甘くキケンな新婚生活4
「これは、王妃さまではございませんか。婚儀の日以来ですな」
唇の端だけを歪めた笑顔で礼を取る彼に、コレットは丁寧に言葉を返す。
「こんにちは。ミネルヴァ大臣、お久しぶりです」
「はて、王妃さまともあろうお方が供もつけずにおひとりとは。やはり、異国出身の平民であられるお方のすることは、違いますなあ……それで……どちらへ行かれるんですかな?」
ミネルヴァが身分のことで嫌味を言うのはいつものこと。供を付けずにいることへの言及も、予想の範囲内だ。コレットは口元に微笑みを浮かべて余裕を見せた。
「わたしは、この先の書庫に書物を戻しに行くだけです。ほんの少しの移動です。供は必要ありません」
「なるほど、そうでございますか。まあ、精々、御身に気を付けることですな。それより、この先にある書庫といえば、国王の書庫しかございませんが? 行き先をお間違えではないですかな?」
そう言って怪訝そうな表情をしたミネルヴァが、コレットの胸元に目を留めた。その目が、コレットの顔と鍵の間を何度も往復している。
まもなく彼は、信じられないものを見た、という感じの声をだした。
「まさかそれは、書庫の鍵……ですか」
「はい。これは婚儀の日に、陛下から頂きました」
鍵を指先でつまんで見せると、ミネルヴァは喉の奥で唸った。
「王の書庫の鍵。それは、本来王子が“お世継ぎの証”として受け継ぐものですぞ。あの中には、門外不出の書物や、代々閲覧を禁じられた書物もあると聞きます。何故、そんな大事なものを、陛下は王妃さまなどに……」
「それはきっと、陛下がわたしを信用なさっているからです。どんな大事なものを預けても、大丈夫だということです」
「それは、王妃さまが世継ぎ王子をお産みになるまで、とでもおっしゃりたいんですかな」
コレットには、ミネルヴァの言わんとすることが分からない。コレットが首を傾げて見せると、彼は苦々し気に顔を歪めた。
「陛下はやはり側室は持たないおつもりか……」
口の中でもごもごと言うミネルヴァに、コレットは曖昧な微笑みで返す。どうやらコレットが書庫の鍵を持っていることを、深読みしている様子だ。それほどに書庫の鍵を持つ者が誰であるかは、王家にとって重要なことなのだろう。偽物王妃のコレットにとっては、一時的に預かった“非常に大切な、失くしてはいけないもの”でしかないが。
ミネルヴァの苦悶な表情を見ていたコレットだが、それよりも大変なことに気が付いた。
廊下では灯点けの役人が回ってきて、ランプを点し始めている。急がないと書庫の中は真っ暗になって、なにも見えなくなってしまう。それに、アーシュレイが仕事終了を告げに執務室に来てしまい、そのとき部屋にいないと叱られるかもしれない。
このまま部屋に戻ろうとも思うが、書庫の書物は大事なものゆえに、陛下からは、持ち出したままにしてはいけないと言われている。置きっぱなしにしておけば、誰の目に触れるとも分からないし、最悪失くすこともあり得るのだ。早く棚に戻さねばならない。
「ではミネルヴァ大臣、ごきげんよう」
まだなにか言いたげな表情をしているミネルヴァに声をかけ、コレットは急いで書庫へ向かった。
無地の木の風合いそのままの扉は、大事な書庫とは思えないほどの素朴さだ。
それでも一歩中に入れば、置かれている書棚の数と書物から醸し出される空気の重さに圧倒されて、気が遠くなりそうになる。ここには、今まで培われて来た国の歴史と人々の思いが詰まっているから、そう感じるのだろう。
コレットは、持っていた書物を棚に戻して、ふと、ミネルヴァの言っていたことを思い出した。
『閲覧を禁じられた書物』
そんなものが本当にあるんだろうかと、首を捻った。だって、陛下はなにも言ってなかったのだ。
書庫の奥にはまだ行ったことがなく、もしもあるとすればそちらの方だろう。
好奇心がむくむくと湧き上がり、ありかを確かめてみたくなる。ちらちらと棚にある書物を見ながら奥まで進んでいくと、壁の中に小さな扉があるのを見つけた。
コレットの目の高さ位の位置に作られた、正方形のもの。鍵が取り付けられており、錆びてほこりがかぶっている。ずっと開けてないのだろう。駄目もとで、一応書庫の鍵をさしてみるが、びくともしなかった。
もしかしたら、陛下もこの扉があることを知らないかもしれない。サーラが食べられる花だと皆が知らなかったように、城にはきっと、誰も知らないようなことがたくさんあるのだ。
この扉を見つけたことは誰にも言わないでおこうと決め、コレットは急いで執務室に戻った。
すると頬を引きつらせて待っていたアーシュレイに、烈火のごとくに叱られたのだった。
「あなたはなにを考えているんですか!! 部屋を出るときは、必ず誰かにひとこと、どこへ行くか言ってください!」
「ごめんなさい。ほんの少しの間、書庫に行って来るだけだから、いいと思ったんです」
首をすくめつつもコレットが言い訳すると、アーシュレイの雰囲気がスッと変わった。体を纏う空気が冷たくなり、額に黒い陰ができ、静かで抑揚のない声を出す。
「あなたは、自分の立場が、全然、まーったく、分かっていないんですかね」
ずいっと迫ってきたメガネがいつもよりも冷たく、コレットは一歩後ずさりをした。アーシュレイは、このメガネだけで人を倒せそうな気がしてしまう。刃よりも威力があるのだ。
「わ、分かっています。わたしは王妃ですっ。偽物の!」
「偽物……そうです。そうなんですが、あなたは、陛下にも言われているはずです。王妃はひとりで行動してはいけないと。極端な話、あなたは自分で部屋の扉を開けてはいけないんです。窓を開けることも、カーテンを開けることも許されません。もう一度教育をやり直しましょうか? このアーシュレイ、陛下のためになることならば、いつでもあなたに付き合いますよ」
フフフフフと暗い笑みを向けられて、コレットの背中に冷たいものが走る。自分で扉を開けられないとは不自由極まりないと思うが、コレットには反論できない。
「いえっ、いいです! わかりました! 今度から、絶対、誰かに言います! ひとりでは外出しません!」
「ならば、いいです。約束ですよ」
アーシュレイから醸し出されていた冷たい圧迫感が消え去り、コレットはホッと息を吐く。彼は陛下の側近というだけあり、その優し気な外見とは裏腹にとんでもない迫力を内に秘めている。アーシュレイには逆らってはいけないと、改めて感じたのだった。
「まあ、今まではあなたを取り巻く体制が不十分だったのも、我らの反省するところです。早急に、完璧に整えねばなりませんね」
アーシュレイは書庫までの往復の間に何か変わったことはなかったかと訊いたので、コレットはミネルヴァに会って会話したことを、『禁じられた書物』のことは省いて話した。
顎を人差し指の背で擦りながら聞いていた彼は、なるほど……と小さくつぶやいて、メガネの奥にある目を細めた。
「うーん。やはりミネルヴァは側室の座を狙っているようですね。これは、陛下にもご報告申し上げておきます。他は、誰にも会いませんでしたか」
「はい……誰にも会いませんでした」
「それならば、いいです。それでは、本日の執務は終了です。お疲れさまでした」
アーシュレイは本来の目的である仕事終了を告げると、執務室の扉を開けた。
廊下にはリンダとマリアがおり、うつむき加減の姿勢でコレットが出てくるのを待っている。一歩廊下に出るコレットに対し、ふたりは深々と頭を下げた。
「王妃さま、お仕事お疲れさまでございます」
ふたりそろって言う台詞は、まるで練習したかのようにぴったりと息があっている。今まではリンダひとりのお迎えだったのが、マリアが増えただけで途端に形式ばったものになっていた。アーシュレイが言う“王妃を取り巻く体制”とは、こういうことなのかと理解する。
これまでも自由は少なかったが、いっそう窮屈になった気がする。けれど、日々の生活の中でつい忘れがちになるが、もともとはお沙汰で始まった城暮らしだ。自由がないのは仕方がない。
「では、リンダ。よろしく頼みますよ」
「はい。アーシュレイさま」
アーシュレイに声をかけられたリンダの頬がポッと染まる。
そんな彼女を、マリアは不思議そうに眺めていた。
リンダを前に、マリアを後ろにし、コレットは楚々と廊下を進む。
すれ違う役人が立ち止まって礼を取り、それに目礼を返す彼女は日ごとに王妃らしさが増している。
アーシュレイはそんなコレットを見送って、満足げに口角を上げた。そしてすぐさま真顔に戻し、陛下の執務室へ入っていった。
さて、王妃の部屋に戻ったコレットは、さっそく書庫の鍵を首から外して箱の中に仕舞った。
宝剣と鍵を入れる箱は、ブーケの入っていた白い箱からグレードアップして、藍色の美しい宝箱に変わっている。銀で細工された、疑問符にも似た優雅な曲線を描く四足付きの箱は、蓋の中央に七色に光る石で細工された薔薇が飾られている。
これは陛下から『宝剣はこれに入れるといい』と、渡されたもの。
美しく光る石は異国のもので、貝殻細工というのだと教えてもらっている。光の影響で彩りを変える石の薔薇は、コレットのお気に入りで見るたび気分が上がる。
機嫌よく、にこにこしながら宝箱を運んで、鍵付きの棚に仕舞っている。
その様子を示しながら、リンダは指導を始めていた。
「マリア。あの箱は、コレットさまにしか触れないものですから、気をつけてください」
マリアはうなずきながらも、宝箱から興味が離れない様子だ。コレットが棚に仕舞って扉に鍵をかけるのを見ながら、リンダに尋ねている。
「あの箱の中にはなにが入ってるか、リンダは知っているんですか?」
綺麗なものに惹かれたり、未知のものに興味を抱く気持ちは、リンダも十分分かる。だが、これは王妃の証である宝剣が関わることで、加えて書庫の鍵も入っている。
書庫の鍵の重要さは知らないリンダだが、分かってることはただ一つ。なにかあれば自分だけでなく、王妃はもちろん陛下にまで迷惑をかけてしまうことだ。ここはしっかり言い含めるよう、リーダーとして厳しくしなければならない。
リンダは、心から尊敬するアーシュレイが時折見せる、あの“逆らっちゃいけないオーラ”を、お手本にすることにした。
ナアグル家に仕えているときからずっと見つめて来た彼のこと。物真似くらい容易にできるはずだ。リンダは大きく息を吸ってマリアに向き直った。
「マリア、いいですか。触っちゃいけないということは、中身についても、詮索や口外をしてはいけないということです。分かりましたか」
ちょっと、いや、だいぶ本家の迫力には負けるが、どうやら試みは成功したよう。
「はいっ!」と返事をしたマリアは、こわばった表情で、姿勢をぴんと正した。
城では新米侍女のリンダだが、古参と言ってもなんら遜色のないリーダーぶりである。
その様子を見ていたコレットは、さすが、アーシュレイが見込んで連れて来た人だと感心したのだった。




