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少女的妄想趣味者の微妙なレッスン  作者: 森戸玲有
第1章 パンをかじって王子にぶつかる
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第1章 ②

 数日後、リアラは例によって国立公園近くの大型書店にいた。


 王都セレンは、クオーツ国内だけではなく、大陸でも一、二を争う絢爛豪華な都市だ。

 必要なものはすべてこの街で揃うと言われている。……が、実際、書店の数は多いものの、リアラ好みの本が何処にでも売っているかというと、そうでもない。やはり、品揃えの良い店と悪い店があり、圧倒的に置いてない店の方が多い。


 自然、リアラは同じ店ばかりに通うようになる。


 他にも数軒、立ち寄るようにしている店はあるものの、この書店に勝る規模の所はリアラが知る限り王都には存在していなかった。

 レイヴィン王子との恐ろしい対面から数日、出来れば、この近くを歩きたくないというのがリアラの本音ではあったが……。


(仕方ないわよね……)


 あのパンは、美味しく頂いた。

 毒入りかもしれないという懸念はあったが、毒で死ぬか、空腹で死ぬかの二択で責められたとき、リアラは毒で死ぬ方を取った。

 あんな高級パン、食べる機会なんてないのだ。

 あれを食べて死ぬのなら、本望だった。それに、食べることは、証拠隠滅にもつながる。

 結果的に死ななかったのだから、あの時のことは全部忘れたらいい。

 せっかく書店に来ているのだから……。


(余計なことで脳を刺激しないで、楽しまなくちゃね……)


 リアラの身長よりはるかに高い本棚には、挿絵はないものの、女の子が喜ぶような可愛らしい装丁で、恥ずかしい表題の書籍がびっしりと並べられている。


 相変わらず、金に困窮しているリアラだったが、棚を眺めるだけなら無料だ。

金が懐に入ったら、買わなければならない本を選別しておこうと、目を皿のようにしていたら……、ふと有り得ないものを目にして身を引いた。


「…………えっと?」


 棚と棚の間に、危険人物の顔が浮かんでいた。夢だと思って、目をこする。それでも消えないから、瞬きを繰り返してみた。――やっぱり、まだいる。


(これは、現実?)


 紙の世界の出来事より、非現実的なことが今起こっている。見なかったことにして、そのまま立ち去ろうと背中を向けたら、首根っこを摑まえられた。


「まあ、待て」


 やっぱりだ。聞き覚えのある声に、びくりと背筋が震えた。

 フロックコートに、すらっと長身の男性。今日は帽子(シルクハット)をかぶってはいたが、清冽な青い瞳は、鋭利な刃物のように冴え冴えとしている。


「お……うじ」


 掠れた声で呼ぶと、彼は満足したように、うなずいた。……そして。


「少々乱れた肩までの銀髪、瞳の色は灰青色。しかし、常に充血している。服装は……地味な濃紺のドレス……と。間違いないな。君は先日のパン娘だろう?」

「うっ」


(うわっ、…………こりゃ、すごいわ) 


 言い逃れできないくらい完膚なきまでに、リアラの特徴を言い当てられた。特に“常に充血している目”は重要だ。


「失礼」


 ようやく、レイヴィンはリアラを抑えつけていた手を放してくれたが、さすがにもう逃げることは叶わないのだと、腹を括るしかなかった。 


「あの後、君のことを少々調べたんだ」

「……そんなに、貴方様は、あのパンにご執心だったのですか?」

「いや、あのパンは従者が気を利かせて持って来たものだ。私はどうも食べることに興味がなくて、つい、食事を抜いてしまう」

「それは体に良くないですね」

「だから君の言っていた三欲というのが、私にはあまりピンと来ないのが正直なところだ」

「…………あれは、その」


 勢いまかせの出まかせだ。多分、誰もぴんとは来ないだろう。だが、レイヴィンは先日のリアラの熱弁と同じくらい隙を与えなかった。


「……そこでだ。私は君ともう一度会って話してみたいと思った。大層な読書家だと思ったので、公園から程近いこの書店で君のことを話したのだ。数日前にパンを片手に少女が来なかったか……と。即答だったよ。君はこの店の常連で「お得意様」らしいな」

「…………それは、まあ」


 世間一般では、低俗と評価されている代物ばかり購入しているが、常連には違いない。


「ほう。君は、こういうのを読むのだな?」


 王子が何気なく触れた本は「泣きぬれて 兄様」という表題の兄妹の禁断愛ものだ。


(よりにもよって、禁断物持ってきちゃったよ!)


「おおおっと! 危ない!」


 リアラは血相を変え、王子の前に回り、本棚を背中で隠した。

 あんな本を、純粋な文学のことしか知らないだろう王子様なんかに読ませてしまったら、リアラが好んでいる本がすべて焚書処分されてしまうかもしれない。 この国の文化芸能の寛容さは、彼らの無知さが握っているのだ。


「……危ないのか 今の本が?」


 王子は一人、首を傾げている。


(誰でもいいから、このお綺麗な王子をとっとと連れて行ってくれないかな?)


 苛々して、周囲を見渡すが、従者どころか店員もいない。渋々、口を開くしかなかった。


「……いえ、ここは書店の中でも狭い所なので、本が落ちてきたりして危険なのです」

「ほう。それはいけないな。店主に一言……」

「駄目です。それがいいのですから。好事家はですね。この狭さに惹かれるのです」

「そういうものなのか……」

「そういうものなのですよ」


 威勢よく言い切ってから、リアラは目を閉じた。この場に留まることは極めて危険だ。

 妄想とその傾向が著しく危険なために、一般男子に倦厭されるのは、とうに慣れている。

 だが、王子に嫌われることは、この国すべてを敵に回すことになりかねない。


「あの……、ここでは何ですし、私に用があるなら、外に出て話しませんか?」

「ああ、それは良い考えだ。君に話したいことがあるから、私は、ここに来たのだ」

「……話? 私に……ですか?」


 拾い食いしたパンのこと以外に、彼と話すことなど、リアラにはない。

 普通は頬を赤らめ、国民として高揚感を感じるだろう王子との対話も、現実の世界に興味がないリアラにとっては、面倒なだけだった。


 しかし、王子はあっさり肯定すると、リアラを伴って颯爽と外に出た。更に、事もあろうか、書店からほど近い外観からして高級そうなカフェに誘ったのだ。

 この手のカフェは、会員制で上流貴族の交流の場でもあり、庶民が気軽に立ち入ることのできない場所でもある。公園に行って、立ち話程度で用件を済ませるつもりでいたリアラは、ただ呆気に取られるばかりだった。


「王子、私はお金がありません」

「それは分かっているから、大丈夫だ」


 少し毛羽立ち始めたドレスを一瞥されて、リアラは泣きたくなった。

 ここ数年、新しい服を買った記憶がない。彼はとっくに、ひもじさから、リアラがパンを拾ったことを知っているのだろう。――やはり、現実はろくでもない世界だ。


(…………早く、帰って本を読みたい)


 切実な願望を裏切るように、燕尾服の給仕は、彼の顔を確認しただけで、すぐさま奥の個室に二人を通した。


「どうした。私の奢りだ。何か頼んだらいい」

「……王子は、本当にパンのことを根に持っているわけじゃないですよね?」

「君はまだそれを言うのか。根に持っていたら、行きつけの店に誘ったりはしないぞ。それに、あのパンは私が落としたものだ。金銭ならともかく、落ちている食べ物を君が拾い、どうかしたところで私に責める気などあるはずがない」


 そうかもしれない……。そうだろうとは予想していた。


(よほど私はあの時、混乱していたのね。本当に馬鹿だったわ)


 ――まあ、でも、それも、今更の話だ。どうしようもない。


「……で、話とは何ですか?」


 単刀直入に切り出したのは、それくらいしか彼との間に話題がないからだ。

 レイヴィンは、給仕が運んできた高価なカップに入った黒い液体を口に含み、たっぷり間を置いてから、静かに話を切り出した。


「実は、このところ、執筆が思う通りに運ばないのだ。似たような話ばかり書いてきたせいで、私は書くことに飽きてしまったのかもしれないと……思っていたところだった」

「……はあ」


 ――悩み相談だったらしい。


(だったら、私なんかより良い相談相手など山ほどいるだろうに……)


 他人事のように、給仕が運んできた水を啜っていると、レイヴィンはリアラを指差した。


「……そこでだ」

「はいっ」


 思わず、水を吹き出しそうになった。リアラの動揺をよそに、レイヴィンは熱く続ける。


「君の言う「前衛的な刺激」という言葉に、私はピンと来たのだ」


 ――この人は病んでいるのだ。


 リアラは直感した。


「…………気のせいです」

「しかし、そう、進言してきたのは、君じゃないか?」

「あれは、私ならこうするって話しただけで、王子には王子の作風ってものがありますから、今まで通り、素敵な悲恋を執筆してください」

「それは、変だな。君は多種多様な恋愛話を書けと、確かに言ったはずだ。あれは偽りだったのか? 拾い食いを指摘されるのを恐れて、この私を謀ろうとしたのだと?」


 謀る……とまではいかないが、大方、そんなところです。……なんて、正直に言うことができたら、リアラは、最初からあんな暴挙を犯していなかったかもしれない。


「それは……、その」


 言い訳が思いつかずに、リアラは黙り込んだ。

 こんなにまで、レイヴィンが小説家としての誇りを持っていたとは想定外だった。

 リアラが巷の噂話で仕入れた情報では、彼は天才肌の人間で、小説は書いても、その評価に頓着しないのだという。

 淡々と自分の作風を貫いているという印象が強かった。

 そんな王子がよりにもよって、前衛的な刺激に目覚めてしまうなんて、絶対に何かおかしいだろう。


「私に足りない何かを、君は知っているようだった。前衛的な刺激がパンをかじって男女がぶつかることだとしたら、あと他に、私に不足しているものとは何なんだ?」

「さあ……何でしょう?」

「書店の店主も君は熱心な読書家だと話してくれた。私の書く本に何が足りないか、話してみてもらいたいのだ。……正直に、偽りなく、君の意見で」

「私の意見……?」


 そんなもの何もない。だが、瞬きもせずに、リアラの回答を待っているレイヴィンの目つきが怖かった。謙虚なのか、短気なのか分かりはしない。


(足りない……か)


 馬鹿げている。レイヴィンの本が、ただ単純に、リアラの好みでなかっただけだ。

 元々、リアラは悲恋が好きではない。レイヴィンの作風は、身分差のある二人が結ばれず、諦める展開が多かった。切ない結末のものは読んでいて辛くなる。

やはり、身分差、環境差、職業差を乗り越えて結ばれなければ、読者としては楽しくないのだ。――いや、それ以前に。


「……衝撃というのは、偶発的な環境で生まれるものかと」


 気が付いたら、うっかり本音を口走っていた。


「環境?」

「王子の話は、文章も綺麗で話もよくまとまっていて、上品なんですけど、勢いが……、物足りないのです。驚くような環境、状況が恋愛には必要なのだと思います。そして、過酷な状況を覆して、深まる絆が重要なのだと……」

「勢いと、環境。そうだな。私の話を読んでいて、眠くならない方が不思議だってくらい、延々と心理描写が続いて鬱陶しいな」

「そこまでは、言ってないんですけど……」


 もしかして、この人はとてつもなく後ろ向きな人なのだろうか。


「女性が夢を持てる場面がちりばめられているのが良いのだと思います。ときめくような」

「それで、女がパンをかじって、男とぶつかるのか?」

「あれは古典的手法なのです」

「ほう。古典があるということは、現代的手法もあるのか?」

「現代的だから良いというわけではありません。基本を押さえておくことが重要なのです」


 もっともらしいことを言っているが、リアラが好む本の傾向は、禁断愛だったり、身分差愛だったり、男同士だったりと、めちゃくちゃだ。偉そうな話の出来る人間でもない。


「では、基本とは何だ?」

「そうですね。基本……学校とか、職場とか、集団生活を行っている場所の方が同一の環境に身を置いているということで、絆は深まりやすいですよね。様々な行事を共にこなすことで、好意が深まります」

「ふむ」

「集団生活以外だったら、偶発的な事件によって、一つ屋根の下に暮らすと良いでしょう。これだと風邪で寝込んだ時の看病事件や、お風呂でバッタリ。雷などの天候的条件によって「怖いから一緒にいて欲しい」などの添い寝事件へと、段階も踏みやすいはずです」

「なるほど」

「えっ?」


 そこで、うなずいてしまうのか?

 リアラが目を丸くしていると、更に彼は愚直なまでに、まっすぐ挙手をした。


「一つ質問なのだが、お風呂でばったりというのは、どういう事件のことを指すのだ?」

「あっと、それはですね」


 リアラはうっとり妄想世界を思い浮かべつつ、懸命に真面目な顔を作り上げた。


「恋人同士になるまであと一歩な男女が風呂場でばったり出会ってしまうことですよ。男女が裸のつきあいを通して、一層お互いに意識してしまうという典型的な話の進め方です。とりあえず、普通の女性は「きゃあ」と、赤面しながら叫んで男性を殴ったりしますが、内心では、まんざらでもない状態がほとんどです。むしろ、どんどん覗いてあげた方が進展も早いかと……」

「実際には、なかなか発生しない事件だがな」

「しょっちゅう発生するようなことだったら、世の中の女性は、風呂場に行けなくなってしまうでしょう。これはあくまで物語の話です。男女が恋人になるか否かのギリギリの距離感でこそ成立するものです。普通にやったら犯罪者ですよ。下手したら、この国では死刑です」

「それは、そうだな。……で、他には?」

「うーん。そうですね。これらを経たら女性を壁に押し付けたり、寝台に押し付けたり、いたる所で倒そうとする押し倒しの法則が発動する頃だと思いますが……」

「押し倒しの法則……。まるで武術の技のようだな。今まで一度も聞いたことがなかった」


 そうだろう。今、リアラは人生で一番適当に喋っている。

 だが、レイヴィンは感心しきりといった風情で、顎を擦っている。


「それにしても、すごい。君は、書店の主が言っていたように、深い知識を持っているようだな。やはり私は君に頼んで良かったと思う」


 ……良かった? 

 感心されてどうするのだ。


 (いけない……)


 このままでは調子に乗って、こんな本が好きなのだと、根暗な笑顔で、具体例を暴露してしまいそうだ。


「と、とにかく、あとは、専門家のお仕事ではないかと。王子には良い相談相手が他にいらっしゃると思いますよ」

「専門家の意見ほど信用ならないものはないのだがな……」

「私が好む本は偏っています。今の知識も、王子が本来知らないで良い代物ですから」


 ここまで婉曲に告白すれば、彼も察しがついて、いい加減、解放してくれるだろう。

 そう、リアラは強く願っていたのだが………。


 しかし、彼は更に上を行っていた。


「あとは、実践あるのみだな。早速、君に協力してもらおう」


 とんでもない発言を、さらりと繰り出してきた。


「…………おかしなことをおっしゃいますね?」

「私は実際、自分の目で見て、聞いたことしか書くことができないのだ。どんな作品にも、誰かの協力がいる。雰囲気だけ……、身ぶり手ぶりで構わない。私に指導して欲しいのだ」

「いやいや、今の与太話に実践は必要ありません。これらを実践してはいけいなのです。妄想だから、さまになっているのであって、実践してしまったら、ただの痛い人なのです。第一、これを実際やって様になるのは、美男美女に限ります」

「なに? 私の容姿に問題があるとでも言うのか?」


 リアラは、泣きそうになった。この人は鏡を見ないのか、それとも、わざとリアラに賞賛させようとしているのか……。多分、後者だろう。


「王子は言わずもがな完璧です。……問題は私の方です」

「ああ、何だ」


 レイヴィンは、ぱっと笑みを明るくした。


「それなら大丈夫だ。君は自分で思っているほどには、酷くないぞ。気にするな」 


 それはどういう意味だ。誉められているのか、貶されているのか分かりはしない。


「ともかく、作家が実際にできないようなものを、本にして売るのは、いかがなものかと思うのだ。ちゃんと説得力がなければいけないはずだ。人に金を出させるのだぞ。取材は必要不可欠だ」


 王子のくせに、根っからの商人みたいなことを宣ってくれる。

 この支離滅裂な主張は、通常であれば、ただの下心満載の変態の言い分として処理されるだろう。

 しかし、この青年は、よりにもよってこの国の王子なのである。

 ある意味、街のチンピラよりも始末に悪い。

 ……どう説得すれば良いのか。


「妄想に説得力なんていりませんよ。王子は、王子の高尚な文学を書いていらっしゃれば良いと思うのです」

「私は通俗文学に興味があるのだ」


 ……一体、何を言い出すのだろう。――いや、そもそも。


「だったら、もっと通俗小説を読み込んでから、私に……」

「それがな。種類が多すぎて分からんし、私は自分以外の本を読むのを禁じているのだ。その作家に影響を受けてしまうことは自明だからな。分かってくれたか?」

「……ええっと。素晴らしい作家としての心構えかと、存じ……ますが」


 単に読むのが面倒なだけではないのか? リアラは苦肉の策で、普通の少女を装った。


「…………しかし、私は一応、嫁入り前の十代です。特定の男性と一緒にいるだけでも、よくない印象となると思います」

「おや? 調査によると、君には特定の恋人もいなければ、生涯を妄想に捧げ、生身の男には興味がないと、過去、近しい人間に公言していたそうじゃないか?」

「よく、調べられましたね」


(この人は、私と、対極にある人だ)


 絶対に性格が合わない。もとより、生まれ育った環境も、地位も名誉も何もかも違うわけだから当然なのだが……。ともかく、面倒ごとになる前に、さりげなく遠ざかっておくのが良策なのだ。……けれども。


「……無料(タダ)とは言わない」

「えっ?」


 次の言葉に、リアラは眩暈を覚えた。


「相談一回につき、10シーヌでどうだ? もちろん、出来ない事柄を拒否する権利は君にあるし、先ほど口にしたとおり、私は君に指一本触れるつもりはない。あくまでも、そこに行き着くまでの雰囲気が掴めれば、それで良い。私に教えて欲しいのだ」

「……10シーヌ!?」

「足りないか?」


 莫大な額だ。

 それだけあれば、リアラは一カ月ゆうに暮らせるだろう。好きな本も買い放題だ。一件につきその金額なのだから、沢山受ければ、リアラは労働しなくても良いということになる。限りなく無職に近いリアラにとって、ここまで、うまい話はない。


 ――だけど、そんな甘い話が実際にあるはずがないではないか?


「何か、裏があるのでは?」

「裏だと?」


 レイヴィンは穢れのないまっすぐな目で見つめ返す。

 きらきらしていて、そう訊ねるのも後ろめたい心地がする。

 ーーだけど、この人は現実の人なのだ。

 紙の中ではなく、生きている人間だ。

 ……生きている人間なら、裏切りもするし、嘘もつくだろう。

 リアラは騙されまいと、気を引き締めた。王子の私的なことは、聞きづらいことであったが、もはや手段は選んでいられなかった。


「私のような人間が王子に教えられることなど何もないと、ご存知なのでは? 王子には、恋人もいらっしゃるご様子ですし……」

「ああ、君も記事を知っているのか」

「元記事の存在は知りません。どんな方なのかも、情報公開されてないので分かりませんが、王子のことは、全国民の噂になってしまうんですよ」

「……我ながら、面白いもんだな」


 感慨もなく言い捨てる。

 けれども、それ以上何も言わないということは、存在を認めたということだ。 恋人がいながら、これらのことを実践しようなんて、正気の沙汰ではない。


「その方に実践への協力を願えば宜しいかと、私は思います」

「……なぜ? 恋人だったら意味がないだろう。君が今挙げた具体例は、恋が始まる前の異性間で行われるものではないのか?」

「だからって、これは……」

「君以外の選択肢もあるだろうと、今日、君に会うまでは、そう思っていたんだがな。しかし、やはり君がいいだろう。私は決めたのだ」

「どうして、また……?」

「今、君は私と話していて、とても迷惑そうにしているからだ。サインの要求もしてこない。つまり、君は私にまったく興味がないということだ」

「いや、それは、あの……」


 慧眼というべきか。

 彼には、リアラの気持ちが分かっていたのだ。

 分かっていて、こんなことを頼んでいる。


「恋愛話を書くから協力して欲しいと女性に話して、その気になられたら、面倒だろう。その点、君には配慮もいらない。書店の主が言っていた。君は本に恋をしてる……とな」

「それは、……まあ、間違ってはないですけど」

「そして、私も神に誓って、君を好きにならない。だから手は出さない。こんなに双方のためになる契約もないだろう?」


 ……それって、どうなんだろう? 

 喜んで良いのか、悲しんだ方が良いのか……。


 リアラは反論の余地も与えられず、頭を抱えるしかなかった。


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