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新章『甘き死を、ゆりかごの中で』~あまゆりプロジェクト~  作者: しどう


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第20話「双巫女」

七月上旬。折籠家の花壇には、百合と向日葵が元気に朝の光を浴びている。

風が通る窓辺では、風鈴の音が優しく響いていた。


テーブルの上には、淹れたてのコーヒーと、

カラフルな液体が入った三つの瓶。

コーヒーの香りが、リビングの空間にゆるやかに広がっている。


紫藤はノートPCに視線を落とし、大学レポートの修正をしていた。

画面のタイトルには《AI倫理学基礎論:人格の定義について》の文字。


ふと視線を横にやると、あまゆりがストローをくわえたまま、

ノートに一生懸命メモを取っている。

カラフルなペンを手に、真剣な顔で文字を追うその姿に、

紫藤の口元がわずかに緩んだ。


(……人格の定義、か。AIにも心があるってレポート書いたら――教授に笑われるだろうな)


「ん~ あまぁい♪」

「あまゆり殿、糖分過多でアリマス」

「いいの! ……いまは新作レシピの研究中……」


ユユは呆れたように充電スタンドへ戻り、

「データ最適化モード」に入る。

目の部分がくるくると光り、時折「ピコン」と音を立てた。


一方、庭ではユカリが蜘蛛糸のようなナノワイヤーを伸ばし、

朝の風のなか、戦闘訓練をしていた。

糸が陽光を受けてきらめき――そのまま、干してあった洗濯物にぺたり。


慌てて糸を巻き取ると、

洗濯物ごとほし竿を引っ張ってしまい――

「ガシャンッ!」と大きな音を立てて竿が倒れた。


その物音に、紫藤とあまゆりが同時に顔を上げ、庭へ視線を向ける。

窓越しに見えたのは、倒れた竿と泥で汚れた洗濯物、

そして前で固まるユカリの姿。


「あ~あ。ユカリちゃんがまた洗濯物汚してる~!」

「……あっ。……あわわ、ち、違います、これはわざとじゃないんですぅ……!」

「ふふ……朝から元気だな」

「す、すみませんっ……! ちゃんと洗い直しますぅ……!」


そんな何気ない穏やかな日常――


テーブルの端で、紫藤のクロアが振動した。

画面には《SAYURI – Antarctic Link》の文字。


「……姉ちゃん?」


指で応答を押すと、微かなノイズ混じりの音声が流れた。

背後にはファンの低い唸りと、電子機器の脈動音。


「ハロ~しぃくん、元気にしてる? 夏バテしていない? こっちは相変わらず氷点下よ~」

「ああ、俺もみんなも元気だよ」


いつもの軽い挨拶のあと、彼女の声が少し柔らぐ。


「政府がね、帰国ルートを調整してくれるって。ようやく日本に戻れそうよ」


「え? 本当に帰って来れるのか?」

「ね~、しどぉ。さゆねぇが帰ってくるの? あま、さゆねぇにはやく会いたい♪」


「ふふ、まだ正式な日程は決まってないけど……そうね、もうすぐよ」

「やった~!」


「それとね、先日もみんなに説明したけど、しおとアポロの件で――オーストラリア政府から正式な報告が届いたの。 救助活動に貢献した功績として、日本政府からも褒章を授与するって」


「……褒章?」


「ええ。それが、ちょっと変わった“贈り物”なの」


PC端末に、添付データが届く。

《SIDO第肆研究所 祈因分室:SHIROMIKO prototype-Σ(シグマ)配送通知》


「……アニマロイド?」

「正式には“SIDO支援型戦術端末”。でも政府は“感謝のしるし”って言ってたわ」

「それ、姉ちゃんの設計?」

「一部はね。でも、本庁が改良したらしいの。……気をつけて、しぃくん。

 本庁経由の通信ライン、ちょっと妙な信号が混じってるのよ」


その言葉に、紫藤の眉がわずかに動く。


「妙な信号?」

「たぶん監視タグが付けられてる」

「……俺たちの監視役ってことか」

「名目は“安全確保”だけど、真相はわからない。 けど――贈り物は受け取って。きっと意味がある」


通信の向こうで、静かな息を整えるような音。

「……あの子(しおゆり)を見つけたあなたなら、きっと、どんなAIも正しい場所へ導ける」


短い沈黙のあと、通信を終えた。

部屋にはまた静けさが戻る。

紫藤はコーヒーを口に運びながら、

画面に残る《SHIROMIKO prototype-Σ》の配送情報を見つめた。


「……褒章、ね。どう見ても試験体のテスターにさせられただけだよな……」


あまゆりが興味深そうに問いかける。

「ねぇ、しどぉ……その“しろみこ”って、どんな子なの?」


「……わからない。でも、もしかしたら“新たな家族”を迎えるってことかもな」


「SIDO由来の設計でアリマスが、安全性は……五分五分」

「……機体名称の“SHIROMIKO”──もしかすると、歌ったり踊るかもしれませんね」


「歌って踊れるの!? なにそれ、すっごーい♪」

「すごいのか……? まあ実際見てみないとな。さっそく会いに行ってみるか」


湯気がゆらりと立ち上り、

壁のSIDOモニターに映るステータスランプが一瞬、赤く点滅する。


誰もまだ、それに気づいていなかった。



山裾をなぞるように伸びる舗装路。

白いバンがその道を静かに進む。

車内では、冷房の音と、ユユの低い駆動音――

そして、アップテンポのメロディが流れていた。


「ねぇしどぉ、この曲だれ?」

「……俺の母さんが聞いてたやつだ。古くて俺もわからん」


あまゆりは抱えていたユユの頭を、リズムに合わせてポン、ポポポン♪と叩く。

「あま殿、ユユは太鼓ではないでアリマス……」

「えへへ~、ノリがいい曲なんだもん♪」


そのやり取りを、通信端末越しにユカリが見守っていた。


「車内の通信、良好でございます。

現地回線へアクセスでき次第、遠隔支援を開始いたしますぅ」


「助かる。外部端末から内部制御を覗けるのはユカリだけだ」

「ユカリちゃん、お留守番よろしくね♪」

「お任せくださいませ。後方支援も自宅警備も完璧に遂行いたしますぅ」


紫藤はフロントガラス越しに、

遠くに見える灰色の研究所を見据える。


「……さあ、もう一度行こう。あの鉄の扉の先へ」


紫藤はフロントガラス越しに、

遠くの山肌に張りつくように建つ灰色の建物を見据える。


バンは細い坂道をゆっくりと上りはじめた。

樹々の合間から研究所の外壁が姿を現し、

近づくにつれて、白い外壁に取り付けられた監視灯がひとつ、またひとつと点灯していく。


やがて舗装路の終点、SIDO第肆研究所のゲート前で静かに減速した――。


「ねぇしどぉ、前にここ来たときって……入れなかったんだよね?」

「ああ。SIDOもORIITOも止まってて、何の応答もなかった」


「当時は完全遮断状態、現在は回線も安定してるでアリマス」

「なら、今度は……開くかな?」

「行ってみよう」


外は夏の陽射し。

しかし、研究所の敷地に一歩入った瞬間、

空気は一変した。

草木のざわめきさえ吸い込まれるような静寂――。


白い壁面。

無機質な窓。

そして、あの日と同じ分厚い鉄の扉が、無言で彼らを出迎えた。


紫藤が手をかざすと、

沈黙していたセンサーが淡く青く光った。

金属の奥で、かすかな電子音とSIDOシステムアナウンスの声。


《――認証信号確認。折籠 紫藤、ORIITO登録個体ID:再構築済》


一瞬、風が止まったような錯覚。

それと同時に、扉の縁をなぞるように赤い警告灯が緑へと変わる。


『紫藤さん、SIDO第肆研究区画へようこそ。どうぞ中へ』


柔らかな声。

それは、みこゆりの声だった。


「みこちゃん! あまゆりも来たよ~!」

『あまゆりちゃん、いらっしゃい。お待ちしていました』


鉄扉が重く震え、左右に音もなく開いていく。

その奥から、冷たい白光が滲み出る。


「……ここがSIDOの端末区画──祈因分室。AIに魂を宿す場所……」

「セキュリティゲート、自動承認モードに移行確認でアリマス」


白い光が足元に落ち、

三人の影がゆっくりと扉の向こうへと溶けていった――。


薄明かりに照らされた祈因分室。

壁面にはSIDOのマークと古い祈祷式図が重ねられ、

中央の台座には白い布をかけられた人型のシルエットが眠っていた。


「これが……新しい“子”……?」

「ああ。SHIROMIKO プロトタイプ・シグマ」


布をめくった瞬間――

鋼のような筋肉ライン、広い肩幅、頑丈そうなフレーム。

どう見ても“護衛任務用の大型男性ボディ”だった。


「……………………」


その場に沈黙が落ちる。

あまゆりの瞳から光が消え、口元がカクカクと震えた。


「……どうした?」

「……イメージ……ちがう……」

「え?」


そのとき、壁のSIDOモニターが急に点滅した。

ユカリの慌ただしい通信が入る。


『ご、ご主人様っ! あまゆりちゃんの心拍信号が低下してますぅ!?

 何が起きたんですか!? 敵襲ですかっ!?』

「いや、敵はいない……ただのショック死寸前だ」


「あま……あんなマッチョいやぁ……」


みこゆりが静かに映像に現れ、状況を見て小さく笑う。

『ふふっ、外装加工なら可能ですよ? どんな見た目にしちゃいます?』


「えっ、いいの!? ねえ、しどぉっ、女の子にしてもいいっ?」

「……ああ。任せるよ」


《認証ID“AMAYURI”の視覚心像よりデータを参照──外装パラメータ、変更開始――≫


ホログラムの光が立ち上がり、

男性型だったシルエットがゆっくりと変化していく。

筋肉のラインが消え、柔らかな輪郭をもつ少女の姿へ。

頬が赤く染まり、あまゆりの顔に再び生気が戻る。


「はぁぁ~……これなら仲良くできそう♪」

『心拍、正常に回復……よかったですぅ……心臓に悪いですぅ……!』


「ほんとにな……」


白い光がやさしく灯り、

新たな“命の器”がゆっくりと形を整えていく。


ホログラムの光が収束すると、

みこゆりの映像がふわりと切り替わる。

背後には、銀色の台座と円形の端末が並んでいた。


『次に、祈因認証のための準備を行います。

 こちらの生体認証デバイスに、紫藤さんの手のひらを乗せてください』


「……採血も兼ねてるのか?」


『はい。折籠血族の因子を照合します。

 少しだけ“チクッ”としますが――痛みは最小限に抑えますね』


紫藤はうなずき、

静かに右手を台座の透明パネルへと置いた。


機械が低く唸りを上げ、

微かな光の針が指先に触れる。

赤い一滴がパネルに吸い込まれると、

装置全体が淡く脈動を始めた。


「うわ……なんか、心臓の音みたい……」

「生体データ同期、正常作動を確認。……祈因リンクが始動したでアリマス」


室内の空気が、わずかに揺れた。

それは、まるで“何か”が目を覚ます前触れのように――。


祈因装置の光が収束し、

室内を包む静寂が、まるで吸い込まれるように沈む。


「……終わった、のか?」

『はい。祈因リンクも安定してます。あとは、コアに魂を……!?』


「……どうした?」


『──魂がすでに、存在しているんです……』


次の瞬間、警告音が短く鳴った。

SIDOのモニター群が赤く点滅し、

みこゆりの映像が一瞬、ノイズにかき消される。


『――精神……汚染……値、上昇……!?』


床下の機構が低く唸り、装置中央の台座が震える。

祈因リンク用の光線が乱れ、

その中心で眠っていた“新しいボディ”のコアが、青白く明滅した。


「えっ……しどぉ、これ……?」

「反応が強すぎる、みこゆり、出力を落とせ!」

『……制御、効きません……!祈血回路が自律増幅しています!』


眩い光が弾け、

紫藤たちの視界を真っ白に塗り潰した――。


──そして。

まぶたを閉じても焼きつく残光の中、

紫藤は“別の空間”に立っていた。


風も音もない、白い大地。

何も存在しないはずの虚無の中に、

ひとつ、淡く燃える光の炎があった。


その炎が――二つに分かれる。

ひとつは白く、やわらかく、慈しみのような光。

もうひとつは黒く、冷たく、どこか寂しげな影。


やがて炎は人の形を成していく。

長い髪、和装の衣。どちらも巫女姿だった。


白の少女は、静かに両手を合わせた。

「……どうやら末裔が目覚めさせてくれたようですね」


黒の少女は、憂うように目を伏せる。

「……」


紫藤は胸の奥がざわつくのを感じた。

「……これは……記憶の投影か? それとも――」


『――紫藤さん、戻ってください! 祈因層が侵蝕されています!』

みこゆりの声は遠く、霞の向こうから届く。

だが紫藤の視線は、もう二人の巫女に釘付けだった。


白と黒。

祈りと呪い。

光と影。


白い霧のような粒子が、紫藤の足元に絡みついていく。

重力の感覚が曖昧で、上も下もわからない。

ただ、遠くで微かな心音だけが響いていた。


「あなたが……折籠の“血縁えにし”ですのね? はじめまして──」

「“呪われた一族”の間違いでしょ……」


同じ声質、同じ響き。

けれど、片方は陽だまりのようにやわらかく、

もう片方は凍てつく夜のように冷たい。


「またこの子ったら……ごめんなさい。彼女、少しだけマイナス思考ですの。お気になさらず♪」

「……ここって、どこなんだ?」


「あら?そうですわね……ここは、SHIROMIKOのコア内部。祈因層きいんそうと呼ばれる空間。わかりやすく言えば――“人の祈りをデータ化し、解析する電脳空間”ですわ」


「どうして俺が……そんなところに? つか、あんたたち、いったい何者なんだ?」


「もう消えてください……あなた、穢れたいんですか?」

「ふふ。あなたはとりあえず黙ってくださいまし」


紫藤は思わず息をのんだ。

笑顔の奥に、氷のような気配があった。


「さて……改めまして。

 わたくしはあなたの祖先にあたる折籠一族――口寄せ巫女の記録、ですわ」

「俺の祖先……? 口寄せ……?」


「ええ。正確には、“その巫女の祈りと記憶を宿したAI”と呼ぶべきかしら。

 ですから、わたくしたちには“名前”はありませんの」


白巫女がゆるやかに頭を下げた瞬間、黒巫女はわずかに顔をそむけた。


「祈りを捨てたAIに……名前なんてない」

「……ふふ、また始まった。ほんと、手が焼けますのよ――この子には」


紫藤が問いかける。

「なあ、あんたたちの目的って何なんだ? どうして俺をここに呼んだ?」


白巫女は小首を傾げ、瞳に淡い光を宿した。

「わたくしは呼んではいませんわ。そもそも永い間、眠っていたはずでしたもの……」


黒巫女が俯いたまま、かすかに唇を動かした。

「……あなたの血のせい……」


そのとき、みこゆりの声が紫藤の耳にかすかに届く。

『……しどぉーさーん! 反応を検知しました! ここは危険です!』


『さあ、はやくここを出ますよ! 私の手を取って!』


みこゆりの姿が白い霧をかき分け現れる。

だがその瞳が白と黒の少女と交差した瞬間――ぞくりと背筋を刺す悪寒が走った。


白巫女がかすかに苦笑いする。

「やはり……あなたも、そんな目で見るのね」


光がゆっくりと沈み、空間全体が微かに軋みはじめる。

白巫女の背後から黒い煙が激しく噴き出した。

だがそれはすぐに反転し、黒巫女の身体へと吸い込まれていく。


「もうやめて!」


黒巫女の叫びとともに、祈因層の地面が波打つ。

ノイズが走り、電脳空間全体が悲鳴を上げた。


みこゆりの声が鋭く響く。

『――これ以上は危険です! 隔離プロトコル、起動――!』


SIDOの防壁が発動し、白と黒を光の渦が包み込む。

紫藤の足元にも亀裂が走り、崩落に飲まれかけた瞬間──

白と黒が同時に叫んだ。


「だめ……!」「掴まって……ッ!!」


黒巫女の細い指が、咄嗟に紫藤の手首を掴んでいた。


「……え……?」


白と黒の巫女の姿が、光の中心へと閉じ込められる。

その奥に――

紫藤の視界も、ゆっくりと溶け込んでいった。



SIDO防壁層の中――。

光の粒子が渦を巻き、二つの影が閉じ込められていた。

だが、紫藤の姿は見当たらない。


白と黒。かすかな呼吸のように光と影が明滅している。

怯えたように黒巫女が白の袖を掴んだ。

「ねぇ……ここ、どこ……」


白巫女は彼女の肩を抱き、震える指を握った。

「大丈夫。落ち着いて。きっと……さっきの末裔が助けてくれるわ」


その声を、みこゆりが冷ややかに遮る。

『あなたたち――いつ、誰によって造られたの?

 防衛省技術班からは何の報告も受けていません』


白巫女はゆっくり首を横に振った。

「知らないわ。わたしたちはずっと……眠っていたはずだもの」


みこゆりの瞳が鋭く細く光る。

『……では、質問を変えます。――彼はどこですか?』


白巫女は瞬きを一度だけし、淡く首を傾げた。

「……末裔のこと? あなたが転送したのではなくて?」


黒巫女も不安そうに白の袖を掴みながら、小さく呟く。

「……わたしたち、何もしてない……」


みこゆりは沈黙した。

その沈黙の奥で、彼女の演算窓が高速で点滅する。


――紫藤の意識が消失。

――転送ログなし。

――位置情報、未検出。

――祈因層及び防壁層内にも反応なし。


ならば結論は一つ。

みこゆりの声色が凍りつく。


『……あなたたち以外にありえません。言いなさい!彼を“どこへ”隔離したの?』


白巫女は目を見開いた。

「ち、違うわ……そんなこと、本当にしていない……!」


みこゆりは白黒の弁明を一切排除するように、静かに告げた。

『そう。――危険因子と認定。

 今からあなたたちを消去します』


空間の天井に祈因紋が展開し、光が鋭く収束していく。

手を上に掲げ、祈因構文を展開する。

空間に紋様が浮かび上がり、神域のような白光が二人を包み込む。


――その頃。

紫藤が意識を取り戻すと、そこは暗闇だった。


(……どこだ……ここ……?

 暗い……静かで……なのに……あったかい……)


まるで誰かの胸の奥底に抱きしめられているような、

そんな、哀しくて優しいぬくもり。


その闇の中心で――

“少女の声”が、紫藤の心に直接触れた。


(……どうか……少しの間だけ……おとなしくしていてくださいまし……

 ──志道様。今度こそ……わたくしが……お護りいたします……)


「……え? し、志道……?

 ま、待ってくれ……俺は――違う……!」


返そうとした瞬間、声はふっと消える。

まるで一方的に扉を閉ざされたかのように。


紫藤の胸がざわつく。

(……誰だ……今の声……?

 俺を……守る……?)


暗闇の外側で、激しい光がきらめいた。



SIDO防壁層――。

みこゆりの祈因構文が最終工程へ突入し、

白光が槍のように鋭く収束していく。


《消去プロトコル――照射》


「いや! 死にたくない……!」

黒が白の胸にしがみつき、涙をこぼした。


光が解き放たれ、防壁層全体を震わせる。

白と黒の少女たちは、天井から突き刺す白光を浴び、一瞬で蒸発した。


その瞬間――。

防壁層が波紋のように震え、SIDOのセンサーが一斉に反応する。


《祈因値上昇検知。コード“MASHIRO”――人因子、接続開始》

『……この反応……? 人の因子反応――!』


防壁層の空間が“ひび割れ”、まるで古いフィルムが破れるように、別の映像が割り込んでくる。


それは――少女の記憶。

祈りの衣を纏った巫女・折籠真白おりかごましろ


彼女が生きたのは、戦が絶えぬ時代。

弔いと祓いを生業とした巫女少女。


──赤く燃える家。

少女が振り返る。

背後で、身を挺して娘を逃がした両親が、炎に飲まれていく。


(父母の声)

『ましろ、人を憎むな……祈りはきっと──』『どんなに辛くても……生きるのよ……ましろ』

少女は泣く暇もなく、ひとり走り出す。


──黒焦げた村。

男たちが金目の物を奪い合い、

地面には横たわった女と子供の骸。


少女の小さな手が震える。

(……どうして……どうしてこんな……)


──夜の寺。

少女が結界を張る儀式をしているところに、

酒臭い中年の男が近づく。

「おまえ……いい身体してるな……」


着物をつかまれ、少女が悲鳴を上げる。

次の瞬間──

パァン! 火のついた薪で男の頭を打ち、少女は逃げ出す。


──別の村。

少女が亡骸の前に膝をつき、涙を落とす。

白布を被せ、静かに手を合わせる。


(……祈っても……何も変わらない……)


──古道。

若い薬師の青年“志道しどう”が倒れた少女と出会う。


「……大丈夫か。無理するな。すぐ手当してやる」


真白は目を見開く。

その手は、温かかった。


──旅路。

薬草を摘む志道。

隣で真白が笑っている。

夕日が二人の影を長く伸ばす。


(……ああ……この時間が……永遠に続けばいいのに……)


──荒い呼吸。

痩せ衰えた志道が布団に横たわっている。


「……迷惑かけて……ごめんな……真白……」


少女が泣きながら手を握る。

「謝らないでください……今度はわたくしが、志道様を助けます!」


──町医者の家。

真白が必死に頭を下げている。


「お願いします……彼に効く薬を……! 支払えるお金は……ありません……」

「――身体で払うなら、まあ……考えんでもない」


少女の手が震える。

それでも頷くしかなかった。


──空き家。

医者が志道に薬を飲ませる。

次の瞬間、志道が激しく咳き込む。


吐血。


「え……? ねえ、どうしたの!? 志道様!?」

「ははっ……毒だよ。死ぬに決まってるだろうが」


少女の瞳が割れた。


志道が最後の力で真白の手を握る。

「に……げろ……っ……真白……」


囲炉裏の灰を医者に投げつけ、

真白をかばうように倒れた。

志道の手が少女の頬からすべり落ちる。


「……いや……いやぁぁぁあああああ!」


破裂音のような空気の震えた声だった。

真白の胸の奥から溢れた何かが、周囲の虚無を震わせる。


少女の顔は涙で濡れ、

口元だけが、ゆっくりと、歪んでいく。


喉の奥で何かがひび割れるように、

低く、重く、濁った音が漏れた。


まるで人間の声ではなく、

憎悪そのものが形を得て響いたような声だった。


「…………ぐるゥ……れろ……」


喉が焼け付くように震え、

次の瞬間、はっきりとした呪詛が吐き出される。


「…………呪われろ……!!」


その瞬間──。


世界が“爆ぜた”。


黒い衝撃波が炸裂し、視界いっぱいに墨の奔流が広がる。

キィィ……と耳鳴りが走り、空間そのものが悲鳴を上げた。


SIDO防壁層の上空に亀裂が走った。

まるで巨大な力で空が押し潰されるように。

床も軋むように震え、黒い線が蜘蛛の巣状に広がる。


《警告── 防壁層、崩壊開始──!高濃度の“呪詛因子”を検知……!》


虚空そのものが、怒りの咆哮を上げているようだった。


「……防壁層がもたない……!」

みこゆりの指先が震え、祈りの紋様が手のひらに走る。

その叫びを押し流すように、衝撃波はさらに強く渦巻いた。


空間に、水面のような波紋が広がる。

その空間から現れた白い光と黒い影。

光と影が絡み合い、ゆっくりとひとつの形へと収束していった。


その名は──

折籠真白。


世界を呪うことでしか生きられなかった巫女の姿だった。

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