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少女的妄想趣味者の微妙なレッスン  作者: 森戸玲有
番外
43/43

番外 ⑦

 国宝ブルーティアラの指輪は、レイヴィンが将来の伴侶に贈る為の大切な物だった。

 それが、レイヴィンの悪魔的な仕業で、つい最近まで、リアラの左手の薬指にあったのだ。


「まったく、皆まで話さないと伝わらないのだからな。……そうだ。一昨日の晩、レストランで食事した時、君の指にこれがないことに気づいて、私は君に訊ねただろう?」 

「……そうでしたっけ」

「そう言うだろうことも、もちろん、分かっていたけどな」


 レイヴィンは予想していたのだろう。苦笑しつつ、手のひらの中で指輪を転がした。


「君はその時、私に言ったはずだ。今日は自宅の私室に忘れてしまったけれど、ようやく外れたから、今度会った時に持参する……とな」

「ああ、そうだったんですか。おぼろげにそんなことを言ったような気もしますが」


 リアラは、濡れている自分の手をエプロンで拭って、真正面に、レイヴィンと向き合い、頭を下げた。


「まあ、だったら、話は早いですね。その指輪外すのに、本当に苦労したんです。王子自ら取りに来てくれて良かった。どうか、その大層な物を持ち帰って下さい」

「馬鹿な。誰が持ち帰るか」


 言下に、否定された。


(何で?)


 そのつもりで、レイヴィンはリアラの自宅まで来たのではないのか?

 こんな貴重品を部屋に置いている分際で、鍵が開けっ放しだったことを責めていたのだろう。

 ……だったら?


「じゃあ、王子は、一体何がしたかったんですか?」

「決まっているだろう」


 言うや否や、リアラの手を掴んだレイヴィンは、再び強引に左手の薬指に、ブルーティアラをねじこんできた。


「ちょっ、ちょっと! 何しているんですか! これこそ、嫌がらせの大一番ですよ。やめください! これ以上は、被害者の会が結成されますからね」

「うるさい女だな。どうせ被害者なんて、君一人しかいないんだ。存分に会でも、何でもやればいい。ともかく、こんなもの公衆の面前で返された日には、私がフラれたのだと、翌日の記事の一面になってしまうではないか。既成事実もまだなのに、こんな状態で、貶められてたまるか。王宮にだって、監視の目はあるんだからな」

「フラれたとか、そういう問題ではなくてですね……」


 何も始まってもいないではないか……。

 そう否定したいところを、否定できない自分が怖かった。

 ともかく、再び分不相応な大きな指輪との生活など、冗談じゃないと、リアラは全身で拒絶感を訴えてみたのだが、何処で火がついたのか、レイヴィンは手に集中していたリアラの頤を掴むと、強引に唇を重ねてきた。


「なっ……!」


 病み上がりのくせに、何たる馬鹿力だろう。


 ―――ようやく分かった。

 彼は元気にしてはならない人物だったのだ。


 一回、街中でこういう目に遭ってから、リアラはレイヴィンに近寄ることに対して、殊の外警戒するようになっていたが、今回ばかりは完全に油断していた。


(……しまった)


 だけど、もう今更だった。

 呼吸が持たなくて、力が抜けて行く。

 濃厚な接触によって、彼の熱が下がっていることは、身を持って分かったわけだが、唇の熱が度数の高い酒を一気飲みしているかのごとく、リアラを酩酊状態に誘おうとしていた。


(……死ぬ)


 降参とばかりに、ばんばんとレイヴィンの背中を叩いていたら、やっと空気が吸えるようになった。


「何だ。もう、酸欠か?」


 あっさり晴れやかな声は、朦朧とするリアラの耳元から聞こえてきた。


「ごほっ」


 リアラは、咳一つして、ようやく我に戻った。

 あまりの息苦しさに、目尻は涙で濡れていて、緩く一つに結っていた髪も、いつの間に解けていた。腰を抜かしたせいで、床に尻餅をついてしまったので、臀部にも少し痛みがあった。

 とんだ大損害だ。一体、何てことをしてくれたのか……。


(酸素が吸えずに、命を落とした例はないのかしら?)


 ずしっと重い感覚に、左手を見遣れば、リアラの薬指で、ブルーティアラが無駄に明るく輝いていた。

 こうなってしまったからには、またゆっくりと時間をかけて外していくしかないわけだが……。

 それにしたって、あれだけ執拗に口づけをしながら、指輪を嵌め込むなんて、何て器用な人なのだろう?

 ある意味、尊敬に値するが、しかし、恨み言だけは言わせて欲しかった。


「……私は、肺活量で勝負はできないのです」

「どうして、勝負になるんだ?」


 レイヴィンは涼しい顔で、リアラを見下ろしていた。

 ここは、おもいっきり遠くに逃げてしまいたいところだが、力の入らない膝が奮い立ってくれるかが問題だった。今の段階では、どうしたって無理だと分かっている。


「言ったはずですよ。王子。昨夜、口移しは、風邪が伝染するって……」

「しかし、君は健康優良児なんだろう?」

「伝染する時はしますから」

「まあ、伝染したなら、それはそれで良いではないか。私が責任を取って「看病」しよう。恥ずかしい方の「お医者さんネタ」も調べておかなければな。幸い、私は今、すこぶる元気になった。病名は風邪で間違いないはずだ」


 …………ああ。

 これは、変態だ。

 立派に育った、変態ふしだら王子がいる。


「リアラ」


 もう嫌だ。

 真面目に呼ばれたから、無視しようと思っていたのに、彼はいつまでも、馬鹿正直にリアラに熱視線を送ってくるのだ。


「はあ……」


 そして、根負けしてしまう。

 選択を迫られたら、リアラは拒絶する方向しか選ぶことが出来ないのに……。


「この指輪は、私が君に贈ったんだ。君が忘れたと言っても、私は忘れないからな」

「勝手に国宝を人に贈ったりするのは、良くないと思いますが」 

「何が良くないんだ。これは私の物なのだから、どうするのも私の勝手だろう。

 何度でも言うぞ。私はこれを君に贈ったんだ。この意味が君には、分からないのか? ここまでされて、君はまだ素知らぬふりを通すのか?」


 うっと、息が詰まりそうになった。

 しかし、リアラにとって、今までまったく興味のなかった現実世界が、唐突に人生の山場を迎えているのだ。

 結論なんて、出るはずないではないか……。

 延々と百年は悩むだろう。そして、そのうちに寿命を迎えるのは必至だ。


「……あーっ。王子は、ある種、私の良き理解者で、友人のような関係とでも申しますか」

「私は、友人に口づけるほど節操なしではない」

「そうですか」


 確かに、友人同士の挨拶よりは、酸欠を招く格闘技に近い。


「それとも、君の友人関係では、当たり前なのか?」

「さあ。どうなんでしょう。この世界に私の友人はいないようでして」

「恋人もいないじゃないか」

「妄想世界には、大量にいるのですが……」

「現実に、友人も恋人もいないのなら、どの道、君は対人関係が未経験なのだろう。私との仲が友人でなく、恋人であっても、差し支えないではないか?」

「……まあ。それはそうかもしれませんが……」

「では、恋人から始めるということで良いだろう?」

「まあ、それなら……」


 勢いのままに、首肯しようとしてから、リアラはハッとした。


「…………駄目じゃないですか」

「何だ。ちゃんと聞いていたのか」


 レイヴィンが鼻を鳴らす。

 …………危ないところだった。

 考えもなしに、恋人宣言してしまうところだった。


「王子、一時的な感情でそういうことを言うのは、正直、どうかと……ですね」

「一時的な感情? そんなはずないだろう。私はいつだって本気だ。本気じゃないのは、リアラ。君の方だろう?」

「はい。そのとおりです」


 ぐうの音も出ない切り返しだった。

 リアラは、気まずさに、視線を逸らして、床の木地の継ぎ目ばかりに注目した。


「……私は、考えたくないんですよ。王子」

「どうして?」

「………………」 


 返事なんて、できなかった。

 何処までも真っ直ぐで、ひたむきで、綺麗なレイヴィンは、高い壁があっても、越えられると純粋に信じているのだ。

 その心を、リアラは愛しく思うけれど……。

 でも、どんなに尽くしたって、叶わないものがこの世界にはある。

 リアラはそれを知っている。

 ――けど、レイヴィンにだけは、それを知ってもらいたくはなかった。


「分かった」


 ……だから。

 間を置いて彼が言葉を落とした時は、ようやく呆れてくれたのだと、肩の力を抜いた。

 昨夜、懲りていた心が、何らかの化学反応で勝手に燃え上ってしまったらしいが、これでようやくレイヴィンも、リアラの煮え切らなさに、諦めてくれたのだろう……と。

 ……しかし。

 すべて、勘違いだった。


「君は昨夜、王子だって人間だから、素でいれば良いのだと、私に教えてくれたな」

「……そうでした……ね?」


 脈絡もない会話ではあったが、リアラは記憶にあったので、うなずいた。

 レイヴィンは、リアラの前にしゃがみ、得意げに口角を上げている。

 これは、何か企んでいる時の顔だ。

 リアラは、ここにきて、それを学習した。


「おかげで、私は吹っ切れたのだ。今までの私は、王子の面子とばかりに、周囲の目を気にして、飾り立てることや、雰囲気ばかりに、拘っていた」

「…………はあ。それは良かったです。何やらよく分かりませんが、私でお役に立てたのなら、光栄です」

「ああ、全部、君のおかげだ。リアラ。……実はな。一昨日の夜、食事の予約と一緒に、君との初めての夜だからと、私は、おもいきって、あの高級ホテルの一番良い部屋を予約していたのだ。だが、王子の面子と雰囲気作りに努めたせいで、君にそのことを告げることも出来ずにとっとと帰られてしまった」

「…………なんと。それは、大変でしたね。でも、なにも今更、それを告げなくても良いですよね?」


 何だか、そら恐ろしいことを、しれっと伝えてきたが、まさか、一晩中、ホテルの一室で、リアラと枕投げをしたかったわけではないだろう。

 知りたくなかった。

 知ってしまったら、リアラは、どうして良いか益々分からなくなってしまうではないか。


「ほら、素のままで良いと言ってくれたのは、君じゃないか。つまり、雰囲気も、面子も場所だって、どうでも良いということだ。私はとっても元気になった。そして、丸一日の休みと、目の前に君がいる。いつまでも、うじうじと煮え切らずに、人の気持ちをかき乱す悪女が無防備にエプロンなんかつけて、私の前にいるのだぞ。この際、既成事実を作って、後戻りできなくするには、うってつけの機会ではないか」


 昨夜と違い、レイヴィンは清々しいほどの笑顔を浮かべているが、口にしていることは、そんなに変わらない。

 要するに、むしゃくしゃしているから、とりあえず、襲うと宣言しているようなものだ。

 ……それに。


(エプロンって何?)


 ものすごく気になるが、今この状況で聞き返すことなんて出来るはずがなかった。


「王子。やっぱり、お医者さまに……」

「君と口づけたら完全に治った。むしろ、もっと君と激しい運動をした方が、より健康体になれるような気がするのだ」

「まるで、本のネタのような言葉ですね」


 はははっと、薄ら笑いを浮かべてみせたが、レイヴィンは乗ってもくれなかった。


(これは、本格的におしまいだわ)


 リアラは蒼白になって、後ずさりしながら、鍋の方を指差した。


「……と、とりあえず、食事を作ったんで、それを食べてから考えませんか。スープがあります。王子の好きな、かぼちゃの……」

「ああ、そういえば、食事で思いだしたんだが、リアラ」

「はっ。はいはい」


 やっと話題を変えることに成功したのだと思ったが、今日のレイヴィンは、どこまでも上をいっていた。


「君は、食わず嫌いなんじゃないのか?」

「……はっ?」

「鑑賞するのが良いと君は言うが、自分がしたこともないのに、鑑賞派と決めつけるのは、間違っている。そうだろう?」

「えーっと……」 


 一見、正しくも感じる主張ではあるが、彼の思惑は多分正しくない。

 それを、リアラはレイヴィンに左手を掴まれてから速やかに悟った。


「王……子」

「とりあえず、じかに触ってみたらどうだ。ほら?」

「うはっ!」


 レイヴィンは、リアラの手をおもむろに自分のはだけたシャツの中に持って行った。

 ……問題の鎖骨だ。


「何てことをさせるんです?」

「私は変な目で見られているより、触られた方がまだマシだ。だから、昨夜は、王子の面子から意識してしまっただけで、体を拭かれることに抵抗したわけではないのだ。がっかりしないでくれ。リアラ」

「はあ。奔放な告白を突然されましてもね……。私には私の流儀というものがありまして」

「まんざらでもないような顔をしているがな。君は変態なんだろ?」

「……そうですけど。いや、何と申します……かね」


 まあ、立派な鎖骨。滑らかな肌が吸い着くよう……なんて、感慨深げに味わってみたいものだが、実際、そんな余裕があるはずない。

 顔が近いのだ。

 いっそ、このまま後ろに倒れてみたら、距離は稼げるだろう。彼の鎖骨ともおさらばできるかもしれない。でも、それを実行したら、レイヴィンに押し倒された格好になってしまう。心の準備が必要だった。


「……もっとも、私は触られるのは好きじゃないのだ。触る方が遥かに良い」

「大暴露大会の会場ですか? ここは」

「違う。君と私の初めての会場だ」


 どんな初めてだろう?

 残念ながら、まったく、楽しみではない。 


「もう、分かりましたって。王子も変態だってことは。貴方をそんなにしてしまったのは、紛れもなく私です。……私がすべて悪かったんです。ごめんなさい。後生ですから、助けて下さい」

「何だ。今更気づいたのか」


 あっけらかんと認められてしまって、リアラは泣きそうになった。


「ああ、そうだ。何もかも君のせいだ。だから、寝台の中で、その台詞を刺激的に言ってくれないか」

「そんな激しい系のネタは、心底、本の中で十分なんですよ。真昼間から何なんですか。ひとまず、離して」

「……でも、君の手は冷たいじゃないか」

「えっ?」


 何とか離れようと足掻いているリアラの手に、自らの手を重ねて、レイヴィンは、やけに早い心臓の音を確かめさた。


「王子?」


 皮膚から直に感じる、脈打つ熱い鼓動は、リアラに、石化の魔法をかけた。

 ――まるで、逃げられないような威力で。


「……こうして私といれば、すぐに温かくなるだろう。やっぱり、昨夜も冷えていたんじゃないのか?」

「それは……?」


 ―――そうだ。

 口には出せないくせに、リアラは心の奥では、認めている。


(とても、寒いのよ。ここは……)


 いくら本の壁で、暖を取っても、ここに独りでいることは、とてつもなく寒い。

 ――もしも、彼が隣にいてくれたら……。

 リアラも、温かくなることが出来るのだろうか?

 人肌が温かいと、知っていた、あの頃の自分を思い出すことが出来るのだろうか?

 そんな益体もない希望を抱きそうで、嫌になる。

 どうして、レイヴィンは、リアラの深いところに、いとも簡単に触れてしまうのだろう?

 ―――彼こそ、叶わない夢なのに。


「………………私は」


 ―――貴方のことが。


 まとまらない考えを、現実の言葉にすることが、リアラにとって、最大の難関だった。


「……リアラ」


 だからだろう。呼ばれてから、気づいた。

 備えを怠っていたことに……。

 レイヴィンの静かな湖面のような瞳が愛おしそうに細められる。

 あれだけ答えを欲していたくせに、気が短い、彼の美麗な顔は、再びリアラの唇を奪おうと、あり得ない速度で迫っていた。


【 了 】

ここまでお付き合い頂き、有難うございました!


短編ですが⑦までいってしまいました。

もはや、短編ではない有様ですが、自分でもびっくりしております。

いつもは、すべて書き上げているものを、こちらに上げているのですが、この短編に限っては、おおまかなプロットを頭で作って、あとはキャラにまかせるような感じにしました。

ライブ感覚を売りにしようかという意気込みは良かったのですが、冗長な感じは否めないです。

追々、全体を見て直していくつもりですが、ご容赦頂けたらありがたいです。


今回の話は、次の大きなストーリーに向けた布石をばらまいた感じです。

もちろん、これで終わらせても良いのですが、続きがあるとするのなら、ネタだけではなく、キャラの心理面も重要になってくるだろうと思って、いろんなご指摘も頂き、今だからこそ……と思い、書きました。


そんな内向きなテーマなので、ただでさえ、ひきこもりのヒロインで動きがないうえに、場所が自宅一点という、恐ろしく変化のない流れとなりました。

読んで下さっている方が独白続きに退屈しないように……と、少なくとも⑥くらいで終わらせなければと思っていたのですが。


レイヴィンが暴走して、無理になりました。

この話の無駄な長さは、ほぼかた彼の暴走によります。

彼は何度も話を暗礁に導いてくれました。

⑦ですら、この終わり方で私が強引に切ったという感じです。

実際は、あの後も延々と、二人のやりとりは続いているのです。

書きながら、一体いつ終わるんだろうって、自分の方が困惑してしまいました。

弱っていた分、元気になったレイヴィンが爆発したんでしょうね。

…………いや、私の手綱が緩いせいですけど。

反省しています。


最初、この話は投稿に間に合わせるためだけの一発ネタでした。

それが、このような形で表に出て、どなたかの目に留まり、読んで頂けて、心底良かったと思います。


具体的に、私が考えもしなかった彼らの気持ちを、色々と考察し、示して下さったのは、この話を気に入って下さった皆様でした。


特に、ヒロインのリアラ。

話の中では、友達すらいないのに、いろんな方に好かれているなんて、幸せ者です。

彼女は、陥落間近なようでいて、強情で頑固で、すぐに話を忘れたがるので、一筋縄ではいかないでしょうけど、そのあたりはレイヴィンも負けてはいないので、結局似合いの二人なんだなって思っていたりします。


今後も、数々の強制イベントを通じて、結果的には話の中でも幸せになってくれると思います。

いずれ、先生☓生徒ネタとか、アスミエル島強制新婚旅行とか……。サブキャラも出して、波乱含みな続編を書けたら良いですね。

一応、大まかなプロットと脳内にイメージはあるのですが……。


ここで、一旦完結は致しますが、いつか書けたら良いな……と思います。

本当に、ありがとうございました!

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