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狼陛下と仮初めの王妃  作者: 涼川 凛
19/41

甘くキケンな新婚生活2

王妃の仕事をする部屋は、執務室というよりも応接室に近いもの。


陛下のそれと同じくらいの広さがあるが、中央にソファとテーブルのセットが置かれていて、書棚はひとつだけ。執務用の机はあるものの、陛下のものよりもかなり小さくて引き出しもついていない。


アーシュレイが言うには、王妃としては作られた書状にサインをするだけなので、これで十分事足りるそう。


今までは陛下に行っていた書状が回ってくるそうで、城内での生活に関する申請書や上申書などの処理をコレットが受け持つことになる。


大半は『購入申請書』や『修繕修復の申請書』とか『人事の異動報告書』などで、主に執事が書いたものを読んで可否を判断するだけらしい。



「簡単なことですよ。用語などが分からなければ、聞いてください」



アーシュレイは陛下からコレットの護衛につくよう命じられており、仕事に慣れないうちの指南役も兼ねている。


とはいえ、四六時中一緒にいるわけではなく、本来の仕事があるときはそちら優先になるらしい。


本来の仕事とは、陛下の側近兼近衛騎士である。アーシュレイは帯剣しているが、今は騎士服ではなく正装を身に着けている。いざというときには、そのまま陛下のもとに駆けつけると言った。



コレットは執務机にそっと触れて、執務椅子に座ってみた。硬めの弾力のあるそれはとても座り心地がよく、長時間でも疲れそうにない。


コレットの瞳と同色の美しい羽ペンがインク壺と一緒に置いてあり、いつでも仕事ができるよう準備万端に整えられている。


それの横には紫のサフランが描かれた茶色の小箱が置いてあり、開けてみると、封蝋用の赤茶色の蝋と印璽いんじが入っていた。


印璽はコレット王妃の印であるカトレアの花が彫られていて、出来立てのほやほやらしく、まだ一度も使われていない。



「偽物王妃なのに、わざわざ作ったんですか?」



印璽を見つめて感心しながら言うコレットに対し、アーシュレイはきらりと光らせたメガネの蔓を持ち、抑揚のない声で言った。



「当然です。一時的と言えど、あなたは王妃なんですよ。なければ困るでしょう」



これの出番は、手紙の封蝋と重要な書類にサインと並べて押すときだけ。これからは羽ペン一本で事が決まって、お金や人が動くことになるのだ。そう思えば、かなり責任重大な仕事である。


今日から一日の大半はここで過ごし、陛下から要請があれば謁見の間に行って王妃の椅子に座るのだ。


未経験のことばかりで想像もできないコレットのもとに、書状の束を持った執事が尋ねて来た。



「失礼いたします」



礼儀正しく挨拶をして入ってきた執事はジュードと名乗った。



「王妃さまには、本日中に処理していただきたく存じます」



柔らかい微笑みを向けてくる彼のことを、コレットはじっと見つめた。何故だか知っている気がしたのだ。城に来てたったの数日、会った人など数えるほどしかいないのに、どこで見かけたのだろうか。


あれこれ思い出しつつ、首を傾げてジュードに尋ねてみた。



「あの、もしかして、どこかで会いましたか?」


「おおなんと、私を覚えておられますか! つい十日ほど前に、城の片隅にございます宿泊用の施設でお会いいたしました!」



ジュードは顔をほころばせて、事務的なものから一気に人懐っこい口調になった。手放しに喜ぶ様子は、握手までしかねない勢いだ。



「宿泊用の、施設?」



コレットもよくよく思い出せば、ジュードは燭台の炎に照らされた、あの紳士の顔と同じであった。リンダにお風呂に入れられた、あの建物にいた人である。


あれが外国の客人についてきた騎士の宿泊施設であると初めて知り、しかも彼が城の執事だったとは驚いてしまう。


アーシュレイとも親しい間柄のようで、多分、リンダ同様に彼が信頼している人なんだろう。城で役職についている偉い人は、ミネルヴァのような人ばかりではない。味方もいるのだ。そう思えば、気が楽になってうれしくなるコレットだった。



「では、よろしくお願いいたします」



ジュードが部屋を辞していき、さあがんばって仕事に取り掛かりましょうと執務机に向き直ったコレットは、その量の多さに目が点になった。


置かれた書状の束は、計ってみれば左手の小指ほどの厚さがある。まさか毎日こんなにあるのだろうか?


そうアーシュレイに尋ねてみれば、「多分今回は、今まで陛下が処理しきれなかった分も含まれているんでしょう」と言う。



一枚目を取ってみれば、文字がびっしりと書かれてあって、慣れていないコレットは読むだけでも時間がかかりそうだ。これでさらに可否を判断せねばならないとは、今日中にできるのか不安になる。ただの牧場娘だったコレットにできるんだろうか。



「あの、これを全部なんて……」


「否の判断をしたものは、避けておいてください。さあ、さくさく仕事をして、早く終わらせますよ!」



コレットの言わんとした事を阻んだアーシュレイは、有無を言わせぬ迫力がある。



「陛下は毎日、これの百倍はこなされてますよ! あなたがこれを処理することで、大きな助けとなるのです! いいですね?」


「は、はいっ! わたし、やりますっ」



そうだ。ぼやぼやしていれば時間だけが過ぎてしまう。やらねばならないことなら、早く済ませてしまいたい。


一枚ずつ真剣に読み、分からない部分はアーシュレイに尋ね、サインをする。それをひたすら繰り返していく。


こうして、コレット王妃としての初日は、お茶や食事の時間のほかはすべて執務机にかじりついたまま、日が暮れていったのだった。


頭が書状でいっぱいになり、朝っぱらから悩まされていた陛下の瞳と唇の面影が薄れたのは、唯一ありがたいことだった。




けれども、陛下の顔を見れば即思い出してしまうのは、仕方がないことで……。


夕食の時間は、朝食の雰囲気を再現することとなった。


初仕事で陛下の仕事の大変さが身にしみてわかったし、漠然と知っていた城の仕組みが現実味を帯びて少しだけ分かったことなど、話したいことがたくさんあるのに言葉となって出てこない。


燭台の炎に照らされた彼の紫の瞳はとても綺麗で、料理を食べる唇はとても艶やかに見える。つい見惚れてしまいそうになり、慌てて目を逸らす。


そんなことを繰り返しているコレットに、陛下はぽつりと尋ねた。



「執務に不自由はないか?」


「はい。アーシュレイが助けてくださるので、大丈夫です」


「そうか」



会話はそれだけ。陛下は相変わらず威厳があって無口で、多くを語らない。けれどそれだけにコレットには、言葉をかけられたことが優しく感じられ、胸が温かくなる。そして、明日も仕事をがんばろうと思うのだ。無意識な女たらし……いや人たらしというべきか……陛下は、すごくずるいと思う。でも、そんな彼だからこそ、周りに人が集まるのだろう。



夕食を終えて王妃の部屋に戻ったコレットは、湯に入って就寝の支度を整えた。


リンダが挨拶をして部屋を辞して行けば、広い部屋にひとりきりとなる。灯りは全部点いたままなので、読み物や針仕事など自由にできる。



「もう初夜じゃないから、陛下はお部屋に来ないはずだわ」



勝手にそう決めて、寝るまでの間に何をしようかと、わくわくしながら考え始めた。


牧場では、雨降りなどで外の仕事ができないとき、アリスのエプロンやニックのベストなどに刺繍をしていた。村の人に頼まれて簡単な子供服を作った事もある。


家具職人の父にお針子の母と、ものづくりのプロだった両親の血を受け継ぎ、コレットはとても器用だ。


思えば、城に来て以来ずっと針を持っていない。久しぶりに針仕事がしたくなり、お裁縫セットを探し求めて部屋の中をうろうろと歩き回った。


チェストにドレッサーに衣裳部屋の引き出しまで、全部開けてみたけれど、それらしいものは見つからない。



「困ったわ。どこにもないのかしら……そうだわ」



コレットはリンダにありかを尋ねてみようと思い立ち、隣の部屋を訪ねることにした。もしも王妃専用のものがなくても、リンダなら裁縫セットを持っているかもしれないのだ。それを借りればいい。


扉を開けて廊下に出ようとすると、途端に、ぽすんと、弾力のある白い壁にぶつかった。



「おっと……」



弾き返されてよろけた体がしっかり支えられて、コレットの視界が白い服で染まった。



「君は、どこへ行くつもりだ?」


「へ……陛下……どうして」


「まず君は、私の質問に答えるべきだ。この夜遅くに、その姿で、どこへ行くんだ」



厳しい声の問いかけで焦りながらも、お隣の部屋にいるリンダのところへ行くつもりだと話すコレット。その体が、すすすと部屋の中へ戻された。



「悪いが。それは、許すことができないな」


「え? どうして、ですか?」


「君は、知らないかもしれないが。最上階の廊下は、定時に騎士が見回りに来る。君のその姿を、彼らに見せては駄目だ」



今のコレットの姿と言えば、ネグリジェだ。彼女にとっては胸元と裾にフリルの付いたデザインのこれは、外を出歩けるくらいにかわいいもので、誰に見られても平気だと思う。だって、コレットが普段着ていたワンピースよりも上等なのだから。



「わたしは、平気です」


「君が平気でも、私はそうじゃないぞ」



窘めるような口調だが、陛下がコレットを見つめる目はとても厳しい。眉を歪めてギラッと光るのを見れば、震え上がってしまう。


触らぬ狼には、噛まれない。痛い思いをする前に素直に従うことにして、コレットは促されるままソファに座った。


けれどもどうにも釈然としない。ネグリジェ姿を見られることを、どうして陛下は嫌がるのかが分からない。それに、何故陛下は部屋に来たのか。初夜のそれらしい振る舞いは、昨夜で終了ではないのか?


むーんと考え込むコレットをよそに、陛下は部屋の中を歩き回って壁のランプを消している。


その様子を見て、コレットは、思い出した。あれは彼が消す役目だったことを。それならば部屋の灯りを消しに来ただけで、済めば戻るだろうとホッと安堵する。


けれども、階の隅っこにある陛下の部屋からはるばる歩いてきて、ここの灯りを消さなければならないなどと、なんとも厄介な決まりだ。いったい誰が作ったのか、改善すべきだと思う。


灯りひとつだけになって部屋の中が暗くなる。それでも陛下は出て行かず、コレットの隣に座ったから胸がトクンと脈打った。



「えっと、陛下……お疲れさま、でした。それから……あの、おやすみなさい」


「なるほど。ここで君に“おやすみ”と言われるとはな。まったく心外だぞ」



コレットは、避ける間もなく伸びてきた彼の腕の中に、しっかり収められてしまった。



「君は、わざわざ部屋に訪ねて来た者を、むげに追い返すつもりか?」



冷たいな?と言われてしまい、コレットは慌てて否定する。



「そ、そんなつもりはないですっ。どうぞ、ゆっくりしていってくださいっ」


「そうか。ならば“おやすみ”は別の場所で聞かせてくれ。私は、言葉通りに、ゆっくりしていくとしよう」



言った後で自分の言葉が間違いだったと気付いたコレットだが、すでに遅し。ふわりと抱き上げられて運ばれていき、ベッドの上にそっとのせられた。


隣に沈み込んだ陛下は「おやすみ」と言って、イタズラが成功した子どものように口角を上げる。彼は、今日もベッドを共にするつもりなのだ。



「おやすみ、なさい」



曖昧に微笑みながら挨拶を返せば、彼の長い指はコレットの豊かな髪を梳いた。


やがてベッドサイドのランプが消され、コレットは初夜と同じように、抱きしめられて眠ることになった。


また、寝付きにくい夜が更けていく。



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