Itinerary: 5日目 その4
敬樹がキッチンで朝食の準備をしている間、時宗はダイニングテーブルに海斗と座って話していた。
「お前のお母さんの名前、政子さんって言ったよな?」
「うん。母さんトウキョウ出身で、サッポロには仕事で来てたんだ。でもトウキョウは人も建物もいっぱいありすぎて、好きじゃないって言ってた」
「あの石については、覚えてることあるか?」
海斗は懐かしそうに目を細めて天井を見た。
「母さんの父さんからもらったって言ってた。母さんの気持ちがわかる不思議な石なんだって。オレもよく触らしてもらってた。なんか……よくわかんねぇけど、触ると安心すんだ。オレが怖い夢見た時、なんでか母さんは石持ってきて、二人で安心するねって撫でながら寝たことある」
驚いた。海斗の母親は石の使い方を知っていたのだ。石の『引き継ぎ方』も。感情の共有。あの結晶体は機械に組み込まれる前に、すでに海斗とのコネクトを完了していたわけだ。
敬樹がキッチンカウンターの上に皿を置いた。目玉焼きは相変わらず完璧だ。最近はやたらポーチドエッグにはまっていたが、今朝はシンプルにしたらしい。
「石は人の感情を理解するっていいますもんね」
敬樹が感慨深そうに言う。
「いい石は人を助けてくれるって、どこかで読みました」
「そうだな……」
いいことばかりではない。本来は粉末にして燃やすべき物ではないということを、今の社会は理解していない。石は沈黙の中で、人間が言えばその身を燃やして貢献してくれる。でも、時代が進むにつれ人間はそれに甘えだした。鉱脈の後退速度が増した原因のひとつはそこにあると時宗は考えている。
サッポロで生田老人が開発していた機械、そして海斗を起動の鍵としているあの機械は、燃焼機構を使っていない。うまくいけば、あれは晶石利用の形そのものを変える可能性を秘めている。
「あの機械については、どの辺まで知ってるんだ? 海斗」
「父さんが作ってた、サッポロのでっかい機械さえ、仕組みもなんも知らねんだ。小さい方はほんとに、なんもわかんねぇ。でっかくて運べないから、小さくしたんだと思うけども」
「そうなんだが、生田さんは最初からお母さんの石を組み込んで小さい方を作ってたはずだ。元の大きい機械は、あの大きさに見合った別な結晶体だったし。なぜ大きさがあんなに違うのかは謎だが」
海斗は自分の前に置かれた皿を見つめ、目玉焼きをフォークでつついた。
「もう何年も、生田さんは車のこと以外で工房には入れてくれんかった。知らない方が生き残れるって。オレほんとは父さんの機械をもっと見たかったんだけども」
「生田さんなりの優しさだろ」
訪問者をドアでブン殴るお前も、生田老人と同じ人種なんだがな。
「生田さん……大丈夫かな……」
沈んだ声で海斗が呟いた。
「まだアレは起動できていない。鍵のお前はここにいる。確実に、まだ元気だろ」
「そっか」
心配を振り払うように、海斗は朝食を食べ始めた。目玉焼きは醤油派らしい。
自分もパンをかじりながら、時宗は記憶をたぐる。
──姉貴もいたら──
──政子はおらん。最初からいなかったものとしろ──
──可愛がってたくせに、なんでそんなこと言えるんだよ──
この感じからいって、祖父と弥二郎の会話っぽい。何歳だったか……。
「政子って名前、一度だけ聞いた記憶があるんだよな」
ぱっと海斗の顔が上がる。驚いたように目が見開かれた。
「え、時宗の親戚かなんかか?」
「その可能性が高いんだよな。今朝、お前が寝てる間に依頼人に連絡してみたんだが、関係ないって言われてさ……どうやら弥二郎は、俺に色々隠して仕事を振ったらしくて」
鉱山に関する見通しは、まだ誰とも共有すべきではないと時宗は考えていた。
「そうなんか。遺産もねぇんだべな……」
「そこはどうだろう。名前だけ別人にして、トラブルを避けようとした可能性がある。とにかく、一回だけ聞いたのを思い出さないと」
「一回だけなのに、覚えてんのか?」
「覚えてないことは覚えてない。印象に残ったことは覚えてる。誰だってそんなもんだろ」
敬樹が牛乳を飲みながら言う。
「時宗さんがすごいのは確かですよ。弥二郎さんもよく時宗さんに過去の案件のことを聞いてるじゃないですか」
「便利使いしやがって。出てこないもんは出てこない。ちょっとだけ、静かにしてくれるか? ……検索を……かける」
パンを持ったまま、すぅっと意識を脳の奥に引っ込める。記憶と記憶をつなぐ網をイメージし、細い糸の上を渡っていく。
「時宗?」
「し~っ、ちょっと待ちましょう」
海斗と敬樹の会話を遠くに聞きながら、時宗は情景を流し始めた。
視界一面に桜が咲いている。知らない人が大勢いて、みんなが思い思いに、木々の間の小道を歩き回っていた。片手にシャンパングラスを持っている人もいる。服装は……スーツと昼のドレスが多い。
俺は……僕は座っている。目の前のテーブルにはオレンジジュースとコーヒー、ミルクティー。コーヒーは……カップに手が伸び、持ち上げられる。飲んでいる人の顔は……やはり弥二郎だ。今よりかなり若い。まだ二十代前半。
ミルクティーが皿ごと持ち上げられる。それは自分の顔の横を通り、斜め後ろに消える。ああ、これは……自分は祖父の膝に座っているのだ。
頭の上で祖父の声がする。
──写真も動画も撮りすぎだ。いい加減にしろ──
弥二郎が答える。
──後継者が見つかってうれしいくせに。親父、顔がニヤけてるぞ──
──ふん。顔になぞ出しておらん。それに後継者が見つかったわけではない──
──そうか? まぁこれで一族も安泰だな。跡継ぎになりたくないってゴネてた姉貴に連絡したらどうだ? せっかくだ。姉貴がいたら──
──政子はおらん。最初からいなかったものと思え。名前も出すな──
──名前を出したのは親父の方だろ。可愛がってたくせに、なんでそんなこと言えるんだよ──
「思い出した」
呟くと、敬樹が目の前にチョコレートをひとつ置いた。
「はい、いつもの」
「……ありがとう」
チョコレートをとり、包み紙をむいて口に入れる。
「俺が五歳の時の、じいさんの誕生会兼花見だ。じいさんに会って詰めないと。俺の知らない叔母がいる」




