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第1話:まずは命のセルフマネジメント

「――殿下、侍医のエルウィン・フォン・バエルツにございます」


部屋に入ってきたのは、立派な髭を蓄えた厳格そうな外国人医師だった。


お雇い外国人として明治の医学界を支える、あのベルツだ。


その背後には、日本の侍医たちも恐縮した様子で控えている。


「ベルツ、よく来てくれた。これより、私の『養生法』について新たな方針を伝える。皆、よく聞いてくれ」


私はベッドの上で背筋を伸ばし、はっきりとした口調で告げた。


10歳そこそこの少年が、突然毅然とした態度で話し始めたことに、ベルツらは目を見開いている。


前世のブラック企業で鍛えた「プレゼン能力」の見せ所だ。


「まず、私の部屋に入る者は、全員が『手洗い』と『うがい』を徹底すること。特に、外から戻った際は、石鹸を使って指の隙間まで二十秒以上洗うのだ」


「……てあらい、うがいにございますか?」


日本の侍医が怪訝な顔をした。この時代、まだ「目に見えない細菌やウイルス」への対策が一般に定着していない。


「そうだ。病の多くは、人の手を介して口や鼻から入り込む。これは厳命だ。それから、宮中の食事も見直す。白米ばかりではなく、麦や玄米を混ぜ、豚肉や牛肉、そして野菜を多く摂るようにせよ」


(大正天皇は後に脚気かっけにも苦しんだはず。ビタミンB1の不足を今から補っておく必要がある)


さらに私は続けた。


「そして最も重要なのは『睡眠』だ。私は今後、午後九時には必ず就寝する。軍事訓練や漢文の暗記のために、睡眠時間を削ることは一切認めない。脳を育てるには、十分な休息が必要不可欠だ」


日本の侍医たちが「しかし、皇太子殿下としての帝王教育が……」と口々にざわめき始める。


明治の宮中は、スパルタ教育こそが美徳とされていた。


だが、ここで助け舟を出したのは、意外にもベルツだった。


「――ワンダフル(素晴らしい)。殿下、失礼ながら驚きました。まさか殿下の口から、最新の衛生学と、理にかなった休息の重要性が飛び出すとは」


ベルツは深く感心したように深く頭を下げた。


「私も、日本の皇室教育は厳格すぎて、殿下の細いお身体には負担が大きすぎると危惧しておりました。

殿下のご提案は、医学的にも完全に正しい。このバエルツ、全面的に支持いたします!」


「ありがとう、ベルツ。君が味方なら心強い」


私はニヤリと笑った。


お雇い外国人の権威であるベルツが太鼓判を押せば、周囲の頑固な官僚たちも口出しはできない。


こうして、私の「宮中健康改革」が始まった。


毎日、嫌になるほど手を洗い、栄養バランスの取れた食事を摂り、夜は泥のように眠る。


ブラック企業時代には絶対に不可能だった「超・健康生活」だ。


一ヶ月も経つと、あんなに狭かった視界が広がり、呼吸のゼーゼーという音も消えた。


肌には血色が戻り、自分の足で力強く庭を歩けるまでになった。


(よし、体調は万全だ。これならいける……!)


自分の身体をコントロールできた自信が湧いてきた。


だが、私の転生先はただの少年ではない。この国の次期トップだ。


健康になった私を待っていたのは、次なる巨大な壁だった。


「――嘉仁、身体が良くなったそうだな」


地を這うような低い声が、部屋に響いた。


重厚な軍服に身を包み、圧倒的な覇気を纏って現れたのは、私の「父親」――明治天皇その人であった。


眼光の鋭さに、前世のどんな鬼上司よりも身体がすくむ。


ついに、新時代モダンの皇太子と、明治の絶対的カリスマとの、緊張の親子対談が始まろうとしていた。

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