあえずの応急処置だ」
コレットには、陛下の言っていることがさっぱり分からず、ただ首を傾げるばかり。
けれども、紫の瞳からはさっきまでの鋭さが消えており、体全体はいつもの甘い空気をまとっている。どうやら、彼の中での問題が解決されたようだ。
でも、組み敷かれた状態は変わっていない。コレットの顎のあたりをじっと見つめたまま動かない陛下は、唇を引き結んでいる。まるでなにかを迷っているような、難しい考えごとをしている感じだ。
「陛下、まだ心配事があるんですか?」
「まあ正直、今現在私は、面倒なことになっている。……まあ、仕方がないことだが」
「へ?」
「前に書庫で、手に入れたいものがあると、君に話したのを覚えているか?」
「はい確か、神秘的で、強引に手に入れようとすると壊れるものでした。それは、どんなものですか?」
「たった一輪しかない美しくて珍しい花だ。この手の中に収めたいが、手折ればすぐに枯れてしまうだろう? なかなか悩ましくて、眠れない夜があるくらいだ」
「あ……そんなに、ほしいんでしたら、思い切って折ってみたらいいと思います。案外丈夫かもしれませんし、水を上げれば長持ちしますよ? あ! いっそ根ごと引っこ抜いたらいいと思います!」
純真無垢で男女の愛の営みなど知らないコレットだが、悩まし気な陛下を励ますように力強く言う。そんな彼女を組み敷きつつ、陛下はクスッと笑った。
「根ごとか……それも、いいか?」
陛下の瞳がなんとも妖艶で、コレットの胸がトクンと鳴る。こんな表情をさせるのはいったいどんな花で、どこに咲いているのか。
「そんなふうに、強引にしてもいいのか。壊れないか? ああ……いや、やはりまずいな。考えておく。まあ、話をしたら少し気が紛れた」
もごもごとつぶやきを繰り返す陛下は、スッとベッドに沈んだ。いつものように腕の中に入れられると、ときめきながらもコレットの気持ちが落ち着いていく。あたたかくて逞しい胸に顔を埋め、おやすみなさいと声をかけて眠りに就いた。
陛下の規則的な心音を聞きながらまどろみに落ちていく中、「まったく、悩ましいもんだな……」とつぶやく陛下の声が聞こえた気がした。




