Knights, Wizards, Creatures and Kingdoms
角飾り
石造りの街を、夕闇が包む。
山羊のような太いツノを2本、頭に生やした男が、橙色に染まる街並みを眺めながらのんびりと歩いている。くたびれた革靴が潰れた空き缶の上を超えたそのすぐ手前に、赤い服を着た子どもが駆け込んできて、割れた石畳に足を引っかけて転んだ。
地面に伸びたひたすらに丸いツノのない頭部を一瞥したツノの男は、無言のまま、子どものすぐ横を通り過ぎる。数メートルもしないうちに、重そうな荷物を引く白いツノの少年を見つけて「手伝おう」と気安く声をかけた。
男の後ろから歩いてきたツノの生えた男女が、先刻の男と全く同じように、地面の子どもをスルーする。彼らの対面から歩いてきたスーツ姿の男は、彼らを咎めることもなくすれ違うと、膝の砂を払う子どもの前に「大丈夫?」としゃがみこんで抱き上げた。背広のポケットからカラフルな包み紙の飴玉を取り出す。曲がり角からやってきた朱塗りの牛車に乗る和装の少女が、その菓子を羨ましそうに見下ろす。隣に座る姉らしき女性がスーツの男のツノのない頭部を見て「そういえば、」と少女に声をかける。また楽しげな談笑を始めた姉妹は手鏡を取り出すと、そっくりの仕草でお揃いのツノ飾りの位置を整え、切り揃えた前髪を直し、唇に引いた紅を確認して、満足そうにうなずいた。
ガラガラと車輪を鳴らして牛車が去る。子どもを抱えたスーツの男は、保護者を探しながら通りの先へと歩いていく。
ふと人通りの途切れたその場所に残されたのは、錆びた消火栓とほのかに灯るガス灯とそれから、ジャケット姿の少女が一人。老若男女が行き交うその往来の中で、ふんわりと丸く膨らむキャスケット帽をかぶった彼女だけが、ポツンと立ち止まっている。開きかけのシャッターの前で、少女が微動だにせず食い入るように眺めているのは、ショーウィンドウに並ぶ3体の、ツノの生えたヘッドマネキン。耳の上にある二つの鋭い突起に、金属製の輪飾りがひっかけられている。垂れ下がる黄銅色のパイプロープ・チェーン。先端にはカットガラスの小球が揺れる。
夕日の赤に染まって煌めくそれを、楽しげに見つめる丸い瞳が二つ。わずかに開いたままの口から、ほう、と無意識の嘆息が漏れる。
新しく仕入れた商品を木箱から取り出して陳列棚に並べていた店員が、アクリル越しにその様子を見つけて、ふふ、とかすかに息をこぼす。
「今日もかぁ」
苦笑しながら、でもどこか嬉しそうに呟く。
不意に目が合った。キャスケット帽の少女に向かって、店内にいる赤髪の女性が、笑顔で手招きをする。
「えっ」
少女は左右に目を泳がせる。すぐ横にあるドアの上、鉄製の吊り看板には亀甲の紋ーーオニ用の店舗である証だ。帽子の端を押さえた少女は、ゆっくりと深呼吸。それから、真鍮のドアノブをそうっと回した。
蝶番が軋む音。カラン、とドアベルが鳴る。
「おじゃまし、まーす」
アンティークタイルの床に、恐る恐る踏み出すスニーカー。
「いらっしゃい」
柑橘系の香らしき甘酸っぱい香りが、ふわりと店内に広がる。
「ツノ飾りに興味が?」
「あ、そうです」
「好きに見てっていいよ。オーダーメイドもできるし」
店員が指さした先、古びた木製の作業台に、作りかけのツノ飾りが置かれている。目を輝かせてそれに歩み寄る少女。
「これが好きです、こういう細いチェーンで肩まで垂れ下げてるやつ」
少女の細い指が銀の長いチェーンをつまむ。色鮮やかな翡翠の球が揺れる。
「ああ、鎖状角飾だね」
「名前があるんですね。これは?」
紺色の細紐から垂れ下がる金色の立方体。「紐状角飾」
2本のツノを結ぶようにマネキンのひたいを飾る、虹色の鎖。「橋状角飾」
2本のツノを結んで後頭部に広がる幾何学模様の布。「幕状角飾」
熱心に見つめるその背中に、いたずらっぽい顔をした店員がそっとささやく。
「試着してみる?」
店の奥から、ぴちゃんと水の音。
はっとなって帽子を押さえる少女。品出し作業を続ける赤髪の店員が楽しげに言う。「知り合いが昔、同じことしたらしいんだよね」
不思議そうに見上げる少女の前、数歩横にーー外から見えない位置にずれた店員が、自分の頭部に手を伸ばしてーー右側のツノから珊瑚球の角飾りを外すと、ツノも外した。
ギョッとする少女の顔を、いたずらっ子のような目で見返す。
片角は、ヒトとオニの混血である証。両者が無言で共存する街で、そんな存在は架空の話だと、ずっと少女は思っていた。
「義角って言うんだよ。最近はかなり精巧なものも出てきてて、オニの夜目でもほぼバレない」
店員は流暢に説明しながら近くの戸棚を開ける。
「このくらいの大きさが良いかなぁ」
着けてみて、と手渡されたのは、二つの黒い角が付いた小さなウィッグ。
「うん、似合う」
恐る恐る装着した少女のツノに、先ほど見ていた鎖状角飾を引っ掛ける。耳の下で揺れる翡翠の球。
目が合って、鏡越しに笑い合う。
「なんで分かったんですか?」
「なんでもなにも、教会の日、ヒトのガッコの制服で来てたでしょ」
「……オニのと違う?」
「違うねぇ、オニの制服は和装。こういうやつ」
元通りに義角を装着した店員が、古着と書かれた木札の下がるラックから、一着を取り出す。赤い市松柄の着物。
「それ制服なんだ! かわいいと思ってた」
顔を綻ばせながら、少女が財布を取り出したところでハッとなる。それに気づいた店員が、ひらひらと緑色のインクで書かれた七宝の紋ーーヒト用の紙幣を振る。「心配ご無用、ウチはどっちの硬貨も使えるよ」
*
二つ並んだ湯呑みから、ゆらりと湯気が立ち上る。
「ふぅん、ヨミちゃんは高校生か。ガッコはどう? 楽しい?」
鏡越しに頭部のツノ飾りを眺めながら、少女がううんと眉を寄せる。アンティークタイルの上でスニーカーが左右に揺れる。「楽しい、ときもあるけど。決まった話でしか盛り上がれないのがイヤ」
「ああ、あるねぇ、思春期だねぇ」
なぜか悠然と笑う店員に、不愉快そうな目を向ける少女。
「そういうもんだよ。大丈夫大丈夫」
湯呑みの横にそっと置かれる、季節の茶菓子。
「で、どんな話がしたいの?」
しばらく押し黙ったあと、少女はぽつりとこぼす。「石、とか」
「石? 宝石?」
「とか鉱物とか。そういうのが好きなんだけど、なにそれって」
「私も好きだよ、石」作業台の片隅に置かれていた、昨日削ったばかりの月長石の球を指先でつつく。「そうだ、石工の知り合いがいるんだけど、工房に色んな石があるよ。見に行く?」
せっかくそれ付けてるんだし、と頭の義角とツノ飾りを指さす。
「えー……ばれない?」
「ばれないばれない。バレたところで問題ない」
「オニはヒトを食べるって」
「それなら、もうヨミちゃんは私の胃袋の中だねぇ」
ドアを開いて店から出た途端、数軒隣の建物から、おおいと野太い声。「コムギ、ちょっと来い」
「今から出かけるんだけど」
「いーから」
「ごめんね、ちょっと付き合って」
小さく謝罪の仕草をした赤髪の女性が、声のした方に向かう。数歩遅れて、キャスケット帽を抱えた少女も続く。
車庫のような土間のような埃っぽい空間に、所狭しと棚や椅子が並んでいる。棚にはゼンマイ式の置き時計、ステンドグラスのオイルランプ、木目の美しい香箱、金継ぎされた黒い壺。
パンか何かを焼いているらしい、香ばしいにおい。
「雑貨屋兼居酒屋ってところかな」と女性が教えてくれる。
部屋の中央に、錆びた自転車が一台停められている。真っ赤な帆前掛けを付けた青年が、それを指さす。「これ直してくれ」
「……なんで私」
「時計屋のオヤジと仲良かっただろ」
「仲良かったからって。そんなもの伝授されてないよ」
「あとお前、ほら、そういうこまいもん作ってるだろ」
「機械の修理とツノ飾り作りを一緒にされても」
顔をしかめた女性が、ハンドルを掴んで自転車を前後に動かし、左右に振る。
「常連の連中は使い物にならない」
「そりゃそうだ、私も分からないよ」
と言いつつもコムギは首を傾げながらしゃがみこんで、タイヤを手で回す。
「動いてるように見えるけど」
「いーや壊れてる、変な音がするし、ガタガタする」
「元からこんなんじゃなかった?」
「あのう、私、直しましょうか」
おずおずと手を挙げた少女が、反対側にしゃがんで、ぺしゃんこになっている後輪のゴムを摘んでいた。
*
一斗缶に腰掛けた青年が、黒いゴム板をしげしげと眺めている。足元には火薬の入った皿と、錆びかけの万力。
「これ便利だな、俺の店にも置こう」
元通りになった自転車を、赤髪の女性がガレージ内で乗り回している。何度か椅子や棚にぶつかって青年に怒鳴られている。
「『水の入った桶』って言われた時は、イタズラだと思ったがな」
快活に笑った青年が、揺れる水面をのぞきこむ。
脇の貯水桶で汚れた手を洗いながら、少女も自転車を見る。「ずいぶん古いですね」
「ヒトが捨ててたのをもらったんだ」さてと、と立ち上がった青年が、陽気に言いながら厨房らしき戸をくぐる。「礼はケオノトハの肉でいいか。昨日でかいやつを仕留めたんだ」
「……ケオノトハって、大蛇ですよね」
「なんだ、嫌いか、ヘビ肉」
そうかぁオニはヘビ肉食べるのかぁ、などと考えながら、申し訳なさそうに頷く少女。
「それより雑貨とかどう」満足したらしいコムギが自転車を停めながら言う。
「あっ、それ嬉しいです」
「いいよ、なんでも持ってけ」鍋を火にかけながら手を振る青年。
手を拭きながら、ガレージ内を歩き回る少女がふと顔を上げて、あるものを手に取る。「あの、これも売り物ですか?」
ああ、と青年がうなずく。「そんなんでいいのか? 懐かしいな。俺が一瞬だけ使ってたやつだ。いいよ、持っていきな」
少女の例の声と重なるように、屋外から、おおい、と声。赤ら顔の小柄な老人が店内に入ってくると、手近な椅子に座って青年を呼ぶ。
あれっと首を傾げた少女が、女性の服をひいて慌ててささやく。「コムギさん、あのひと、ツノ……」
「ああうん、じっちゃんはヒトだよ」コムギがうなずく。
「オニの酒じゃないと酔えん」老人が透明な液体の入った酒瓶を揺らす。「ヒトの酒なんて水だ、水」
コムギが笑う。「じっちゃんだけじゃない。ヒトの社会では稼げないヒトや、夜の街で働きたいヒトなんかが紛れているよ。逆に、夜目が利かないオニや、手先が器用でヒトの仕事をした方が稼げるオニは、ツノを削ったり折ったりして、ヒトのふりをして暮らしていたりする。少ないけど、私みたいなのもいるし」
「街の西側は区別が厳格で、妙なヤツはすぐに追い出されるけど、この辺りはあんまり拘らない店が多い。そんで、なんでかこの店は特に多い」老人の前に焼きたての料理が乗った皿を出しながら、青年が笑う。「ここでなら息ができる、そういうヤツがたくさんいるんだ」
***
錆びた自転車や真新しい自転車がずらりと並ぶ、広いガレージの片隅。奥の壁に『畦倉自転車屋』と書かれた看板がかかっている。
緑色のネットに当たった硬式球が、人工芝の上を転がって、ゴルフボールにぶつかって止まる。それを拾い上げた少年の野球帽のツバに、ぽすんと何かが当たる。
「やる」少女のぶっきらぼうな声。
芝に落ちたのは、子ども用の左利きグローブ。
おお、と呟いた野球帽の少年が、ボールを放り出してそれを拾い上げる。
「ヨミ、お前どこまで行ったん?」
「なにが?」
「このサイズ、こないだ父ちゃんが街じゅうの店回ってくれて、この街にはないって。次の商隊が来たときに注文しないとって言われて」
「あー、それ中古なんだよ、知り合いがくれて」
「高校生すげー」早速グローブをはめて握る少年が、感慨深く呟く。「この借りは、近いうちに返す」
「……またなんか観たな」
まぁいいや、と頭を掻いた少女が、腕時計を見て、
「待ち合わせあるから、じゃあね」
とガレージを飛び出していく。
「中学あんなにつまんなそうだったのに。高校ってそんな楽しいの?」
残された少年は羨ましそうな顔をして、一人、首を傾げる。
***
ガス灯がほんのりと夕闇の街並みを照らす。
足早に帰路を急ぐヒトたちと、のんびり歩くオニたちとが石畳の上を行き交う。
「ね、あれ、なにごと?」
横を歩いていた友人が不思議そうに呟くのに、濃紺の制服を着たヨミが顔を上げた。
目の前には人だかりーー正確にはヒトだかりとオニだかり。その向こうから、わあわあと賑やかな声がいくつか。
「号外かな、それとも芸人かな」
爪先立ちでそわそわと左右に揺れる友人を、興味なさそうに見つめるヨミ。
「ケンカじゃないの。それかいつもの政治弁論」
友人は来た道を振り返って赤煉瓦の時計台を見上げる。
「私今日夕食当番だー、気になるけど先帰るね、見といて!」
それだけ早口に言うと返事も聞かずに名残惜しそうに手を振ってさっさと角を曲がっていく。
呆れ顔でそれを見送ってから、さてと顔を正面に戻した少女の目が、見慣れた野球帽を見つける。「シダカ」
群衆の中から俊敏に振り向く、利発そうな日焼け顔。その左手にはめられた黄色のグローブを指して、ヨミがニヤリと笑う。「気にいってんね」
「ちげーよ、こうやって手の形になじませるもんなの」
「で、これ何? ケンカ?」
「なんか、オニが放火したとかって」
「ええ?」
「なんかよくわかんないけど。お前のガッコのやつが、オニの店にケンカ売ってるっぽい」
「なにそれ」
「襟のバッヂが赤いのって3年だっけ? 人が集まる前にちらっと見えた」
人垣の隙間から見覚えのある赤髪が見えた気がして、ヨミが息を呑んだ。
「シダカ、『貸し』ってやつ、いま返して」言いながら、少女の手が肩にかけた指定鞄のファスナーを引き開ける。
「なぁそれ」少年が言いかけたのを遮って、
少女が少年のグローブを掴む。「ついてきて」
茶色のローファーが、石畳の上を大きく踏み出す。
「止めろとかムリよ?」
手を引いて人垣にずいずい割り込んでいく、年上の幼馴染の珍しい姿に少年が顔をしかめる。
「一つの街にオニとヒトが入り混じって住んでることが、そもそも間違いなんだ」
作業着姿の男の背中越しに、そんな不遜な声が聞こえた。周囲のオニたちがいきりたつ。
「また先住論か」野次馬の中の数人がうんざりした顔をする。
騒ぐオニたちを穏やかにたしなめる赤髪の後頭部が、低いしわがれた声が言う。「理由を聞こう」
あ、と少女が小さく声を漏らす。思ったよりも頭二つ分ほど高い位置にあったその髪とツノは、確かにコムギのそれとよく似ていたけれど、別の見覚えがあった。
「オニの首長だ」隣の少年がちょっと驚いたように言う。「珍し」
街じゅうのオニたちの代表であり、寄合で決まるその役職をここ十数年ずっと務める、信頼の篤い男。肩幅の広いがっちりとした体格の成年の男に少したじろぎながらも、黒の学ランを着た賢そうな顔の少年三人は薄っぺらい胸を張って言う。
「住居地も半分、農地も半分、活動時間だって制限される」
「あと2年で、街議会の意見書を出せる年齢になる。待ってろよ」もう一人が言う。
「街からオニがいなくなっても、ヒトはちっとも困らない」もう一人が強気に笑う。
勝手なことを言うな、ああその通りだ、と、群衆から賛否両論が飛び交う。
そこへ、
「ーーううん、困るよ」
突然割り込む、若い声。
言い争っていた者たちが、一斉に振り向く。
学生たちと同じ制服を着た少女。丸い、ツノのない黒い頭部。耳の上あたりの黒髪に結わえられた、鎖と翡翠球の髪飾りが揺れる。
その服飾品に既視感を覚えた学生たちは、次の瞬間に息をのむ。「お前それ、オニのツノに付けるーー」
「そう。私はこれが好き。だから、困るよ」
はっきりと言ってのけた彼女の隣に、所在なさげに立つのも、同じくツノのない丸い頭部の少年。
「おお、シダカ?」
群衆の最前列で両手を広げていた濃紺の制服の男性が、目深にかぶっていた警帽のツバを持ち上げて少年を見、ひどく驚いたように言う。
少女が振り向くのに、ぼそりと答える少年。「草野球仲間」
困惑していた学生3人が、襟元をいじりながら言う。「市民は大多数の利益に基づいて動くんだ、少数者の意見など」
「私だけじゃない。オニの社会で生きてるヒトも、ヒトの社会で生きてるオニもいる。すぐそばにいるんだから、自分の目で見たらいい。まだ知らないことだらけだけど、良かったら、私が案内するよ」
オニたちも、ヒトたちも、それぞれの社会で生きてきた群衆たちは皆、困惑気味に顔を見合わせて黙りこむ。
「ああ、嬢ちゃんが正しいよ」その中から、しわがれた声が一つ。「昔からオニとヒトは密かに相互補完。例えば、オニがいなけりゃ、この街はとっくに焼け野原だろうよ」
大小のノミとタガネとカナヅチ。石工の道具を腰にぶら下げたオニの男が不可解なことを言うのに、学生たちはわずかに眉を寄せて無視しようとして。
だが、石工のオニは続ける。
「元々このあたりには岩なんてなかったんだ。それを、あの岩山から切り出してせっせと運んできたのは、オニだ。だから火事で焼け落ちない石造りの建築が作れるようになったんだ。いいか、ヒトの力では大型の石材は切り崩せない。オニの石工たちが、岩山から大型の石材を多めに切り出して、置いといてやる。それを、ヒトのオニが細かく切って使ってるんだ」
「……で、デタラメばかり言うな」と学生の一人。
「そう思うなら、ヒトの石工や船頭たちに聞いてみな。今日みたいにしつこくな。気まずい顔で追い払われたら当たりだぞ。それか、岩山まで見に来るといい」
押し黙る学生たちに、群衆からわあわあと野次が飛ぶ。
「ーー反対に、」オニの首長の、凛とした声。「製粉機や脱穀機などの機械類は、オニたちも日々当たり前のように使っているが、ヒトにしか作れない」
ヤジを飛ばしていたオニたちが、バツの悪そうな顔をして口をつぐむ。
口元に緩い笑みをたたえたオニの首長が、二階の窓から眠たげな顔を出す寝間着姿の近隣住人に、謝罪のジェスチャーをしている。
ふ、と小さく笑み混じりの息をこぼした赤髪のオニの女性が、群衆の中から現れて、石工のオニの男の肩に手を置いて通り過ぎ、少女のすぐ横までやってきてーー笑顔で手を繋いだ。
「またとない良い機会をありがとう、ヒトの学生さんたち。どっちにもいろんな意見があるんだから、もっとこういう議論をするべきだよ」
ヒトの少女とオニの女性とが親しげに並ぶその様子を目の当たりにして、再度どよめく群衆。彼らの視線を受けながら、彼女は凛とした声で言った。「ねぇ、父さん?」
コムギは自分の頭部に手を伸ばしてーー右側のツノから角飾りを外すと、ツノを掴んで、ぐいと外した。
その場にいた鬼たちが、全員、息を呑んだ。数秒の静寂ののち、一斉にどよめく。
彼女の視線の先ーーオニの首長が、娘の行動に呆然と固まっている。
父親に似たよく通る声で、コムギは言う。
「時代は変わった。こんな議論ができるほど。貴方がヒトを愛したことを、私が片角であることを、もう隠す必要はないと思うんだ。そんなことで、貴方の地位は損なわれない」
確認するように、周囲のオニたちの表情を見回すコムギ。
「きっと、母さんだってーー皆の期待を全うするためのことだって、わかってくれてるよ」
*
「なんの騒ぎだ?」
チリン、と自転車のベルが短く鳴る。赤い帆前掛けの青年が自転車を停める。
「もうだいたい終わったよ」
散っていく野次馬を眺めながらコムギが言うのに、青年が悔しそうな顔をして説明を求める。面倒くさそうな顔をするコムギ。
「あ、シダカ、」黒髪の少女が、野球帽の少年をつつく。「この人がグローブの前の持ち主だよ」
野球帽の少年がぎょっとなる。目線は、青年の頭から生えた赤いツノ。「まじ?」
青年が口角をあげてヨミを見る。「お、年下彼氏?」
「ちがいます舎弟」早口に答える少女。
「どうも舎弟です」へこりと頭を下げる野球帽。
「ノリがよい」とコムギが笑う。
「ヒトにも野球があるとはね」「オニにも野球あるんだな」
青年と少年が同時に言い、
「良かったら、今度交流試合でもどう」とコムギが問い、
「やる!」野球帽の少年が腕を振り上げる。
赤煉瓦の時計台を振り返り、「こんな時間になったし、まずは美味いメシ屋にでも案内しよう、さあ行くよ」赤髪を揺らして、オニの女性が学生三人を笑顔で手招き。
「大丈夫大丈夫、ヘビ肉は出さないから」