SS 第8話 扉は開けておいて
二人は。
互いの目を見たまま。
ゆっくりと顔を近づけていく。
一度目とは違う。
先ほどのキスは。
どちらからともなく。
流されるように唇が触れた。
けれど。
今度は。
二人とも。
もう一度したいと。
自分の言葉で伝えている。
縁之丞の手は。
本子の頬へ添えられている。
本子も。
縁之丞の制服を掴み。
少しずつ目を閉じていく。
あと少し。
ほんの僅かに近づけば。
もう一度。
互いの唇が触れる。
その瞬間だった。
がちゃり。
扉が開いた。
◇
「……」
「……」
縁之丞と本子の動きが。
同時に止まる。
開いた扉の向こうには。
清之丞と楓が並んで立っていた。
楓の手には。
菓子と飲み物を乗せた盆がある。
「何してるの?」
楓が。
穏やかな声で尋ねた。
「見れば分かるだろ!」
縁之丞が。
反射的に叫ぶ。
「ええ」
楓は。
どこまでも穏やかに頷いた。
「見て分かったから」
「聞いているのよ」
「聞く必要ないだろ!」
本子は。
縁之丞の制服を掴んだまま。
完全に固まっていた。
顔は。
耳まで真っ赤になっている。
「おばさん」
「はい?」
「いつから」
本子は。
僅かに震える声で尋ねる。
「そこにいたんですか?」
「今来たところよ」
「本当に?」
「ええ」
楓は。
柔らかく微笑む。
「何度かノックしたのだけれど」
「返事がなかったから」
「お菓子を持ってきただけなの」
縁之丞は。
閉じられていた扉を見る。
ゲームを始める前。
外へ音が漏れるからと。
本子が閉めたものだった。
魔物の咆哮も。
二人の会話も。
部屋の中へ響いていた。
そのせいで。
ノックの音には。
まったく気づかなかった。
「勝手に開けるなよ!」
「返事がなかったから」
「だからって!」
「それとも」
楓は。
少しだけ首を傾げる。
「開けられると困ることをしていたの?」
「してない!」
本子と縁之丞が。
ほとんど同時に答えた。
◇
「そうか」
清之丞が。
真面目な顔で頷く。
そして。
未だに顔を近づけたままの二人を見る。
「二度目だったか?」
「数えるな!」
縁之丞が叫ぶ。
本子の肩が。
大きく跳ねた。
「何で」
本子が。
驚いた顔で清之丞を見る。
「二度目って分かるんですか?」
「先ほど」
清之丞は。
何でもないことのように答える。
「もう一度したいと」
「二人で話していただろう」
「聞こえてたの!?」
本子は。
両手で顔を覆った。
「扉の前まで来れば」
「多少は聞こえる」
「最悪……」
「お父さん」
楓が。
夫の袖を軽く引く。
「二度目ではないわ」
「そうなのか?」
「ええ」
楓は。
縁之丞と本子を見る。
「まだ一度目よ」
「何で分かるんだよ!」
「だって」
楓は。
楽しそうに笑う。
「私たちが扉を開けてから」
「まだ一度もしていないでしょう?」
「そういう意味かよ!」
「他に何があるの?」
「紛らわしいんだよ!」
清之丞と楓は。
二人そろって。
楽しそうに口元を緩めている。
「二人とも」
縁之丞は。
顔を赤くしながら、両親を睨む。
「絶対、面白がってるだろ」
「そんなことはない」
清之丞は。
真剣な表情で否定する。
「息子の健全な交際を」
「父親として見守っているだけだ」
「その顔で言うな!」
「しかし」
清之丞は。
部屋の中を見る。
床には。
二つのコントローラー。
画面には。
失敗したままのクエスト。
その前では。
縁之丞と本子が。
互いに抱き合うような姿勢で座っている。
「ゲームをしていたにしては」
「随分と距離が近いな」
「ゲームが終わったからだよ!」
「なるほど」
「何が、なるほどだよ!」
◇
楓は。
手にしていた盆を机へ置いた。
「ケーキと紅茶よ」
「ありがとう……ございます」
本子は。
未だに顔を隠しながら答える。
「本子ちゃん」
「はい」
「そんなに恥ずかしがらなくてもいいのよ」
「無理です」
「恋人同士なのだから」
「キスくらいするでしょう?」
「お母さん!」
縁之丞の声が。
部屋へ響く。
「大きな声で言うなよ!」
「事実でしょう?」
「そうだけど!」
「それに」
楓は。
縁之丞を見る。
「本子ちゃんのことを」
「きちんと大切にしているのでしょう?」
「当たり前だよ」
「なら」
楓は、穏やかに微笑む。
「お母さんからは、何も言わないわ」
「最初から何も言わずに帰ってくれよ!」
「ただし」
清之丞が。
再び、真剣な声を出す。
「何?」
「節度は守れ」
「分かってるよ!」
「間違いだけは起こすなよ」
「起こさない!」
「まだ高校生だからな」
「分かってるって!」
「必要な知識がないのなら」
「父さんが教えて――」
「いらない!」
縁之丞は。
父の言葉を遮った。
「絶対いらない!」
「遠慮することはない」
「してない!」
「父親として」
「息子へ伝えておくべきことも――」
「黙れって!」
本子は。
顔を覆ったまま。
肩を小さく震わせている。
縁之丞は。
心配になって、本子を見る。
「本子?」
「……笑ってる」
「何で?」
「だって」
本子は。
真っ赤な顔を上げる。
「おじさんと縁之丞」
「真面目な顔で話してるから」
「俺は真面目に止めてるんだよ!」
◇
「それでは」
清之丞が。
部屋の外へ一歩下がる。
「私たちは居間へ戻る」
「最初から戻ってよ」
「続きをするのなら」
「しない!」
縁之丞が即座に答える。
本子が。
僅かに縁之丞を見る。
「何?」
「しないんだ」
「今は無理だろ!」
「今は?」
「言葉のあやだよ!」
楓が。
楽しそうに笑う。
「続けてもいいのよ」
「お母さん!」
「ただし」
楓は。
開いた扉へ手をかける。
「今度は」
「扉を開けておいてね」
「できるわけないだろ!」
「なら」
「今日はここまでね」
「何でお母さんが決めるんだよ!」
清之丞と楓は。
笑いながら廊下へ出る。
「では」
清之丞が。
最後に部屋の中を見る。
「ごゆっくり」
「帰れって!!!」
縁之丞は。
二人を廊下へ押し出し。
勢いよく扉を閉めた。
◇
部屋の中に。
静けさが戻る。
「……」
「……」
二人は。
しばらく。
閉じられた扉を見つめていた。
先ほどまでの雰囲気は。
綺麗に消えている。
本子が。
ぽつりと呟く。
「できなくなったね」
「何が?」
「もう一回」
本子は。
自分の唇へ、そっと触れる。
「ちゅー」
縁之丞の顔が。
再び赤くなる。
「今は無理だろ」
「やっぱり、今はなんだ」
「細かいところ拾うなよ」
本子は。
くすりと笑った。
縁之丞も。
堪え切れずに笑う。
「最悪だ」
「うん」
「初めてのキスの直後に」
「親が入ってくるなんて思わなかった」
「ノックには気をつけようね」
「次がある前提?」
「ないの?」
本子が。
縁之丞を見る。
「あるけど」
「あるんだ」
「本子が聞いたんだろ」
二人は。
再び顔を見合わせる。
けれど。
もう。
先ほどのように唇を近づけることはできなかった。
扉の向こうにいる両親のことが。
どうしても頭へ浮かんでしまう。
◇
本子は。
縁之丞の隣へ身体を寄せた。
そして。
その肩へ、そっと頭を預ける。
「これくらいなら」
「大丈夫だよね」
「ああ」
「扉、開ける?」
「絶対開けない」
「おばさんに言われたよ」
「もう遅い」
「怒られるよ?」
「知らない」
本子は。
楽しそうに笑った。
それから。
縁之丞の手を取り。
その指へ、自分の指を絡める。
「恋人になるのって」
本子が呟く。
「難しいね」
「ああ」
「今までの方が」
縁之丞は。
繋いだ手を見る。
「距離、近かったな」
幼馴染だった頃は。
何も考えずに触れられた。
隣へ座り。
肩へ寄りかかり。
抱きつき。
同じ部屋で眠ることさえできた。
恋人になった途端。
手を繋ぐだけで緊張した。
肩が触れるだけで。
ゲームの操作を間違えた。
抱きしめるだけで。
呼吸の仕方さえ分からなくなった。
「でも」
本子は。
縁之丞の指へ。
さらに深く自分の指を絡める。
「今の方が、嬉しい」
「何で?」
「縁之丞が」
本子は。
肩へ頭を預けたまま答える。
「私のことを好きだから」
縁之丞の胸が。
温かくなる。
「本子も?」
「うん」
「縁之丞が好き」
「そっか」
「何、その返事」
「俺も同じだから」
本子は。
少しだけ顔を上げる。
けれど。
今度はキスを求めることなく。
再び縁之丞の肩へ寄りかかった。
「今日は」
「これでいいや」
「ああ」
「続きは?」
「また今度」
「約束ね」
「約束するものなの?」
「今、決めた」
「また本子の決まり?」
「うん」
二人は。
繋いだ手を見つめながら。
同時に笑った。
本当の恋人になった二人は。
今までよりも遠くなり。
今までよりも緊張し。
今までよりも。
互いのことを意識するようになった。
それでも。
少しずつ。
二人だけの距離を。
もう一度、見つけ始めている。
幼馴染だった頃とは違う。
恋人ごっこをしていた頃とも違う。
本当の恋人としての距離を。
二人はこれから。
ゆっくりと。
覚えていくのだった。




