表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

38/157

第三七話 嵐の後の宴と、静かな夜の告白

 嵐のような朝の宴の、片付けを終えて少ししたその時だった。

 家の戸口を、誰かが訪ねてきた。それは、先ほど梅さんを乗せていった不動産屋の男だった。


「梅様が、皆さん全員来るように、と。しかも、帰り支度をして荷物を全て持ってくるように、とのことでございます」

 訳が分からないまま、一行は言われた通り全ての荷物をまとめ家の外へ出る。


 ゴードンが、スタンバイした状態で、人力車と共に待っていた。

 魔車と、人力車に分乗し、十分ほどで着いた先。

 そこは、街の中心街に立つ今にも崩れ落ちそうな、古ぼけた三階建ての雑居ビルだった。


 梅さんは、そのビルの前で、満面の笑みで一行を出迎えた。


「おう、来たかいな。ここに新しいビルを建てることにしたんじゃ」

 そして彼女は、その壮大な計画を語り始めた。

 このビルを取り壊し、新しいビルを建て、その一階に薬局を入れる。

 そして、上の階は全てテナントとして貸し出すのだ、と。

 もはや、そのあまりにも迅速で、先を見据えた経営手腕に、誰も驚くことすらしなかった。


「そんで、ワシらはここから帰るからのう」

 梅さんは、そう言うと、ゴードンの人力車にひょいと乗り込んだ。

 そして、またしても、嵐のように去っていった。

 その後ろ姿を、見送りながら一行は、ため息しか出なかった。


「……とりあえず買い出しにでも行くか」

 龍也は、気を取り直し銀行へと向かった。今夜の食費くらいはおろしておかないと。

 そして、ATMで残高を確認した龍也は、自分の目を疑った。


「「⁉」」

 後ろを振り返り皆の顔を見る。

 何度、見直しても、金額は変わらない。


「……ひゃ、百万……!?」

 役員報酬。一体あのばあさんは、どれだけの額を稼ぎ出しているというのか。


 その、あまりにも現実離れした金額を前に、じんたとゆうこが爆発した。


「ひゃ、百万!百万だべか!タツヤさん、おらこんな大金生まれて初めて見たど!」

 じんたは、まるで自分の金のように、大興奮で、その場でぴょんぴょんと飛び跳ねている。

「梅さん、一体何者なんじゃ!こりゃあもう、ただの薬屋のばあさんじゃ、ないわい!経済を牛耳る闇の女帝じゃ!」

 ゆうこも、目をキラキラと輝かせながら、腕をぶんぶんと振り回している。


「これだけあれば、最強の武器も、防具も、買い放題だべ!」

「いやいや、まずは、美味いもん腹一杯、食わんといけんじゃろ!」

「だったら、あのレース場で、一発大儲けするのも夢じゃないべ!」

「それもええのう!」


 二人の妄想は、どこまでも、どこまでも、膨れ上がっていく。

 もはや、借金返済のことなど、頭の片隅にもないらしい。

 その、あまりにも能天気で、騒がしい二人の様子を、龍也はぐったりとした、疲れた目で見つめていた。


(……俺はこの二ヶ月、トイチの利息に、どれだけ怯えていたと、思ってやがるんだ……)


 昨日から本当に、心を休める暇がない。


 シンジだけが、そっと龍也の隣に来て「……お疲れ」と共感の視線を送ってくれた。

 龍也は、その言葉に、心の底から救われたような気がした。


 その日の買い出しで、改めて、ゆうこの回復祝いのための豪華な食材を仕入れた。

 もちろん、とびっきりの美味い酒も、忘れずに用意して。


 午後も、日が傾き始めた帰り際。

 一行は、それぞれのバイト先に、顔を出した。

 龍也は『HEAVEN'S HELL』の準備中のママに、これまでの事情を話し、今夜バイトを休ませてもらえないかとお願いする。

「あら、大変だったじゃないの!もちろんよ!ゆうこちゃんにも、よろしく言っといてちょうだい!快気祝いに今度、シャンパンでもご馳走するわよん!」

 ママは快く、承諾してくれた。その優しい言葉に、龍也の心も少しだけ軽くなる。


 じんたも、ギルドに寄り、マスターに挨拶をしていった。

 そして、新しい手品のレシピをもらい、仲間募集のチラシの状況を尋ねる。

 するとマスターは、にやりと笑った。


「おう、じんた。一人あんたたちのチラシを見て、会いたがってるって奴がいるぜ」

 その一言に一行の空気が変わった。

 待ちに待った魔法使い。一体どんな人物が現れるのだろうか。

 明日その人物と、会えるよう手配をしてもらった。


 家路につく。

 お金のこと、借金のこと、そして新たな仲間候補のこと。

 あまりにも、色々なことが、一度に起こりすぎて、龍也の心はもはや、喜びと、驚きと、疲労で、フラフラだった。


 しかし彼は気を取り直した。

 今夜は、宴だ。ゆうこの快気祝い。そして、これまでの全ての苦労を、ねぎらうための特別な宴なのだ。


 家に帰り着くと、早速その腕によりをかけて準備を始めた。

 市場で仕入れた、新鮮な食材。そして、とびっきりの美味い酒。

 仲間たちの、喜ぶ顔を思い浮かべながら、一心不乱に包丁を握る。


 その夜、温かな明かりと、楽しげな笑い声が満ちていた。

 テーブルの上には、腕によりをかけて作った、豪華な料理が所狭しと並べられている。


 宴が始まった。


 最初は穏やかに話が飛び交っていた。


「この豚、めっちゃ美味いがな!」「ゆうこ、熱が出た時は、本当に、心配したんだど……」「そういえば、シンジと、ゴードンさん、なんだか、妙に、仲が良く見えたな?」


 そんなたわいもない会話が、酒と共に場を和ませていく。

 やがて、酒が進むにつれて、いつもは口数の少ないシンジも、静かながら話に参加し始めた。

 いつものクールな雰囲気はすっかりと消え、どこかフランクな素顔の彼がそこにいた。


 時折、彼がぽつりと新宿での日々を懐かしむように話し出す。


「……あの街も、悪くなかったな」

 その言葉をゆうこは、聞き逃さなかった。


「ほうほう。そりゃ新宿に、ええ人がおるからじゃろう?なつみちゃんのことかいな?」

 ニヤニヤと、茶化すゆうこに


「ち、違う!」

 と、慌てて否定する。しかしその顔は、満更でもないというように、正直に笑っていた。


「まんざらでも、ないみたいだべな!」

 じんたもそれに乗っかってくる。


 あまりにも微笑ましく、そして幸せな光景に、龍也は、心の底から笑った。

 ああ、なんていい夜だろうか。


 宴は、もう最高潮に盛り上がっていた。

 酔いが回り、上機嫌になったじんたが、テーブルの横で奇妙な、しかし、どこかキレのある踊りを、踊り出した。

 シーフだからか、その身体は、驚くほどに柔らかい。

 プロのダンサーでもやれそうな、見事な動きだった。

 まあ、足元はかなりフラフラに、酔ってきていたが。


 宴の熱気が、少しずつ静まっていく。

 床では、踊り疲れたじんたが、幸せそうな顔で眠ってしまっていた。

 シンジも、「少し、眠い」と、静かに自室へと戻っていった。


 テーブルの上にはまだ、酒が残っている。ゆうこは、その手酌で、ちびちびと飲み続けていた。


「なあ、タツヤ。もうちいとだけ付き合わんか?」

 龍也は、眠っているじんたに、そっと毛布をかけながら頷いた。


「ああ。まだ、眠くはないから、いいよ」

 二人はしんみりと、差し向かいで飲み始めた。

 たまに、テーブルの上を片付けながら、交わされるのはたわいもない会話。


「体調は、もう、本当に大丈夫なのか?」

「ああ、ええよ。心配かけたのう」

 あの時、本当に心配したことを改めて伝えた。

 そして、今後また、同じようなことがあった時のために、ゆうこが持っている薬の種類や、使い方を、自分たちにも分かるようにしておいてほしいと、真面目な話をした。


 その、龍也の言葉を遮るように。

 不意に、ゆうこが言った。


「……なあ、タツヤ。あんた、わしのこと、どう思うとる?」


 時が、止まった。


 彼女は酔ってはいるが、その目は真剣だった。真顔で、龍也の答えを待っている。

 なんて答えればいいのか。龍也の頭は、さすがに酔いで、うまく回らなかった。

 ただ、静かに、正直な気持ちを、話し始めた。


「……かけがえのない、仲間だ。もう、ゆうこなしでは、このパーティは、やっていけないだろう」


「……んで?」

 彼女の顔が、テーブル越しに、ぐいっと迫ってくる。


「……時々、女として、見てしまう時が、ある」

 言ってしまってから、龍也は、はっとした。だが、もう言葉は戻せない。


「……だけど、俺には、どんなに冷めていても、妻がいる。それに、この最高の、仲間という関係を、壊したくはない。……おかしな話だが、感情はある。ただ、どうすることも、できない」


 目の前に迫った彼女の顔は、まさしく、一人の「女」の顔だった。


 龍也の、そのつたない告白を聞き終えると、彼女は、


「ふう〜ん」

 と、ゆっくり身体を、元の位置へ戻した。

 そして、グラスの酒を、くいっと、一口飲んだ。


 その顔は、満更でもないというように、少しだけ嬉しそうに見えた。


「……わしはな、……好きやぞ、タツヤ。……一人の男としてな」

「……じゃがな、別に、どうこう、なりたいわけじゃ、ないんよ。……心に、惚れた男がおる。そして、その男と共に歩んでいける。それだけで、生きていけるんじゃ。色恋なんぞ、したいわけじゃない。……このままでええ」


 それは、龍也の言葉よりも、ずっと漢らしい、潔いセリフだった。


(……こんな、しがないおっさんのどこに、惚れたんだか)

 そう思ったが、その理由は、聞かないでおこうと思った。

 それは、野暮というものだろう。


「……ありがとう」

 龍也は、ただ、それだけを伝えた。

 そして、そっと、手を出しお互い握り締めた。


 ゆうこは、何も言わずに、静かに立ち上がると、自室へと戻っていった。

 龍也は、一人、残されたリビングで、もう一杯だけ、酒を飲むと、その温かい、手の感触を胸にしまい込みながら、自分も、静かに床についたのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ