番外 ②
数年前、両親を亡くしたリアラは、都の裏通りの小さな一軒家で一人暮らしをしていた。
部屋数二つの、ほぼ本で占領されている狭い空間で、一人で本を読み、一人で妄想に励み、日々、にやけた顔で過ごしていた。
今まで、読書以外のことに注意を払う気もなかったし、興味もなかったのだ。
――それなのに。
最近、怪奇現象が起きている。
王子と薄幸ヒロインが恋に落ちる話は王道で、リアラの好物であるが、どうも、最近、自分がその立場になりかけているようなのだ。
いよいよ、現実と虚構の区別がつかなくなって、頭がおかしくなってしまったのかと、何度も何度も、考えこんでみたものの、やはり、リアラの勘違いではないようで、第二王子レイヴィンは、本の中でしか読んだことがない台詞をリアラにぶつけてきたり、行動で示そうとしたりする。
以前、リアラは彼の策にはまって、本当は恋愛本になどまったく興味のないレイヴィンに、自分の知っている恋愛本のネタを、教える羽目になってしまったのだが、彼はまだその延長戦をこなしたいようだった。
(まあ、あれは、ネタのお芝居だったから、フリもできたんだけどね……)
――風呂場でバッタリ。
――添い寝でうっとり。
――床ドンでどっきり。
どれを取っても、リアラにとって、垂涎ものの流れだが、それもこれも、あくまで非現実だから、ときめくことができるのだ。
自分でやるなんて万に一つも想定していない。
だけど、レイヴィンは律儀に、それを実践することこそ、リアラを喜ばせることだと勘違いしている節がある。
リアラは、レイヴィンの優しいところや、変態の話に耳を傾けくれる柔軟な精神を好んでいるからこそ、友人としてなら、これから先も上手く関係を維持できるのではないかと、期待しているだけなのだ。
レイヴィンと恋愛関係になろうだなんて……、そんな恐れ多い危険思想、考えたらおしまいだと思っていた。
しかし、彼はリアラの思いとは裏腹に、一時的な勘違いで突っ走っている。
つい先日なんて、本気で風呂場でバッタリを仕掛けて来られそうになったものだ。
(恐ろしいわ……)
とても、生きた心地がしない。
大体、リアラの貧相な体など眺めて、彼は何がしたいのだろうか?
胸もそれほどないし、形も可愛いとは思えないから、鑑賞してもつまらないだろう。
彼がその気になれば、素晴らしい体型の女性たちがみな喜んで、風呂場でばったり鑑賞大会を開いてくれるはずだ。
むしろ、そちらの方がリアラにとっては興味深い。
紙の世界でも、現実でも、美しい人はそれだけで、鑑賞対象となるのだ。
……と、そんなことを言いきってしまう自分自身をリアラは、決して正常だとは思っていない。自覚はあるのだ。
変態なのだと……。
……それなのに。
こんな変態・新人類に、この国の偉い王子様が興味を持っているそうなのだ。
(そろそろ、世界が滅ぶんじゃないかしら?)
クオーツ王国の一国民として、こんな醜聞はない。机があったら、ひっくり返したい衝動にかられながら、レイヴィンが口にする世迷言を気持ち半分で聞いているのが、最近のリアラである。
だから、昨夜も……。
リアラは、妄想もしていたが、レイヴィンの話もちゃんと聞いていた。
大体、あんな煌びやかで華やかな場所で、うっとりと妄想になんて浸れるはずがない。
ドレスで食事だなんて、マナーも何も知らないリアラにとって、恐怖でしかなかった。緊張のあまり、何を食べたのか、まったく覚えていない。
もし、粗相でもして、払った金を返せとレイヴィンに言われたら、どうしようと、リアラの脳内はそればかりで、レイヴィン相手に上の空になった挙句、滅茶苦茶なことを口走ったような気もしないでもない。
彼の話は記憶しているのに、自分が話したことを覚えていないというのは、滑稽な話だが……。でも、許して欲しかった。
……リアラは、知らなかったのだ。
まさかホテルで食事だなんて、思ってもいなかった。
いきなり、レイヴィンが自宅に来て、外に連れ出された。訳も分からないまま、正装を着せられ、化粧を塗りたくられて、あのホテルに放り込まれたのだ。
ある意味、犯罪めいてはいるが、年季の入ったひきこもりであるリアラが、あそこまで頑張ったのは、一重にレイヴィンのことが嫌いではなかったからだ。
相手が王子であろうと、駄目だと思ったら、リアラは逃走していたはずだ。
……きっと。
レイヴィンは、貧しいリアラを気遣ってくれたのだ。
金に困ると、落ちたパンを拾って食べる習性があることを、彼だけは知っているのだから……。器の大きな王子様が、最下層のリアラに施しを下さったのだ。
現に彼からは、昨夜の食事代の支払請求はされていなかった。多分、これからも、されることはないだろう。
(…………そうよね。もう、そういうことでいいのよ)
さあ、この難題は永遠に後回しにしようと、リアラは夜の部の読書に励むつもり満々で、愛用の居間のソファーにどかっと座った。
今日買ったばかりの本を開く。
王道の看病ネタが見どころの三巻目だ。
冊数的にも、主人公が自分の気持ちを自覚するのに良い節目で、リアラの期待も高まっていた。何度、読み返しても良質な本は飽きが来ないものだ。
今日読むのは、これで六回目である。
鼻歌混じりに、頁を開いて、顔中の筋肉をおもいっきり弛緩させる。
山場の看病シーンだ。
熱を出した少年をまめまめしく看病する少女。咳き込んで薬をこぼしてしまう少年に対し、少女は意を消して口移しで薬を飲ませようとするのだ。
まあ、要するに、そのシーンくらいしか、リアラはちゃんと読んでいないのだが……。
(さあ、少年よ! そこで、少女にがつんといくのよっ!)
「さあ、いけっ!」
握りこぶしを作って、本の中の人物に声援を送る。
結末なんて、知っているくせに……。
こんな姿誰にも見せられやしないと、一方で冷静な自分が自覚をしていたら……。
(…………あれっ?)
そこで、初めてリアラは気がついた。
自分の前に、何かが立っているらしい。
その影が邪魔して、本が読みにくくなっていた。
いい加減、邪魔なんだけどな……って。
(………………おいおい?)
そういえば、リアラは一人暮らしのはずだった。
リアラの自宅に、わざわざ不法侵入を果たそうと企む人間は恐ろしく限られている。
……じゃあ、一体誰が?
実際、声を出す余裕もなかった。
宝石のように澄んだ青の瞳を、おもいっきり不機嫌に眇めて、レイヴィンは、リアラの前で仁王立ちになっていた。




