第3章
なにを偉そうに語っているのやら。よりにもよって芥川龍之介を引き合いに人生を語ろうなどと、身分不相応もいいところだ。恥を知れ。この厚顔無恥の三流物書きが。
またしても彼は爆笑した。口の中の甘みが一層強まった気がした。
やっぱり自殺しよう。彼はそう心に決めた。郊外の暗がりで爆笑している様は俯瞰で見れば明らかに異常だが、精神は冷静さを保っている。
ロープは持ってきていない。が、自殺する方法なんてこの世にごまんとある。
手っ取り早く、息を止めて窒息死しようと思い立った。
早速実行に移した。自動販売機で飲み物を買おうにも逡巡する、優柔不断が服を着ているような奴なのに、こういう時に限って物事を即断する己の滑稽さたるや。ちょうどいい。含羞の感情で心が満ち満ちている今こそ、自殺を遂げる絶好のチャンスだ。
元々身体は強くない方だ。しかも最近はめっきり外出しなくなったのと精神の不調も加わって、老人並の体力しか残っていない。ちいっとばかしの苦しささえ我慢すれば、簡単に死んでくれるだろう。
ふっ、と力を込めて息を止めた。案の定、十秒も経たないうちに、途方もない息苦しさが襲いかかってきた。顔は紅潮し汗ばみ、手足はブルブルと震えだした。生存の本能が、必死に酸素を求め、彼の口をこじ開けようとする。しかし、彼はそれに必死にあらがい続けた。やがてただでさえ暗い視界が見る見る内に窄まってゆき、眼球がグンと上を向いた。
さぁ後一歩だ。ズキンズキンと痛むこめかみのまま、彼は思った。苦しい。あまりにも苦しすぎる。だが、これさえ乗り越えれば、永久の安らぎが待っている。それを思えば、こんな苦しみなんて一時の地獄にすぎない。もし万が一、あの世というものがあり、閻魔に裁かれ某地獄へ堕ちようとも、現世より居心地の悪いところではなかろう。
彼の意識が次第に白みだした。すさまじい苦しみに混じり、名状しがたい快楽が彼を包み始めた。いよいよのようだ。もはや意識的に息を止めているという感覚はなかった。まるで無呼吸状態こそが己のあるべき姿だという確信さえ持ち始めた。
しかしその確信をしっかりと心に感じる寸前に、彼は意識を手放し、浮遊にも似た感覚の中、果てしない暗闇の中へとその身を踊らせた。
目を覚ました時、まず最初に見えたのは青空だった。
身を起こす。すーはーと呼吸を確認する。
左胸に手を当てるとドクンドクンと、忌まわしい鼓動が聞こえてきた。その規則正しいリズムが、彼には「死なせるか! 死なせるか!」というふうに聞こえた。
彼は立ち上がった。一晩中冬の野外で気絶していた割には、両手がひどい霜焼けになっていることと、若干のめまい、悪寒、喉の痛み、関節の痛み、頭痛、吐き気、云々――明らかな風邪の症状――ぐらいしか、身体への異常は見られない。
彼は苦笑した。窒息による自殺には失敗し、凍死すらできなかったとは。くくくと笑って息を吸うと、のどの奥の方からゼーという音がした。
彼はポツポツと歩き出した。家に帰るためだ。
奇妙なことに、昨日はあれほど切望していた死が、若干忌避すべきものに変わっている気がした。
鼻をすすった。
やっぱり、のどの奥に、目薬の甘い味がした。
了




