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プロローグ②〜雷鳴の中、去りぬ〜

 その日はまるで天が、神すらも彼女の死を嘆くかのような空模様だった。

 緩やかな丘の上に建てられた聖堂へ続くタイル張りの道は雨水が薄く流れて小さな川になっている。

 時折聞こえる雷鳴はこの領地では珍しい季節外れさが増して「神が奥方の死を嘆かれているのでしょう」と司祭の言葉に重みを与えた。

 沈痛な面持ちの親族達は主にリーゼロッテの親族側だ。

 五人兄弟の下から二番目。兄二人に姉一人、そして弟を一人持つ彼女達の母親は十年程前に病気で他界している。顔も体質もそんな母親によく似た彼女を喪った家族には殴られたり罵声を飛ばされる覚悟――理由はどうあれ妻を領地に置いて帝都にいるのは公然の事実だ――でいた。

 しかし長男が白い薔薇や百合に囲われた彼女を見、怒りの表情でこちらを見たが次の瞬間には目を見開いてくしゃりと表情を歪めるだけで拳はない。

 次男と三男も同様だ。そして既に隣国へ嫁いでいた長女も幼い子供の手を引き姿を見せた。


「怒りの気持ちはあるわ。……でも、今の貴方を責められる程、愚かでもないの」


 そして彼女からはハンカチを寧ろ渡される。執事やメイド達の様子から薄々見当はついていたものの余程顔色が悪いらしい。

 葬式の最後に対面したのは義父に当たる伯爵。武勲を持つ彼すら血管が浮き立つ拳を見せられただけで殴られる事はなかった。


「少なくとも、娘からの手紙に弱音はなかった」


 去り際にぽつりと零された言葉。最愛の妻と娘を自分より先喪った男の背中をルードヴィヒは扉が閉じられるまで見つめていた。

 けたたましい雷鳴と共に窓ガラスから差し込まれる光が教会内を一瞬白に埋め尽くす。あんなにも心優しき妻を、女性を死なせた男を神が責めているのだとルードヴィヒには思えた。

 本当にその通りである。白百合と薔薇に囲われた彼女の顔色は当たり前だが青白く、しかしこれで化粧を施しているのだから素顔の酷さは勘づく者もいるだろう。

 あまりの悪天候に埋葬は後日となり、一夜彼女の遺体はこの教会内で過ごす。執事が最後の確認をし、ルードヴィヒへ戻るよう進言するも「司祭には許可を得ている」と言って今夜だけでも彼女の傍にいようと決めた。


「義兄様」

「……アンネか」


 弟の妻であるアンネが喪服のまま姿を見せる。帝都に居るルードヴィヒの代わりに領地を治める弟を支え、またリーゼロッテの代わりに家の細かな事など執事共々手を回してくれている彼女は黒いベールの下から覗く赤茶色の目を潤ませていた。

 今回の葬儀も彼女は色々と手を回してくれたらしい。領民にとって館の女主人はリーゼロッテよりもアンネを示すだろう。


「義兄様、大変なところ申し訳ございません」


 断りを入れ、アンネはルードヴィヒに苦労させぬようリーゼロッテの遺品の整理を主導していたそうだが、フィリップに言われた事が気になりやって来たという。わざわざここまで来ずとも、と思ったが本来ならば夫であるルードヴィヒが主導する事をしてくれているのだから文句は言えまい。


「ああ…リーゼの持って来た装飾類や衣装は彼女の実家へ送るというのは正しい」

「ッ、そう、なのですね」


 一瞬言葉を詰まらせたアンネが苦笑を浮かべる。

 元々彼女の実家で長女が引き継ぐべきものを隣国であまり持っていけないからと母親の嫁入り道具は殆どリーゼロッテが持っていた。

 中には希少な鉱石で出来たペンダントや繊細な掘り込みのブローチなどまさに遺産と呼べるものばかり。もしも自分達に子供が居たら引き継がせていただろう。しかし自分達に子はいない。ならば実家の跡継ぎで今は男爵の地位を持っている長男の奥方へ返すべきだ。

 あまり帰省していなかったので知らなかったが、アンネはリーゼロッテに懐いていたのだろうか。家の中から彼女のものが消える事に動揺しているのなら優しい義妹だ。


「……数は少ないが、俺からリーゼへのものは残すつもりだ。気に入ったものがあればアンネが使うといい」

「ありがとう、ございます……」


 嫁入り道具には装飾品が多かった。しかし妻本人は体調もあってか身に着ける事はあまりなかった。それもあって贈り物の大半は花だったりハンカチやアロマなど傍から見れば領主が妻に贈るプレゼントに相応しいとは言えないものばかりだが、彼女はそういうものを望んだ。

 全てで無くなる訳ではないと言ったが、何故か複雑そうな顔をしたアンネは頭を下げて教会を後にする。


「……、リーゼの遺品をすべて貰えるとでも思ったのか……?」


 領地を支える弟の妻としてそれなりに評価はしていたが、こんな場所ですら隠しきれていない驕りの姿に少し評価点を変えるべきかもしれないとルードヴィヒは目を細めた。

 二人きりになった教会は最低限の蝋燭でのみ灯りがついている。雷は次第に遠くへ離れているようだが、風は未だにガラス窓を叩いて揺らしていた。

 棺に凭れ掛かるなど多くの者が眉を顰めるだろうが今は自分達しかいないとルードヴィヒは冷え切った妻の頬に手の甲を当てる。

 白に包まれている彼女を見ればこそ、贈られて来た赤い薔薇を思い出してしまう。

 自殺するのなら文句のひとつやふたつ残してくれても良いものを。ただ一文別れの言葉のみなのは、文句を言う価値すらないと思われたのだろうか。

 お互いに愛し合っていたとばかり思っていたのに蓋を開ければ一方通行。


(なんて……惨めだ)


 もしも過去に戻れるのなら、今度はきちんと彼女の言葉を聞いてあげたい。きちんと言葉で多くを伝えたい。

 叶わないからこそこそ強く願い、祈ってしまう。


「君の、声が…聞きたいよ。リーゼ……」


 この場に他の者はいないからと、耐え続けていた涙がぽろりと一筋落ちたのを皮切りに外の雨のように流れ始める。

 時折言葉を詰まらせながら嗚咽雑じりにルードヴィヒは泣いた。泣き叫んで最後は幼子同様に泣き疲れてそのまま眠ってしまった。


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