【第209話 神の雫】
鹿を解体して、モモ肉でステーキを焼きながら、フライが雪洞で作っていた氷でバーボンのロックをテーブルに並べていく。
「ほらよ。元々、これはアンタらもんだから遠慮なく飲んでくれ」
ベスとビズは美味そうに一口飲むと、目の前の酒を見て躊躇っていたマリーに、ビズがからかうように話しかけた。
「アンタ、まさか崩壊前も酒は飲んだことないのかい?」
マリーはバーボンのむせかえるほどの香りを前に、困った顔をして答える。
「当たり前です。神に仕えるものとして、お酒なんて……」
「じゃあ、私が飲んでも良い?」
モニカがマリーのロックグラスを奪い取ろうとすると、マリーがピシャリとモニカの手を叩いた。
「モニカはダメよ。まだ未成年ですもの」
「アハハ! 冗談なのに本気にした〜! マリーは真面目なんだね〜」
そんなマリーを見て、フライが語り始める。
「お嬢ちゃん、こんなヤツらが崩壊前もユタ州にはうじゃうじゃいるんじゃよ」
ビズが二杯目のバーボンをグラスに継ぎながら、マリーにニヤリと笑って告げる。
「いきなり酒の初心者にロックはないよな? マリー。良し、私が聖水で水割りにしてやるよ!」
そう言ってマリーのロックグラスからタンブラーにバーボンを移し替えると、そのグラスに水魔法で聖水を注いで見せつけた。
もうそんな神の御業を目の前で見せつけられると、マリーには目の前の神の雫を飲むという選択肢しか無い。マリーの目の前にはただの水割りではなく、ユタ州では誰もが欲しがるであろう神の雫が目の前にあるのだ。
マリーは緊張して手が震えていた。タンブラーを落とさないように慎重に口をつけて、一口飲んでみた。
ボブルの密造酒は、禁酒生活を続けていたマリーには正真正銘の毒だった。最初の一口で、禁酒という見えない壁が決壊してしまった。
「何これ……? 美味しい……? 聖水がさっきまでのむせかえるアルコール臭を、見事な香水のように香りの花が咲いているわ……。これが神の御業……」
マリーはその後も、ウットリとしながらただの密造酒の水割りを飲み干していた。
「お? 良いね! マリー。アンタ強いじゃないか! オカワリはいるかい?」
マリーは何度も頷いた。
すると、再びビズは水魔法でバーボンの水割りを作ってくれる。それをマリーは再びウットリとしながら、鹿肉のステーキとベスの作ったバゲットを美味そうに食べながら、神の雫を夜更けまで何度もオカワリをしていた。
◆
そして、翌朝。フライに別れを告げて、四人はグリーンのトラクターで峠を下った。
教会に着くと、一晩外泊したことで、牧師からマリーが叱責されてしまった。
「マリー! 無断外泊とは如何なものです? しかも神の使いであるお三人を引っ張り回して!」
それにはビズが反論する。
「引っ張り回したのはアタイなんだよ。牧師さん。マリーは悪くない」
「それでも、マリーは無断外泊をした罪を償う必要があるのです。マリー。それは自分でもわかっていますね?」
マリーは素直に頷くと、
「はい。牧師さま……」
そう言ってマリーは、物置小屋から十字架を重そうに背負ってきた。
それを見ていたベスが牧師に問い詰める。
「アンタ! まさか罰ってあの子を磔にするのかい!?」
牧師は当然のこととして答える。
「当たり前です。オリジナルの聖書にもそう書いてあるでしょう」
そう言ってオリジナル聖書の、ヘブライが十字架に磔にされて処刑された後、七日後に復活するという一文を見せつけた。
「馬鹿な! これの種明かしをしてやるよ! よく聞きな! マリーもだよ! こんな馬鹿な風習の真似をするんじゃないよ!」
そう言ってベスはビズに語る。
「ビズ、磔になってくれるかい。この時のヘブライの再現をしてやんな!」
「え〜! 痛いから嫌だよ〜。でも、マリーを助けるためなら仕方ないか……。良いよ! ヘブライの種明かしをしてやるよ……。全くもう!! 腹が立つ!」
そう言ってビズは十字架に、自ら両手両足に土魔法で楔を打ち付けて、二千年前のヘブライの処刑を再現した。
(ズドッ……ズドッ……!)
「クソ痛い! これで良いんだろ? 母ちゃん」
神の使いであるビズの磔には、街の人も驚いて教会の前に集まってきていた。
◆
そんな磔を見上げている牧師や街の人に向かって、ベスが解説をする。
「良いかい! 私には二千年前に何があって彼が処刑されたのかは分からないけど、この磔のトリックならわかるんだ! ゾーンの幹部になると『リジェネーションリング』ってのを与えられるんだ! ビズの左手の薬指にも見えるだろ? この指輪は例え心臓を貫かれても、徐々に回復しちまうのさ! 今日はビズのこの楔の傷をリングの力で治してみせるから、よく見てな!」
ベスは十字架に楔で貼り付けられて、手と足から血を流しているビズに向かって告げた。
「もう良いよ! よく頑張ったね!」
すると、ビズは十字架から楔を解除して宙に浮いたまま、リジェネーションリングの効果で傷口が塞がっていく様子を見せつけている。
「ほら? これがヘブライのやったトリックさ! 奴は磔なんかじゃ死なないことを知っていたから、素直に処刑されて、七日後に復活したフリをしただけなのさ! だから、もう二度とこんなくだらないことをするんじゃないよ!」
ベスがパチンと指を鳴らすと、ビズはニヤリと笑って、木製の重々しい年季の入った十字架を炎魔法で消し炭にしてしまった。
それを見ていた牧師や街の人は、ビズの事を見て、神の子の再来に思えて、自然と膝をついて崇めていた。もちろん、マリーもまた神の子を見るかのように感動して、涙を流して膝をついていた。
ベスがビズに耳打ちをする。
「あら? やり過ぎちまったようだね?」
ビズも治ったばかりの手の傷を擦りながら、
「ヘブライもきっとやればやるほど、こうして神扱いされたんだろ。早く、次の街に行った方が良さそうだな……」
それにはモニカが反論する。
「え〜、せっかくXmasなのに移動すんの〜? 崩壊前のアメリカはこの時期から年が明けるまでは休みなんだよ?」
そんなモニカの一言で、ビズとベスがもう少しだけこの街に滞在することを決めた。
「仕方ないねぇ。年明けには次の街へ行くよ」
モニカとビズが静かに頷いた。
◆
そして、磔騒動がおさまると、改めてマリーから熱烈な感謝を述べられて、三人は困り果てていた。
「もうわかったよ。マリー。そして、アンタはしつこいよ? さっきから言ってるように、磔のトリックは私の力じゃなくて指輪の力なの。これをつければ母ちゃんだって蘇るのさ」
それを聞いたモニカが口を挟む。
「私もその指輪が欲しいな〜」
「ハハハ、地球人には魔素がないから無理じゃないかな? せいぜい鼻血が止まる程度の効力しかないと思うぜ?」
「な〜んだ。それならいらない」
そんなモニカの何気ない一言で、ベスが思い出したように呟いた。
「そういえば、マリーには魔素があるようだよ? 私なんかでも感知できたんだ。ビズならもっと深い所まで探れるんじゃないかい?」
「は? 地球人のマリーに魔素が? ありえないよ!」
そう言いつつも、ビズはマリーの顎をくいと上げて、マリーの瞳の奥を見つめて精神を集中させた。すると、瞳の奥には確かに魔素が秘められていることを、ビズが感知した。
「あ! 本当だ。マリーには魔素がある!」
神の子であるビズに至近距離で見つめられ、照れて顔が真っ赤だったマリーは、ビズのその一言で今度は真っ青になっていた。
「私にも魔素が……? 本当に?」
「うん。少ないけど魔素があるよ」
そう言ってビズが指輪を外して、マリーに手渡した。
「この指輪は付けたものしか外せないから、自分で付けな!」
マリーは指輪を受け取ると、それを左手の薬指にはめた。そして、ビズが壁の画鋲を外してマリーの指先を刺し、血を一滴だけ流してみると、あっという間に画鋲の傷口が塞がり、血が完全に止まっていた。
「うん! やっぱりマリーには魔素があるね!」
マリーはウットリとして、傷口と指輪を見つめていた。
「私にも神の力が……」
その呟きは、これまで神を拝む側だった人生から、初めて何かを持つ側の人生へと変わった瞬間の声だった。孤児として生まれ、名前もわからない親に捨てられ、ただ与えられた信仰に従うだけだったマリーの中に、この日、初めて『自分自身の力』というものが芽生えた。
それが何を意味するのか、何処に繋がるのか――この時のマリーには、まだ何もわかっていなかった。
ただ、左手の薬指で静かに輝くリングを見つめながら、マリーの胸の奥には、これまで感じたことのない、小さな高鳴りが生まれていた。
(第210話へ続く)




