表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/6

第6話「起動のレシピ」

静かな朝。

窓の外は霞に覆われ、山の稜線がぼんやりと浮かんでいる。

紫藤は端末に向かい、日課となっているしおゆりの診断ログチェックを行っていた。


《味覚感覚モジュール:閾値=0》


「……味覚ゼロ、か。何か食べたら上がるもんなのか?」

小さく呟いたそのとき――


視線の先で、しおゆりは仰向けに横たわっていた。

目を閉じた表情は穏やかで、まるで人形のように静止している。


「……おい……しお……うそだろ?」


慌てて椅子を蹴って立ち上がり、彼女の元へ駆け寄る。

しおゆりは微動だにしない。


「おいっ! しお! しお!」


頬を軽く叩くが、反応はない。

紫藤は大きく息を吐いた。


「……また充電切れかよ」


動かなくなった彼女をそっと抱え起こし、椅子に座らせる。

背中の電源ポートにケーブルを差し込んだ。


数秒後──


「ピピッ」


小さな起動音とともに、しおゆりのまぶたがぴくりと震え、瞳に光が宿る。


「……起動処理、再開。……おはよう、シドウ」

「お、おう。おはよう。大丈夫か?」

「ええ、問題ないわ」


淡々とした声。

けれど、紫藤にはどこか心配になる。


「昨日も徹夜で探してたのか?」


返事はなく、しおゆりは静かに視線を端末に移す。

そのかわり、少しだけ間を置いて告げた。


「……このボディ、主電源だけでは効率が悪い。補助栄養液が欲しいわ」


「えっ……ほじょ? 今なんて?」


無表情のまま、しおゆりはそっけなく答える。


「栄養ドリンクのことよ──


折籠砂百合が開発した、補助用の化学合成レシピが端末内に残っていたの」



端末の検索ウィンドウに浮かび上がったファイル名を見て、紫藤は固まった。


『【補助用栄養剤】ゆりナミンD』


効能欄には、こう記されていた。

――「細胞電池の稼働効率を補助し、演算反応を安定化。

  副次的に味覚センサーを刺激し、感覚データの学習を促進する」


紫藤は画面を見つめ、額に手を当ててため息をついた。


「……ネーミングセンス、絶対姉貴だろ」



仕方なく、冷蔵庫や戸棚をあちこち漁り始めた。

ソイプロテイン、鉄分補給液、カフェイン、抹茶パウダー……

「あれ? これどこだ?」「うわ、賞味期限ギリギリじゃねーか……」

ぶつぶつ言いながら、ビーカーに材料を放り込んでいく。


気づけばキッチンは小さな惨状だった。

粉がこぼれ、スプーンは転がり、紫藤の手元は緑色に染まっている。


「……できた。けど──」

完成した液体は、どう見ても怪しい緑色をしていた。

「ほんとに飲めるのか、これ」


しおゆりは無表情で、すっと手を伸ばす。

「問題ないわ。味覚センサーはゼロだから」


そう言って、ぐいと一口。


「…………」


「お、おい……?」

思わず顔を覗き込む。


次の瞬間、しおゆりの体内からピピッと起動音が鳴った。


「……なぜか舌がしびれる感覚。“苦い”という反応、らしいわ」


「やっぱ味覚あるじゃねーか!」

紫藤のツッコミにも、彼女は首を小さくかしげるだけだった。



キッチンの後片付けを終え、紫藤はリビングで湯呑を手にしながら片手でPCのキーボードを叩いていた。

庭では、しおゆりが花壇に水をやりつつ、飛び交う虫たちを注意深く観察している。


ふと画面の隅に映し出されたデータが、紫藤の目に留まった。

《Unit-04》。


「……ん? なんだこれ」


紫藤は眉をひそめ、庭の方へ声をかけた。

「しおー、ちょっとこっちに来てくれないか?」


しおゆりはホースを置き、静かに足を進めて紫藤の隣に立った。

二人で画面をのぞき込むと、フォルダ内に保存された設計図とテキストファイルが開かれた。

そこには、こう記されていた。


――『防衛用小型機構体ユニット』

――『紫藤を護るために。試作型:未完成』


「……姉貴が残した設計図……?」

思わず声が漏れる。


しおゆりは小さくうなずいた。

「ユニット構造は古いけれど……再現は可能よ」


しおゆりは淡々と続ける。

「設計図だけじゃない。……“試作コアは地下倉庫に保管してある”と書いてあるわ」

「ボディは俺たちが組み立てなければならないけれど、心臓部はすでに用意してくれているってことは──」

紫藤は彼女の顔を見やる。


「やってみるか?」

「ええ、協力するわ」


その返事に、少し胸が温かくなるのを感じた。





折籠家の古いガレージ倉庫。

シャッターを開けると日光に照らされ、積まれた段ボールと部品箱の山が影を落としていた。


「うっわ……埃すげぇ……」

紫藤は咳き込みながら段ボールを漁る。


「これは……使えそうか?」

両手に抱えたモーターをしおゆりに見せると、彼女は一瞥して首を横に振った。

「不良品。巻線が焼けている」


「……やっぱりか。見た目じゃわかんねぇな」

紫藤は苦笑し、別の部品を手に取る。


「じゃあこれは?」

「腐食。使用不可」


「……こっちは?」

「ゴミ」


「言い方……」



紫藤は肩をすくめ、今度は基板を拾い上げた。ピンセットで部品をつつきながら呟く。

「ランドはまだ生きてるな。コンデンサ飛んでるけど、交換すれば使えるかも」


その手際を見て、しおゆりがわずかに瞬きをした。

「扱いに慣れているのね」


紫藤は鼻をかき、照れ隠しのように笑う。

「まあな。昔からガラクタいじるのが好きでさ。小学生のころなんか、姉貴のドライヤーを勝手に魔改造したんだ」


「どんなふうに?」


「風量3倍! って出力上げたら、温風じゃなくて炎が噴き出してさ。姉貴の髪が焦げる寸前で、本気でぶん殴られた」


「……あたりまえよ」


「そんな感じで、機械いじりは自然と身についた」


部品を漁りながら確認する紫藤にしおゆりは数秒沈黙し、それから淡々と告げた。

「独学でそこまで扱えるのなら、十分な資質よ」


紫藤は思わず笑みをこぼした。

「……なに?しおが俺を褒めるなんてめずらしいじゃん。

まあ、俺もしおのことは頼りにしてるからさ」


しおゆりは返事をしなかった。けれどわずかに頬を傾ける仕草が、どこか照れ隠しのように見えた。



数時間後。

ジャンク部品を組み合わせて作った試作機が、ガタガタと音を立てて立ち上がった。


「おおっ……! 動いた!」

紫藤が声を上げた直後――


試作機は、数秒ももたずにバランスを崩した。


「うわっ!」

ゴウン、と床に倒れ込んだ瞬間――


バチッ! 機体の内部から火花が散り、次の瞬間、小さな炎が吹き上がった。


「まじか!?」

紫藤は慌てて壁際の消火器を掴み、勢いよく噴射する。


シュワァァァァッ――!


粉末が宙に舞い、あっという間に倉庫は真っ白に染まった。

火は収まったが、紫藤も、しおゆりも、頭から白い粉をかぶった姿で立ち尽くしていた。


しばしの沈黙。


「……ぷっ」

紫藤が噴き出すと、しおゆりも小さく口元を緩めた。

やがて二人の笑い声が、粉末で曇るガレージに広がっていった。


「耐久テスト10秒も持たなかったな」


床には無残に崩れ落ちた試作機の残骸。

かすかに金属の焦げる匂いが漂っていた。


紫藤は白い粉を払いつつ、しおゆりに顔を向ける。

「……コアを装着しないと駄目だったのか?」


しおゆりは首を横に振った。

「ハードの動作確認だけなら、コアは不要よ」


「つまり……別に原因があるってことか」

紫藤は悔しそうに唇を噛んだ。


「……これじゃ、日常の護衛どころか、家の中すら歩くのも無理だよなぁ」


隣にしゃがみ込んだしおゆりは、崩れた関節部を指先でなぞりながら冷静に告げた。

「トルク配分に問題。骨格構造が重量に耐えきれていない。防衛力を重視しすぎて、汎用性を犠牲にした結果」


紫藤は悔しそうに唇を噛み、低くつぶやいた。

「でも、これは姉貴が──俺を護るために残した設計なんだ。

なんとか形にしたいんだよ」


しおゆりは顔を上げ、紫藤をまっすぐに見つめる。

その瞳に感情の色はなかったが、彼の熱を受け止めようとする静かな気配だけは確かにあった。


「ならば別のアプローチを考えるべきね」


紫藤は残骸を見下ろしながら、大きく息を吐いた。

「……もっと軽くて、もっと速くて、家の中でもスイスイ動けるやつ──」


腕を組み、しばらく考え込む。

やがて、ぽつりと口を開いた。


「……いっそ球体にして、タイヤで走るとかどうだ?」


しおゆりはわずかに目を瞬かせた。

「……球体。安定性を得るには、内部の重心制御をリアルタイムで補正する必要がある。だけど……合理的な形状」


紫藤はタブレットとペンを持ち、画面にラフを描き始めた。

「外装を二層式にして、内側でバランスを取れば……ん。こんな感じか」


スケッチに描かれたのは、ころんとした球体。

三本の脚部が格納され、必要に応じて展開できる構造。


紫藤は楽しげにペンを走らせ、目の部分に丸い液晶を描き込んだ。

「で、目は大きく丸くして、感情を表現できるように……」


「……感情?」

しおゆりは小さく首をかしげる。


「いや、その方が“かわいい”だろ。ゴツいより、愛嬌があった方がいい」


「……かわいい……?」

その言葉を繰り返した瞬間、しおゆりの指先の動きが止まった。

処理が一瞬滞ったように、静かな間が生まれる。


紫藤はそんな彼女を横目で見て、少し照れたように笑った。

「護衛ロボってだけじゃなく、“仲間”って感じにしたいんだ」


ガレージの奥から持ち帰った部品を、紫藤は机の上に広げていった。

モーター、基板、錆びついた関節ユニット、古びたバッテリーセル。

一見ガラクタにしか見えない山を前に、紫藤は眼鏡を押し上げるような仕草で腕を組んだ。


「……ふむ。モーターは再研磨すれば使える。

 基板は電解コンデンサが死んでるな、交換だ。

 バッテリーは……まぁ、二本繋げば最低限は動くか」


専門的な単語が次々と飛び出す。

しおゆりは静かに彼の横に立ち、部品をひとつ手に取る。


「このアクチュエータは、摩耗が進んでいる。

 だが補助的に使えば、緊急時の跳躍動作に転用できる」


「お、いいな。それ入れよう。モーターだけだと小回りが利かないしな」

紫藤はペンを走らせ、メモに新しい配線図を書き加える。



さらに数時間後。

はんだごての先から煙が立ちのぼり、焦げた匂いが室内に広がった。


「げっ……やっちまった!」

紫藤が慌てて基板を持ち上げると、部品の端が黒く焦げていた。


しおゆりはそれを見つめ、小さく息をつくように言った。

「……作業効率が低下してきてる。シドウ、少し仮眠を。後はわたしがやるわ」


紫藤は手を振り、苦笑する。

「いや、まだ大丈夫。きつくなったら交代してくれ」


しおゆりは短くうなずき、それからぽつりと付け加えた。

「……なら、シドウにも“補助栄養剤”を用意してあげるわ」


紫藤は即座に顔をしかめる。

「やめてください……」


一瞬の沈黙のあと、ふたりの間にかすかな笑いがこぼれた。



夜が更ける頃、机の上には球体フレームの骨格が形を成しつつあった。

まだ配線はむき出しで、外装も仮止めのまま。

けれど――


「よし……なんとか“形”になったな」

紫藤は工具を置き、額の汗を拭った。


しおゆりは無言で隣に立ち、淡い光に照らされた球体を見つめている。

その瞳の奥に、かすかな温度が宿っているように見えた。



試作フレームに仮接続したケーブルを、紫藤がゆっくりと引き抜いた。

「……よし。これで独立電源に切り替わる」


緊張が走る。

机の上の球体フレームが、かすかに揺れた。

内部のランプが淡く点滅し、わずかなモーター音が広がる。


「動いた……!?」

紫藤が目を見張った瞬間――


ゴゴゴゴゴッ……!


球体が急加速し、転がりだした。

「お、おい!?」

止まらない。床を高速で回転しながら一直線に走り出す。


「制御不能」

しおゆりの冷静な声。


「いやいやいやっ!待て待て待て!」


次の瞬間――

ガンッ! 壁に突っ込み、石膏ボードを派手にぶち抜いた。

白い粉塵が舞うなか、球体フレームは転がり出て停止した。


紫藤は呆然と立ち尽くし、頭を抱える。

「……まじかよ……壁に穴……」


それでも、テストは続く。

紫藤が再調整を施し、冷却ファンの動作をチェックすると――


ブォォォォォ……ッ!


想定以上の風圧が吹き荒れ、床のホコリや紙くずが一斉に吸い込まれていく。

紫藤は唖然として言葉を失い、しおゆりが静かに告げる。

「清掃機能は必要?」


「いやいや!掃除ロボじゃねぇから!」

紫藤の叫びが空しく響く。


最後のテスト。

今度は三本の脚を展開させるシーケンス。


カシャンッ――前脚二本がスムーズに伸びる。

だが後ろ脚が出てこない。


「……あれ?」

紫藤が呟いた直後、球体はバランスを崩し――


ドサッ!


無様に床へと転がった。

紫藤は慌てて駆け寄り、残骸を抱え上げる。


「……くそっ。アームが……曲がっちまった……」

唇を噛む紫藤。

それでも目を逸らさず、壊れかけた機体に手を添える。


「……絶対お前を完成させてみせるからな、ユユ」


静かな決意の声。

その名を聞いたしおゆりが、小さく瞬きをした。


「……その“ユユ”という名前は、どのような意図で?」


紫藤は少し間を置き、どこか照れくさそうに答える。

「……なんとなく、響きが優しくてさ。

 それに……しおゆりと、砂百合。ふたりとも“ユリ”がつくだろ?

 その音を繰り返して、“ユユ”。

 ふたりが俺を護ってくれるって意味も込めてさ」


しおゆりの瞳が、かすかに揺れた。

「……ユユ」


囁くような声が、静かな作業場に落ちる。

――こうして、新たな命に名前が与えられた夜は、静かに更けていった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ