第56話『教わるという選択』
CM撮影を終えた翌日。
結衣はM&M COMPANY本社の廊下をうろうろしていた。
三往復目。
真優がコーヒーを持ちながら出てくる。
「何してるの?」
結衣は即座に頭を下げた。
「弟子入りさせてください!」
真優が一瞬固まる。
「……は?」
美優が後ろから静かに出てくる。
「朝からうるさい」
結衣はそのまま姿勢を崩さない。
「お願いします!真優さんの演技力、盗ませてください!」
真優はコーヒーを一口飲む。
「急にどうしたの」
結衣は言葉を探す。
「最近、全部“なんとなく”でやってる気がして……」
「それ、結構まずいやつだね」
美優が即答する。
結衣は続ける。
「凛さんみたいに“戦える演技”がしたいです」
「麗華さんみたいに“空気を支配する感じ”も欲しいです」
「でも全部中途半端で……」
真優は少し黙る。
そしてため息。
「つまり、全部欲張って迷子ってこと?」
「はい!」
即答。
美優が横目で見る。
「素直すぎる」
その時、真優が言う。
「じゃあ聞くけど」
「はい!」
「私の何を学びたいの?」
結衣は固まる。
「えっと……全部です!」
真優は無表情になる。
「帰れ」
「待ってください!!」
結衣は全力で止める。
真優は少しだけ笑う。
「冗談」
美優が呟く。
「珍しい」
真優は椅子に座る。
「結衣はさ、今“全部真似しようとしてる状態”だよね」
結衣は頷く。
「うん。でもそれだと絶対ブレる」
真優は続ける。
「だから“軸”だけ作る」
結衣は身を乗り出す。
「軸……?」
美優が短く言う。
「感情の置き場所」
真優が頷く。
「それができれば、凛にも麗華にも崩されない」
結衣は息を呑む。
その頃——
別スタジオ。
白石凛と藤崎麗華は撮影の合間に控室にいた。
そこへ美優が電話をかけている。
「結衣が弟子入りしたいらしい」
麗華が吹き出す。
「なにそれ可愛い」
凛はスマホを見たまま。
「遅いくらい」
美優が続ける。
「で、どう思う?」
麗華は即答。
「いいと思うよ。あの子、今が一番伸びる時期」
凛は少しだけ間を置く。
「真優なら正解」
美優が確認する。
「同意?」
麗華が笑う。
「同意」
凛も短く言う。
「同意」
電話は切れる。
同じ頃。
結衣は真優の前で正座していた。
「じゃあ始める」
真優の一言。
空気が変わる。
「まず、泣いてみて」
結衣は固まる。
「え?」
「理由なしでいいから」
「ええええ!?」
真優は動かない。
「できないなら弟子じゃない」
結衣は必死に考える。
でも涙は出ない。
焦る。
「無理です……!」
真優は冷静に言う。
「じゃあそれが今の限界」
その言葉が刺さる。
結衣は黙る。
そして——
目を閉じる。
(悔しい)
(できないのが悔しい)
その瞬間。
涙が一粒落ちる。
真優が小さく頷く。
「それ」
結衣は驚く。
「今のが……?」
「うん。感情の置き場所が“外”じゃなくて“中”に入った」
美優が横で言う。
「やっとスタートライン」
結衣は涙を拭く。
でも少し笑う。
「弟子入り……認めてもらえますか?」
真優は立ち上がる。
「まだ早い」
「えっ」
「でも、悪くない」
結衣は固まる。
美優が一言。
「合格ラインには乗った」
その夜。
結衣は一人で台本を開く。
今までと違って見える。
(感情の置き場所)
その言葉だけが頭に残る。
そして遠くで思う。
凛。
麗華。
真優。
みんな違う場所で、同じくらい遠い。
でも——
少しだけ近づいた気がした。
第57話へ続く。




