↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
2/22

第2話「孤独な現実」

あの時、姉は何気なく俺にクロア(Close Assistant Device)を差し出した。


「私がつくったセキュリティアプリよ。入れといて!いざってとき用」


その“いざ”がこんなにも長い別れになるなんて、あの頃の俺には想像もできなかった。

意味もわからずクロアにインストールさせられたそれが、姉・織籠 砂百合(おりかご さゆり)との最後の会話になった。




2050年1月14日

サイレント・イヴから三週間。


東京の空は濁った灰色で、街にはまだ混乱の影が残っていた。

電気・水道・ガスは制限付きで復旧し、鉄道も一部は動き始めていたが、ORIITOに依存したシステムは、いまだ沈黙したままだった。


SNSは消え、ネットワークは闇に沈み、人々は「紙の新聞」や「ラジオ放送」に情報を頼るようになっていた。


俺のクロアは沈黙したまま。通知も予定も届かない日々。

そして──姉はあの日から戻ってこなかった。


「出張でしばらく家を空ける」

そうメモを残したまま。



冬休みが終わり大学が再開するはずの日。

俺はいつものようにアパートを出てキャンパスへ向かった。


教室の掲示板には「休講」の文字が赤々と張り出され、学生たちはざわついていた。


「休講だってさ」

「はあ?まじかよ」

「おいおい、課題提出どうすんだよ?」


そんな声を横目に俺は黙って席についた。


日を追うごとに教室に来る学生の数は減り、やがてほとんど姿を見なくなった。

最後に残ったのは、結城柊子(ゆうきとうこ)だった。


「紫藤君、また来たんだ?」


明るい声。彼女は教科書を机に置き、少し笑った。


「俺、家にいても落ち着かなくて……」

「わかる~。でも、もう誰も来ないよ? 私たち二人だけじゃん。図書館でレポートでもやる?」


彼女は肩をすくめてみせる。

その笑顔の奥に、ほんの少しの不安が滲んでいることに気づいたが、俺は気の利いた言葉を掛けることが出来なかった。


彼女は沈んだ俺を見てぱっと立ち上がり

「せっかくだし、街の様子見に行かない?」


柊子に誘われた俺は、しぶしぶ後を着いていった。




──そこに広がっていたのはいつもの東京ではなかった。

街は人影がまばらで、信じられないほど静かだった。


公園では円柱型の清掃ロボが立ち尽くしたまま停止し、子どもたちの笑い声も消こえない。

空にはドローンが低く飛び交い、人々を監視しているかのようだった。


銀行の前では、電子通貨が使えず現金を求める人々が長い列を作っていた。

物流は滞り、コンビニや商店の棚は空っぽ。

食料物資を積んだ自衛隊車両がゆっくりと街を横切っていった。


「……ほんとに変わっちゃったよね……」


柊子が小さく呟いた。


俺たちは公園のベンチに腰を下ろした。

冷たい風に吹かれながら、沈黙していた記憶がふいに甦ってくる。

街頭ビジョンに映っていた映像と、あの日の耳に残る声が重なった──


《ただいま、午後6時をお知らせいた──キィィーン》


あの日、駅のアナウンスにかぶさるように響いた金属を削るようなノイズ。

そして──


(蛍の光)タンターンタタン・タン・ターンタタン♪

《お客様にご案内申し上げます。本日の営業は、只今をもちまして終了とさせていただきます。またのご来店を心よりお待ち申し上げております》


帰宅ラッシュの山手線が突然停車し、改札ゲートが一斉にロックされた。

数万人の群衆が駅構内に押し込められ、怒号と悲鳴が渦を巻く。


「なにやってんだよ!開けろ!」

「子どもがいるんだ、通してくれ!」


係員が必死に頭を下げるが、操作パネルは赤く点滅したまま反応しない。


同じ頃、管制室では技術者たちが立ち上がり、端末を叩き続けていた。


「制御が全部落ちてる……!ORIITO回線が死んでる!」

「バックアップに切り替えろ! 旧型の有線回線へ!」

「だめです、応答が返ってきません!」


冷えた空気が管制室を支配した。

次の瞬間には空港の管制塔からも悲鳴に似た声が飛び込んでくる。


「滑走中の自動運転機が制御不能です!」

「手動操縦に移行しろ!パイロットを呼び戻せ!」


旧来の仕組みに戻そうとするほどに、事態は取り返しのつかない深みに沈んでいった。


──そして、混乱は交通にとどまらなかった。

都内の大病院ではオペ室に警報音が鳴り響く。


「心拍モニターが消えた!? 補助電源に切り替えて!」

「人工呼吸器が応答しません!ORIITO医療支援AIが落ちています!」


医師や看護師たちが駆け回り、停止したロボットアームを押しのけ、震える手でメスを握り直す。


一方、防衛省地下の作戦室でも緊迫した声が飛び交っていた。


「国境監視レーダーが全域で沈黙! 無人偵察機も応答なし!」

「迎撃システムがオフラインに落ちています!」

「手動系統へ切り替えろ! 兵器管制を人力で維持しろ!」


冷たい汗が軍服の背を伝う。

国家の目と耳が一瞬にして奪われ、誰もが見えない敵の影に怯えていた。


その後にはキャスターの緊迫した声が、ぶれる映像と共に流れていた。

誰かが手持ちのクロアで撮ったのか、揺れ続ける映像の中で、暗闇に沈む都市や混乱する人々の姿が映し出されていた。


「速報です。政府はORIITOネットワークが全世界で停止したと正式に発表しました。

原因はサイバーテロによるものと断定されています……」


途切れ途切れの音声。

映像のノイズ。


それらすべてが、世界が断ち切られたことを告げていた──


俺は拳を握り締め、無意識に口を開いた。

「……姉ちゃん」


「どうしたの?」

隣で柊子が覗き込む。


「……姉貴が、出張でしばらく家を空けるって言ったきり……戻ってこないんだ」

言葉にした瞬間、胸の奥がひどく痛んだ。


柊子は少し黙って俺を見つめ、それからにっと笑った。


「大丈夫だよ。私ね、霊感が強いんだ。……なんかわかるの。紫藤君のお姉さん、生きてる。きっと無事だよ?」

「……根拠あるのか?それ」

「うーん、ない! でも……そう感じるんだよね」


あっけらかんと笑う彼女に、俺は思わず苦笑いを浮かべた。

でもその軽さが少しだけ心を救ってくれた。



◇



それから大学は春休みに入り、俺の周りから人の気配はますます消えていった。

気がつけば桜の季節も過ぎ、灰色の東京がまた夏を迎えようとしていた。


そしてある日。

沈黙していたクロアが不意に振動した。


「……なんだ、これ……?」


画面に浮かんだのは見慣れない座標データ。

その横に並ぶ文字──SIDO。


「……まさか。姉ちゃん……」


胸の奥で確かに何かが叫んでいた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。