第57話 「たぶん、もう遅い」
その日の帰り道。
空はもう薄暗くなり始めていた。
駅前の信号。 コンビニの灯り。 制服姿の学生たち。
玲緒菜は改札前で立ち止まり、 何度目かわからないため息をついた。
玲緒菜
――“お前が嫌じゃねえなら”。
頭から離れない。
しかも最後、 絶対笑ってた。
思い出すだけで顔が熱くなる。
「……もう無理」
小さく呟きながら、 自販機でミルクティーを買う。
冷たい缶を頬に当てる。
少し落ち着く。
……はずだった。
「何してんだ」
後ろから声。
玲緒菜は本気で飛び上がった。
「ひゃっ!?」
振り返る。
雷斗。
黒崎雷斗
制服姿。 片手にイヤホン。 いつもの気だるそうな顔。
玲緒菜は胸を押さえる。
「び、びっくりした……!」
「お前が勝手に驚いただけだろ」
「急に後ろから話しかけるから!」
雷斗は自販機を見る。
「それうまい?」
玲緒菜は持っていたミルクティーを見る。
「あ、これ?」
「ん」
「普通」
「雑」
玲緒菜は少し笑う。
その自然さが、 逆に危険だった。
さっきまであんな会話してたのに、 普通に隣へ来る。
心臓だけ全然普通じゃない。
雷斗は隣の自販機でブラックコーヒーを買った。
玲緒菜が思わず言う。
「苦そう」
「苦いぞ」
「なんで飲むの」
「眠いから」
「高校生がブラック飲んでると大人ぶってるみたい」
雷斗がちらっと見る。
「ケンカ売ってる?」
「ちょっとだけ」
「お前最近遠慮なくなったな」
玲緒菜はハッとする。
確かに。
前なら、 こんなふうに話せなかった。
怖かったから。
でも今は違う。
沈黙も、 視線も、 近い距離も。
少しずつ慣れてしまっている。
それが急に怖くなる。
玲緒菜は視線を逸らした。
雷斗が気づく。
「……なんだよ」
「なんでもない」
「嘘つけ」
「ほんとに」
雷斗は少し黙る。
そして不意に言った。
「まだ気にしてんのか」
玲緒菜の肩がぴくっと動く。
「……何を」
「彼女のやつ」
図星だった。
玲緒菜は黙り込む。
雷斗は缶コーヒーを開ける。
プシュッという音。
「別に噂なんか放っときゃいいだろ」
「雷斗くんはそうかもしれないけど……」
「何が困る」
玲緒菜は言葉に詰まる。
困る……?
本当に?
少し前なら即答できた。
“そんなの違う”って。
でも今は。
玲緒菜は小さく呟く。
「……意識するから」
雷斗の動きが止まる。
玲緒菜は言ってから後悔した。
――何言ってるの私!?
慌てて付け足す。
「ち、違くて! 変な意味じゃなくて!」
「……」
「なんかその…… 周りに言われると急に変に見えるっていうか……!」
雷斗は静かに玲緒菜を見る。
その視線だけで、 玲緒菜の心拍数が上がる。
数秒後。
雷斗はふっと目を逸らした。
「……今さらだろ」
「え?」
「お前、もう十分意識してる」
玲緒菜の顔が一気に熱くなる。
「してない!!」
「してる」
「してない!」
「じゃあなんで毎回顔赤くなんだよ」
「夕日!」
「夜だぞ」
「う……」
完全に論破された。
雷斗が小さく笑う。
玲緒菜は悔しくて睨む。
「絶対楽しんでる……!」
「ちょっと」
「認めた!?」
雷斗は缶コーヒーを飲みながら、 少しだけ肩を揺らす。
玲緒菜はさらに顔が熱くなる。
でも。
そんな空気の中でふと気づく。
周りの視線。
駅前を歩く学生たちが、 ちらちらこちらを見ている。
しかも。
「え、黒崎じゃね?」
「隣の子って……」
ヒソヒソ声。
玲緒菜は一気に緊張する。
雷斗も気づいたらしい。
面倒そうに舌打ちした。
「……うぜえ」
その声は低い。
玲緒菜は少し不安になる。
でも次の瞬間。
雷斗は自然に、 玲緒菜の立ち位置を変えるように前へ出た。
周囲の視線を遮るみたいに。
玲緒菜は目を見開く。
「……雷斗くん」
「行くぞ」
「え?」
「電車来る」
ぶっきらぼう。
でも。
完全に庇われた。
玲緒菜は胸が苦しくなる。
ホームへ向かう階段。
雷斗の少し後ろを歩きながら、 玲緒菜は思う。
――たぶん、もう遅い。
怖い人だと思っていた。
関わらない方がいいと思っていた。
なのに今は。
隣を歩くだけで、 安心している自分がいる。
ホームに着く。
電車が滑り込んでくる。
風が吹く。
雷斗が何気なく振り返る。
「玲緒菜」
「……なに」
「置いてくぞ」
玲緒菜は少しだけ笑った。
「待ってよ」
その返事は、 前よりずっと自然だった。




