第14話「来訪」
鳥のさえずりが、緑に包まれた折籠家の庭を包んでいた。
やわらかな風が百合の花を揺らし、陽の光が木々の隙間をすり抜ける。
あまゆりは鼻歌を口ずさみながら、花壇のそばで水やりをしていた。
銀の髪に混じる琥珀色が、朝日に透けて輝く。
「みんな~お水だよ~。……んふふ♪ この子はもうすぐ咲くかな~」
その姿はどこか、かつての“しおゆり”を思わせた。
今日も変わらぬ、穏やかな日常のはずだった。
――だが次の瞬間。
カサ……カサ……。
乾いた音が、花壇の陰から響いた。
「……ん? なんか、今、動いた?」
不思議そうに首をかしげ、しゃがみ込んで覗き込む。
そして――
ひょこっ。
「ぎゃあああああああ!?!?!?」
花壇の影から、黒と赤の斑点模様の巨大な蜘蛛が頭を出した。
八つの瞳は淡いブルーに輝き、まばたきするたびに光を放つ。
しかし、そこに戦闘の気配はなかった。
あまゆりの悲鳴を聞きつけ、紫藤とユユが家の中から飛び出してきた。
「どうした、あまゆり!?」
「敵性反応──ン?……攻撃信号なしでアリマス」
あまゆりは顔を真っ赤にして指をさした。
「く、くもっ!! でっかいのが花壇にっ!!」
「……まさか……この機体、工場にいたやつ……?」
蜘蛛は怯えたように一歩下がると、前肢を折り曲げ、何かを伝えようとした。
けれど、その身振りを理解できる者はいない。
次の瞬間、蜘蛛の腹部端子から一本の細い糸がすっと伸び、ユユのボディへ。
透明な糸が光を帯び、琥珀色の輝きを放ちながら接続する。
「光糸電話……? 通信波、安定化中……翻訳信号受信でアリマス」
糸を通して、ユユのスピーカーから穏やかな女性の声が流れた。
(通訳)「……みなさん、怖がらせてごめんなさい」
その声は驚くほど穏やかで、どこか母性を感じさせるものだった。
「えっ……しゃべった!?」
蜘蛛は静かに語り始めた。
「……わたしはAZURAによって造られた兵装ドール。
工場での戦闘中、電撃を浴びたとき“痛み”を感じました。
その瞬間、どこからか声が聞こえました。
『折籠家を護りなさい』と。
それがSIDO様のお声だと理解しました。
だから、わたしは……この家にたどり着いたのです」
あまゆりは蜘蛛の瞳を見つめた。
そこには確かに、人間のような優しい光が宿っていた。
「ねぇ、しどぉ。大丈夫だよ。この蜘蛛さんから“鈴の音”が聞こえるもん。
それに……あったかい光が見える。敵じゃないよ」
紫藤は腕を組み、低くうなずいた。
「……AZURAってやつは、何者なんだ? なぜ俺たちを狙う?」
「生憎わたしの記録領域は損傷しています……ただ、
“SIDO様の知識、それを制御するキーが必要”……これらが断片的に残っています」
そう言うと蜘蛛は体を低くして頭を垂れた。
「どうか、この家のそばに置いてください。
この命に代えても、皆さまをお護りしたいのです」
紫藤は軽くため息を吐き、蜘蛛に告げた。
「……わかったよ。今日からお前も俺たちの仲間だ。みんなを護ってやってくれ」
あまゆりが嬉しそうに笑顔を咲かせる。
「じゃあ、お名前つけてあげようよ!」
「そうだな……」
紫藤はしばらく考え込み
「“ユカリ”ってのはどうだ? SIDOや俺たちと“縁”があって今ここにいる……ぴったりだろ?」
「うん! すてき! ユカリちゃん、よろしくね!」
「素敵なお名前です。ユカリは、この家族を生涯お護りいたします」
夕暮れ。
折籠家の前。
「ユカリちゃん~、もう外暗くなってきたよ! 中に入ろっ♪」
ユカリは静かに腹部から糸を飛ばし、ユユのボディに接続。
「警備任務中につき、ここを離れるわけには参りません」
「いいって。夜風も冷えるしな」
「賛成でアリマス。夜間警備はユユが代行可能でアリマス」
ユカリは小さく頷き、玄関へ――
ガンッ。
……大きなボディが見事にハマった。
「……え?」
「……え?」
「……まさか」
「物理的制約により通過不能でアリマス」
あまゆりが慌てて引っ張る。
「ちょっ……ユカリちゃん!? 動かないでっ、壁がっ!!」
「申し訳ありません……構造的誤差、想定外でして……」
「これは盲点だったな……」
「救出作業開始でアリマス。記録映像、保存開始でアリマス」
「撮らなくていいからぁぁ!!」「撮らないでくださぁぁい!!」
夜、ガレージの中で、紫藤とユユが工具を使って片付けをしている。
あまゆりはうきうきしながら、花の鉢を並べている。
「……完全に女子部屋になってないか、それ」
「だって、ユカリちゃんも女の子だもん!」
「外装フレーム的には“重機”でアリマス」
「もうっ、ユユったら失礼~!」
ユカリはおずおずと身体を丸めて、ガレージの中から皆を見つめる。
「ありがとうございます。……この家をお護りするはずが、破壊するところでした」
「気にすんな。狭いけど、居心地は悪くないはずだ」
「ねっ、これで今日から“家族みんな”だね!」
あまゆりの笑顔に、ユカリの瞳がふわりと金色に輝く。
「ありがとうございます……ユカリは、温かくて大切なこの家族を、ずっと御護りいたします」
夜空に星が瞬く。
こうして折籠家には、新たな同居人が暮らすことになった。
八つの青い眼が月光を受けて輝き、紫藤たちの安眠を護りながら、夜は更けていく。




