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【第20話 Cの仕事は逃げること】

「奥尻島からワタルさんを呼んでもらえませんか。おそらく今の奥尻にトカゲ人類はいないはずなので」


 来翔がロープウェイ駅の自衛隊員に告げると、皆が顔を見合わせた。もうなりふり構っていられない状況だ。すぐに奥尻島のクロガネ幕僚長へ連絡が飛んだ。


「C'の来翔さんからワタルさんへの委託依頼です。孫請けとして参加をお願いします」


 クロガネ幕僚長は函館山の映像を見ていた。返答は即決だった。ヘリが飛び立つまでに時間はかからなかった。



 ◆



 約一時間後、ワタルがロープウェイ駅に降り立った。


「まさか俺が来翔さんの孫請けをする日が来るとは。さて、元請けさん。今回のお仕事は」


「死ぬかもしれないのに余裕がありすぎですよ」と来翔が苦笑した。「とにかく弓の二人を最優先で奪還します。ワタルさんには山頂に潜入して詩音さんと桜井さんを救出してほしい。僕は千畳敷で派手に暴れてヤツら全員を引きつけます。二人さえ救出できれば、あとは弓の力で観光客の奪還もできます。坂上さんとタコ助くんも……生きてる可能性があるなら探しながら登ってください」


「来翔さん一人でワニとコモドドラゴンを相手にするんですか」


「戦うと言うか、時間稼ぎです。弓の二人を助けるまでの間だけちょこっと暴れてきます。無事に下山できたら、二人を引き連れて観光客の救出に移りましょう。一つだけ確かなことは、詩音さんと桜井さんなしにヤツらには勝てません」


 作戦会議は短かった。聞いていた自衛隊員が慌てて口を挟んだ。


「我々はどうすれば」


「ここで待機をお願いします。大勢で動くとヤツらも身構える。今回は奪還作戦です。もし僕かワタルさんが追われていたら、ロープウェイ駅から集中砲火でヤツらを足止めしてください」


 来翔とワタルはそれだけ言って、函館山の登山道を登り始めた。



 ◆



「坂上さん達と同じルートで登るんですよね」


「そうみたいです。僕は彼らの出発に間に合わなかったので、ナオミさんから聞いた話ですが」


 同じルートを登るということは、遺体がある可能性があった。二人は無言で足を進めた。


 六合目付近で、タコ助の愛銃が落ちていた。弾倉は空だった。最後まで撃ち続けたことが、それだけでわかった。遺体は、髪の毛一本も残っていなかった。コモドドラゴンは丸呑みにする。まとめて飲み込まれたのだろうと、二人は言葉もなく先を進んだ。


 七合目付近で、大木に坂上の槍が突き刺さっていた。深々と。盾は見当たらない。大量の血の跡が地面に残っていた。ワニに噛みつかれたのだ。「片手盾だったから、盾ごと食われたのかも」とワタルが静かに呟いた。


 その傍らには詩音の弓と桜井の弓が放置されていた。衣服の切れ端が散らばっている。二人がここで衣服を剥ぎ取られた場所だとわかった。


「ヤツら本当に、人を食料としか見てないんですね」


「ですね……不謹慎だけど、僕らもトウモロコシをスーパーで買うとき、皮をバリバリ向いてカゴに入れますからね」


「言い得て妙って、このことですよ」


 ワタルが弓を二本回収してから、登山道を外れてけもの道に入った。


「来翔さん、千畳敷でしっかり引きつけてください。俺は二人を救出したらここで弓を渡して下山します」


「任せてください。C'の誇り、見せてやりますよ」


 二人はガッチリ握手して別れた。



 ◆



 来翔は登山道を鼻歌を歌いながら登った。ネーラも肩の上で合唱した。


「♪オーラバトラ〜♪ダンバイン♪オーラシュート♪ダンバイン♪」


「ねえ来翔、オーラシュートってなあに?」


「ごめん、僕にもわからないよ。作戦が終わったらWikipediaで調べてごらん」


「うん!早く終わらせて帰ろうよ。レフトとカスミが待ってるからね」


「そうだな。函館のお土産でも買って帰るか。詩音さんが函館在住らしいから、帰りにオススメを聞いてみよう」


「また、あの女と仲良くする気!?バカ来翔!」


 ネーラがぷくりと膨れた頃、二人は千畳敷に着いた。


 来翔は山頂の展望台に向けて44オートマグを三発放った。


 ダン。ダン。ダン。


 間もなく、ワニ男一名とコモド男三名が千畳敷まで駆け下りてきた。来翔を取り囲んで笑みを浮かべている。


「来翔の事をオジサンで脂がのってて美味そうだって言ってるよ」とネーラが直訳した。


「まあ、脂多めは否定はしないけどな。ネーラ、軽量化だ!」


「OK!軽くな〜れ!」


 体重八十五キログラムが、約七キログラム分だけ軽くなった。その差が、スイングスピードを別次元に引き上げる。


 来翔は一気に距離を詰めてコモド男の背後に回り込んだ。コモド男は油断していた。体をひねって適当にシッポを振り払おうとした——その立派なシッポに、正田耕三が乗り移った杓文字が叩き込まれた。


 ビダーーン!


 ビダーーン!


 ビダーーン!


 コモド男が初めて感じるビリビリした痛みに困惑した。耐えられないほどではない。ゆっくりと振り返って来翔の肩口を噛もうと大口を開けた。


 それが失敗だった。


 普段は届かないコモド男の顔面が、噛もうとしたことで来翔の杓文字の射程に入った。正田耕三の左右どちらでも打てるスイングが、鼻頭と頬を三連打した。コモド男がうずくまった。来翔はさらに五連打を顔面に叩き込んだ。


 もう一人のコモド男が仲間を呼びに走った。残ったワニ男とコモド男が来翔を包囲して、仲間の合流を待ち始めた。


 顔面を叩かれたコモド男が怒りの限界を超えた。もはや思考を失い、まっすぐ来翔へ突進してきた。


 来翔がネーラに小さく言った。「ネーラ、ぺー」


「OK、ぺー」


 軽量化が再び発動した。スイング速度が上がる。突進してくるコモド男の鼻先が迫る——来翔は杓文字を広島東洋カープの助っ人、ブラッドリー・エルドレッドの構えに入った。エルドレッドは全身のバネを使った豪快なフルスイングで知られる大型スラッガー。その巨体から繰り出される一撃は、ただの長打ではなく、スタジアムを震わせるほどのインパクトだった。


 来翔はタイミングを測るために、ゴルフのスイングで「チャーシューメン」と唱えるように、心の中で北別府の名を掛け声にした。


「き——た——べっ——」


 ネーラが来翔の呼吸に合わせて叫ぶ。コモド男の鱗の隙間、一番柔らかい急所が迫る。


「ぷ!」


 インパクトの瞬間、軽量化が解除された。


 ビダーーン!!!


 軽量化でスイングスピードの限界まで加速した杓文字に、七キログラムの質量が瞬時に上乗せされた。速度の二乗で増大した運動エネルギーに、さらに重みが一気にかかる——拳が最速の瞬間に鉄球へ変わるような衝撃が、コモド男の鱗の隙間に叩き込まれた。


 乾いた木音ではない。重く、くぐもった破壊音が函館山に響いた。コモド男の叫びが喉の奥で「ヒュッ」という空気の抜ける音に変わった。横隔膜が機能を失い、肺が酸素を拒絶する。膝から崩れ落ちたコモド男が地面で四肢を暴れさせた。


「良し!北別府、成功!」


「すごい!使えないと思ってた軽量化でもやれるじゃん!」


 軽量化によるスイングスピードの最大化と、解除の瞬間に加わる自重の上乗せ——ネーラのバフと来翔の北別府タイミングが噛み合って初めて成立する、二人の協力技だった。


 もう一頭のコモド男が同じように突進してきた。


「ネーラ、もう一度」


「OK!……き!た!べっ!ぷ!」


 ビダーーン!!!


 二頭目のコモド男の急所にもクリーンヒットした。足元に二頭のコモド男が呼吸困難でバタバタと暴れている。


 そこへ、山頂から大柄なワニ男が降りてきた。ダラス将軍だった。部下のコモド男たちを見て咆哮を上げた。


「人間の前で膝をつくなって怒鳴ってるよ。あのワニ男、本気で怒ってる……大丈夫、来翔?」


「大丈夫じゃないけど、ここが頑張り時だよ」


 ダラスが咆哮したことで、山頂に残っていたトカゲ戦士が全員、千畳敷まで降りてきた。十人が来翔を囲んだ。


 来翔は44オートマグをダラスの胸に向けて三発放った。ダン。ダン。ダン。


 弾丸はワニの硬い鱗に弾かれた。傷一つつかない。だが来翔の目的はそれではなかった。


 ダラスが銃撃を受けたことで、周囲の戦士たちの視線がダラスに集まった。皆が将軍の様子をうかがっている。


 その瞬間、来翔はネーラに囁いた。


「ヤツらに言ってやれ。『餌が逃げてるぞ』って」


 ネーラが十人のトカゲ戦士に向けて叫んだ。


 全員が一斉に山頂を振り返った。


 来翔はその刹那に動き出した。千畳敷から函館山の裏側へ——軽量化を全開にして、急斜面を落ちるように駆け下りた。


 函館山の裏には、かつて寒川村という漁村があった。戦前まで人が暮らしていたが、あまりの急斜面のために千畳敷からロープが垂れ下がっていた。住民たちはそのロープを掴んで山を登り降りしていた。そのロープは今はない。降りる人間がいることを想定していない崖だ。


 軽量化の恩恵を全て使って、来翔は転がり落ちる寸前の速度で斜面を駆けた。木の根を掴み、岩を蹴り、足場のない斜面を全力で下りた。一歩でも踏み外せば止まれない。


 トカゲ戦士二名が後を追ったが、来翔の姿はすでに見えなくなっていた。


 旧寒川村に降りたトカゲ戦士は来翔を探したが、どこにも見つからなかった。そして今度は登れなくなった。ロープのない崖は、トカゲ戦士といえど登れる斜面ではない。やむなく二人は海に入り、函館山をぐるりと泳いで立待岬から山頂へ帰還した。


 ダラスは来翔を取り逃したと聞いて激怒した。だが山頂の人質が一人も減っていないことだけは確認できた。


 トカゲ戦士には気づく余地もなかった。人質の中から詩音と桜井が消えていることなど。全員を裸にしていた彼らにとって、人は食料だ。個体の区別などしていない。



 ◆



 ワタルは詩音と桜井を救出して、七合目で弓を二人に手渡した。三人は黙って登山道を下り始めた。


 ロープウェイ駅で待っていた自衛隊員たちが、三人の姿を見て歓声を上げた。


 来翔とネーラは函館山の外人墓地側から、ゆっくりと歩いてロープウェイ駅まで戻ってきた。


「帰ってきましたよ」


 自衛隊員たちが来翔を取り囲んだ。


 詩音は自衛隊員にタコ助と坂上の状況を報告していた。言葉は短かった。切なそうな顔で、それだけ言った。


 ワタルと来翔はかける言葉がなかった。


 作戦は成功した。詩音と桜井は無事だった。弓を取り戻した。


 それでも、ロープウェイ駅の中で素直に喜んでいる人間は、一人もいなかった。




   





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