第8話
王都の朝は、いつもより騒がしかった。
原因は明白だった。
「第二王子殿下が戻られたらしい」
その噂が、社交界を一気に駆け巡ったのだ。
リシェリアは手元のカップを静かに置いた。
「……予定より早いですね」
向かいでフィアナが顔を引きつらせる。
「来ちゃったかあ……問題児」
フラグ管理帳が開かれる。
新しいページ。
【要注意人物:カイル・クラウゼル】
原作における役割は明確だった。
自由奔放な第二王子。
権力への反発。
刺激を求める性格。
そして――
聖女へ過剰に興味を示し、物語をかき乱す存在。
「原作だと、ここから面倒が増えるんだよね」
「ええ。誤解イベントの増幅装置のような人物です」
フィアナが深く頷く。
「悪気ないのが一番厄介なタイプ」
「同意します」
⸻
数日後。
王城主催の小規模な歓迎会。
若い貴族たちが集められた場は、どこか落ち着かない空気に包まれていた。
理由はすぐ分かった。
「堅苦しいの苦手なんだよな」
軽い声。
場に似つかわしくない気安さ。
銀髪の青年が、壁にもたれながら周囲を眺めていた。
カイル・クラウゼル。
第二王子その人だった。
整った容姿に無造作な笑み。
王族としては危ういほど自由な雰囲気。
(原作通り)
リシェリアは一瞬で判断した。
この人物は――放置すると必ず問題になる。
そして。
彼の視線が止まる。
「へえ」
興味を見つけた子供のような顔。
向けられた先は。
「……フィアナ」
「やっぱり来るよね!?」
小声の悲鳴。
次の瞬間、カイルは迷いなく歩み寄ってきた。
「君、聖女候補?」
距離が近い。
貴族的な間合いを完全に無視している。
「え、あ、はい……」
「面白そうだな」
悪意はない。
だからこそ厄介だった。
周囲の視線がざわめく。
王子が平民出身の少女に興味を示す――。
それだけで噂は成立する。
(原作分岐、接近)
リシェリアは一歩前へ出た。
「カイル殿下」
柔らかな声。
しかし空気が変わる。
「ご挨拶申し上げます。リシェリア・フォン・アルヴェインです」
「ああ、兄上の婚約者」
カイルが笑う。
「噂は聞いてる。ずいぶん優秀らしいね」
「光栄ですわ」
礼を取りながら、自然にフィアナとの間へ位置をずらす。
防壁。
だが露骨ではない。
「殿下、本日は歓迎会です。ぜひ皆様ともお話を」
「んー?」
カイルは少し考え、そして笑った。
「なるほど。守ってるんだ」
核心を突く言葉。
だがリシェリアは表情を崩さない。
「友人ですので」
「正直だな」
彼は楽しそうに目を細めた。
「嫌いじゃない」
周囲の緊張が少し緩む。
衝突は回避された。
⸻
少し離れた場所。
アルヴィンが静かにその様子を見ていた。
「介入するべきでしょうか」
セシルが低く問う。
「不要だ」
即答。
「彼女はもう盤面を読んでいる」
実際、その通りだった。
リシェリアは会話の流れを自然に広げ、他の令嬢たちを巻き込み始める。
一対一の構図を崩す。
特別扱いを消す。
噂の芽を摘む完璧な動き。
やがてカイルは肩をすくめた。
「なるほどね。ここ、思ったより退屈しなさそうだ」
そう言って別の話題へ移っていく。
危険な分岐は、発生しなかった。
⸻
帰りの馬車。
フィアナが座席に沈み込む。
「疲れたぁ……」
「お疲れ様です」
「リシェ、完全にボディガードだったよ?」
「友人として当然の行動です」
さらりと言う。
だがその手がわずかに震えているのを、フィアナは見逃さなかった。
「……怖かった?」
少しの沈黙。
「ええ」
正直な答え。
「原作が動き出す音がしました」
窓の外、夜の王都が流れていく。
「でも」
フィアナが笑う。
「止まったね」
リシェリアも小さく微笑んだ。
「はい。今回も」
⸻
その夜、管理帳に追記。
【No.05 第二王子接近イベント】
状態:安全化成功
備考:
『単独接触を作らない』
⸻
しかし。
ページの端に、見慣れない文字が浮かんでいた。
まるで後から書き足されたように。
『強制力:微弱確認』
リシェリアの指が止まる。
物語は――まだ諦めていない。




